第二章ノ壱18幕


「レインが人間として死んだあの事故は、|天使達の次元《こちら側》の干渉によって起こったものだ」

 

 ジュラス元帥はもう一度その言葉をヤマトの前で口に出す。

 廊下では話しにくい内容と判断した二人は、使っていない控え室に移動して話しを再開した。

 その第一声に聞かされた言葉にヤマトは戸惑い、黙ってしまう。

 

「今回の五件に渡る悪魔の干渉と少し似ている……というのが今のところの俺の見解だ」

 

 ヤマトの不安そうな顔を見つめながらジュラス元帥は腕を組み、話しを進める。

 

「似ているというと?」

「レインが死んだあの交通事故。あの時も悪魔の痕跡が発見されているんだ。今回の件と同じように」

「…………」

「けど、今回とは異なる部分もある」

「異なるですか?」

「ああ。今回は悪魔がどこかしらへゲートを改築した跡だった。けどレインの時はそうじゃない。レインが死んだ時は、まるでその事故を起こす為に悪魔が工作したようだったんだ」

「そんなこと。次元介入して人間の運転するトラックを動かし、事故を起こした……ということですか?」

 

 ジュラス元帥はヤマトの言葉に「そうなるね」と返事をした。

 

「では……レインは悪魔に殺された……と?」

「ああ」

「なぜ?」

「それは分からない」

 

 ジュラス元帥はゆっくり首を振る。

 

「このことを本人は知っているのですか?」

「いや、話していないよ。あの時あいつは酷く弱っていた。このことを告げたら折角生き返った命をもう一度、今度は自ら絶つ可能性があったからね」

「……」

「その報告を受けていたからという言い方はおかしいが、俺は初めからあいつを中界軍へ入隊させるつもりで勧誘した」

「それはレインの存在を危険視していた、という意味ですか?」

 

 ヤマトの棘のある言葉に元帥はもう一度首を振る。

 

「いや、違うよ。あいつを救いたかった」

 

 ジュラス元帥はヤマトの目を見てゆっくりとそう言った。

 

「レイン、そしてヤマト。お前達若者にとって『死』はとても心の負担になる。だから俺はそんなお前達を救いたい。そう思ってこの機関を作った」

 

 ジュラス元帥の瞳が寂しそうに揺れる。

 

「確かに戦争に向かって死ぬ仲間もいる。魂の回収で事故に合うこともある。けど、死を経験して途方に暮れていくお前達を、もう一度『生きたい』と思わせるようにするのが今の俺の務めだと思っているんだ」

「閣下……」

「確かに『死』は本当に恐ろしいものだった。けどな、俺はお前達にもう一度経験しないといけない死に立ち向かっていって欲しんだ。だから俺はお前やレインを中界軍に勧誘した」

「……」

「ヤマト。お前にとってもあの死は辛かっただろ?」

 

 ジュラス元帥の問いにヤマトは過去の記憶を思い出し、深く呼吸をした。

 

「じ、自分は……」と、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出す。

「自分はあの世界が嫌いでした。大嫌いで、大嫌いで……生きるという行為が苦痛でした。苦痛であの世界からリタイアした。だから『死』は俺にとって逃げ道でした。辛くは……ありません。けど、今はこの世界が好きです。今の生きているこの場所が好きです。だからそう簡単には死にません」

 

 ヤマトの強い決意に、ジュラス元帥は嬉しそうに微笑む。

 

「そうか、なら俺も頑張ってお前らの居場所守んないとな!」

 

 そう言ってジュラス元帥はヤマトの肩を軽く叩いた。

 

「レインも」

「……?」

「レインもきっとそう思っていると思います。あいつはきちんと死を乗り越えています。今を生きています」

「そうか」

「もし、今回の事件とレインの死んだときの事故。何か関係性があったとして、あいつに話すんですか?」

 

 その質問にジュラス元帥は少し悩むそぶりを見せた。

 

「それが必要なら……かな? まだ知らない方があいつの為になるだろう。時が来たら俺が話すよ」

「そう、ですか」

 

 ヤマトはその言葉を聞いて安堵の溜め息をついた。

 

「元帥! ジュラス元帥!」

 

 部屋の外では軍人が駆け回り騒がしくなっているようだ。

 

「さてと、もうすぐ閉会の辞だ。お前らのお披露目でもしますか!」

 

 ジュラス元帥は嬉しそうにヤマトに笑いかける。

 その顔を見てヤマトの胸が躍った。この人に認められることが自分にとって『生きる』ということに直結するのかもしれない。

 人間の頃には感じたことのない高揚感に、ヤマトは元気に「はい!」と答えた。

 

 ◇

 

 城の一室。

 整理された本棚に手を伸ばしながら葉巻を蒸かし、目当ての書類を手に取ったダスパルはデスクに座った。

 廊下の方がなにやら騒がしい声が聞こえる。

 ふーと煙を吐きながらその廊下に繋がる扉を眺めていると、その戸が勢いよく開き放たれた。

 

「叔父上!」

 

 甲高い声を上げ、グレーの軍服姿の青年が部屋の中へと姿を現した。

 

「ジュノヴィス熾天使! 元帥の自室にそんな! 無礼でございます!」

 

 その後ろから声を荒らげながら衛兵がジュノヴィスを止めようと続けて室内に入る。

 

「謁見の許可無しに元帥にお会いになるなど!」

 

 ダスパル元帥は衛兵に軽く手を振り、その必要は無いと指示を出す。

 荒らげていた兵士はダスパルの指示に急いで敬礼をすると、部屋から姿を消した。

 

「叔父上!」

 

 そんな衛兵とのやり取りなど目には入っていないのだろう。ジュノヴィスは大きな声でもう一度甲高く叫ぶ。

 

「どうしたジュノヴィス。そこまで慌てるとは」

 

 ダスパルはそんなジュノヴィスの焦る様を見ながら葉巻を咥え直した。

 

「なんなんですか? あの転生天使は!」

 

 ジュノヴィスの声が部屋中に響く。

 

「ああ、お前以外の熾天使の騎士のことかい?」

「そうです!」

 

 ダスパルの言葉に被せるようにジュノヴィスは話すと、目の前のデスクを思いっきり叩いた。

 

「あの者達がなぜ熾天使の騎士なのです! 騎士階級など!」

「うむ。以前も言ったが、あれは最神が決めたことでな。我々にはどうしようもできないものさ」

「できるでしょう? 叔父上はこの世界で二番目の階級なのですよ!」

「それは軍人としてだがね」

「だからって! シラが一人で勝手に決められるような女性ですか? 誰かが裏で何かをしているに決まっている!」

「いいや、彼女自身が決めたのだよ。貴族階級、軍階級共に最高位のあの御方の言葉は絶対だ」

「ッく……」

 

 ダスパルの言葉にジュノヴィスは唇を噛む。

 

「先程聞いたのだが……ジュノヴィスは中界軍に模擬戦で負けたのだろう?」

「も、もうお聞きになられたのですか?」

 

 模擬戦は先程終了したばかりだ。その情報はまだ入っていないと思っていたのだろう。ジュノヴィスはダスパルの問いかけに怯みながら話しを続ける。

 

「あれは……その……。て、転生天使が不正をしていたのです! でなければ僕が奴に負けるなど……」

 

 彼の顔色がどんどん悪くなっていく。

 

「あのような不正をしておいて勝利などおかしいではないですか? これは罰する必要がありましょう! すぐに天界軍を動かし……」

 

 最初の威勢の良かった声が徐々に弱くなり始める。

 ダスパルは弱々しくなるジュノヴィスを睨んだ。そんな態度に彼の声はさらに勢いを落す。

 

「あ、あのような輩をシラの近くに置くなど、僕は反対です。それに、我々の計画にも支障が起きるでしょう?」

「計画とな?」

 

 ダスパルの言葉にジュノヴィスは頷く。

 

「はい。僕とシラが婚姻し、ゆくゆくは僕が政界の主導権を握るという計画です」

「そうだな……しかし、最神が決めたことを覆すのは今は無理だろう」

「そんな」

「だが、それもすぐに変わる」

「ほ、本当ですか?」

 

 ダスパルは葉巻の煙を大きく吐き、ジュノヴィスを見る。そしてデスクにしまってあった便箋を取り出した。

 

「ジュノヴィス、遠征から帰って来て間もないのだが、一つおつかいを頼まれてくれぬだろうか……」

「おつかい……ですか?」

「うむ。この手紙をお前の母親に届けてくれぬか?」

 

 そう言ってゆっくりとその便箋を差し出す。

 

「母は今、ゲート設置もない辺境の別荘に療養中で……そうなると往復二週間かかる旅路になりますよ? シラの成人の儀に間に合うかどうか」

 

 そう言ってジュノヴィスはあからさまに嫌な顔をした。

 

「そうだ。しかしお主にお願いしたい案件なのでね」

「と、申しますと?」

 

 能力で新しい葉巻に火を付けたダスパルは大きく息を吸う。

 

「今回、お主以外の熾天使の騎士を一年かけて探す計画だったが、その段階が無くなってしまったのでな。もう次の段階へ移行することにしたのだよ」

 

 ジュノヴィスはその意味がよく分からないのか、首を傾げた。

 

「つまり、二年後に計画していた、お主と最神の婚姻の儀を早めようと思っておる」

「本当ですか?」

 

 先程の声色から一変、ジュノヴィスは目を輝かせながら歓喜の声を上げた。

 

「で、ではこの手紙は?」

「そうだ、婚姻の儀を早めることになるのであれば、姉上にも早くお体を治してもらわねばなるまい。姉上にだけ早くお主がお伝えしに行くのだ」

 

 その言葉がよほど嬉しかったのだろう。ジュノヴィスは手紙を大事そうに握ると「はい!」と大きく返事をし、激しい足音を立てながら部屋を後にする。

 熾天使の騎士階級の件はもうすっかり忘れているようだ。

 

「ふん。邪魔な小僧よ」

 

 そう独り言を吐くとダスパルは葉巻を吸う。

 計画に必要な駒であるからこうして側近にしているが、ジュノヴィスが側にいるとうるさくて仕方がない。

 しかし彼の存在はまだ大切だ。

 なぜかジュノヴィスは間違った解釈をしているようだ。

 彼が思っているほどこの政界や軍は甘くはない。

 婚姻したからと言って、シラの『血』には到底敵わないのははなから分かっている事。

 ダスパルの計画はさらに先にあった。

 二人を婚姻させる。そしてそのお世継ぎを天界軍に入れ、さらに自分の下に置く。そうすればそのお世継ぎのマインドコントロールなど容易いだろう。事実上ダスパルの権限で全てが動くことになる。

 その為には現最神であるシラが軍事を執り行い、今よりさらに軍組織を政の核へと進める事が重要になってくる。

 熾天使の騎士がこうも早く決まるのはダスパルに取って好都合だ。

 成人してから一年間で熾天使の騎士を決める、という執り行いを最神自ら取り除いてくれたのだから。

 それならばあの転生天使二人を騎士階級にする事などなんの問題でもない。

 段階は次に移行している。

 先は長い。だが、この方法が自分がこの血族でありながら最高位に立てる唯一の計画なのだ。

 ならばやるしかない。その為のこの人生だ。

 ダスパルの吐いた煙は上へと昇り、天井にぶつかるとふわりと消えた。