歌声響くセイレーン


この作品はコミティアでの合同誌で掲載させていただいた作品の完全版です。
ペアで創作させて頂いたのは風夜さんです。素敵なイラストを描いていただき、凄く感激しました。
ありがとうございました!

波の音が心地よく空気の中に消えて行く。

 晴れ渡った空。雲一つない夜空は星々が競争するかのように瞬き続ける。

 夜風が心地よい。夏の終わりを感じさせる涼しい風が自分の頬を撫で、ルビーレッドのポニーテールをなびかせる。

 

「気持ちいい」

 

 そう声を出し、髪を撫でルミナルは金色の目を細め微笑んだ。

 今日も日が沈みゆくのを見届けながら支度をし、店先のランプに火を灯す。

 港町の端。灯台の近にある建物、それがルミナルの仕事場だ。小さなバー、名を『セイレーン』と言う。彼女はこのセイレーンの主人。母の店を継いでもう二年になる。

 最初は戸惑いや小さな問題があったものだが大きな事件もなく、なんとか母の作ったこの店を守っている。まだ二十三という歳でこの店を今日まで切り盛りできたのは、この街のみんなに愛された母のおかげだと思いつつ、ルミナルは今晩も店を開店させる。

「さてと」と声を上げ、店の中へと入る。店の中はこじんまりとしてお世辞にも広いとは言えない。椅子やテーブルは傷だらけででこぼこしているし、グラスだって数が少ない。料理をする火口は狭く、今ではなかなか見ない旧型モデルだ。それでもルミナルにとっては大切な場所。母との思い出の店だ。

 その一番の思い出の詰まったものがこの店の売りである水槽だ。狭い店の真ん中にある大きな円柱型の水槽はブラックライトに照らされ、青く光る。水槽は床に繋がっており、その下は更に海へと繋がる。これがこの店『セイレーン』の売りだ。

 ルミナルは嵌めている腕時計を見つめる。そろそろ彼の出勤時間だ。

 すると水槽の中に小さな泡がふわりと舞い始める。その泡につられるように床の下から姿を現したのは金色の髪の人物。セミロングの髪をふわりと海水に漂わせ、水槽の真ん中で止まる。アクアブルーの瞳はどことなく眠そうだ。

 

「おはよう、セウス」

 

 ルミナルがそう言葉を掛けるとレウスと呼ばれた青年は大きなあくびをしながら「おはよう、ルミナル」とそっけなく返事をした。

 セウスは今年で二十五歳。母がこの店をしていた時からのスタッフだ。

 彼はもう一度あくびをしながら特徴である鰭の耳を撫でる。金色の髪によく生える青の鰭は腰から下の鱗と同じ色だ。腰下から伸びる独特なボディライン。足があるはずの部分は尾鰭がある。

 そう、彼は人魚。海に愛された人々の末裔。ここ百年ほどで数を減らしている人種の一つで、この街に住んでいるのも彼含め数人だ。

 そんな彼を見に皆が集まる。それがこの店の最大の特徴。

 上半身の薄手のワイシャツとジャケットをだらしなく着こなすセウスはもう一度あくびをした。

 

「なに? 昨晩も遅くまで遊んでたの?」

 

 ルミナルの言葉にセウスは「ま~~ね~~」と返事をし、水槽の上にまで上がるとガラスの蓋を開け、座れるようになっている縁に腰かける。水が滴る髪をかき上げながら身体に張り付くワイシャツとジャケットを撫でる。

 

「しっかりしてよ! もうすぐ開店なんだから!」

 

 ルミナルは自分の背丈の倍ある水槽の上に座るセウスに叱った。彼はネクタイを締め直しながら「分かってるって」と、面倒くさそうに声を上げる。

 

「まったく……

 

 

 --カランカラン--

 

 

 店先の扉に掛けている鐘が鳴る。まだ開店の時間ではないのに、とルミナルは振り返った。

 

「あの……

 

 店の扉を開けながら入って来たのは、ハニーブラウンの髪の少女。白いワンピースに身を包み、気品ある出で立ち。ここら辺ではあまり見ない顔だ。歳はまだ二十歳きていないだろう。十三、四ぐらだろうか。エメラルドグリーンの大きな瞳がその幼さをさらに引き立てる。

 

「あ、申し訳ありません。まだ準備段階でして、もうしばらくお待ちいただけますでしょうか?」

 

 ルミナルはそう言いながら入り口に立つ少女に声を掛けた。

 

「それに、うちはお酒をたしなむお店でして未成年のご来店は……

「あの、私、成人しています。それに、開店前なのも……

「え? ええ? 成人されてるんですか!?」

 

 見た目のイメージに惑わされたルミナルは少女、いや、少女に見える女性を見つめた。

 

「すみません。開店前なのですが……このお店に来るために早くから家を出たもので……もし良ければお水を一杯いただけませんか?」

「うちに来るために?」

「はい。昼に出発したので……かれこれ六時間ほど」

「そ、そんな遠出を!?」

「そうなんです……以前、知り合いがこの街に来た時に素敵なバーがあったと話を聞いて。ずっと来たかったのです。だから……」と、女性は少し疲れた顔をしながら微笑む。

 

「なんと……それはこの店の亭主としてとても嬉しいです。どうぞ中へ」

 

ルミナルはそう言って女性を店の中に案内する。そして水槽が一番よく見えるテーブル席に座らせた。

 

「お水でよろしいのですか?」

「はい。お店が開店したらお酒を頂きたいので」

「かしこまりました」

 

 そう言ってルミナルがカウンターの中へと消える。女性はそんな背中を目で追った後、水槽に視点を変えた。

 

「遠路はるばる、こんな小さな店によく来たな」

 

 急に声を掛けられ、女性は驚く。きょろきょろと辺りを見回すが、誰もいない。

 

「上だ、上」

 

 言葉に合わせ、頭上を見上げると、水槽の上に設けられた椅子のようなガラスに腰かけている人魚を見つけた。

 

「わあ! 本当に人魚がいるんですね!」

 

 女性は目を輝かせて声を上げた。

 

「人魚ぐらいどこにでもいるだろう?」

 

 ふてぶてしく話すセウスに女性は首を振る。

 

「私の住んでいる街は森の中にあるので……実は海を見たのも今日が初めてなんです」

「へえ~。で、わざわざ人魚を見に来たのか?」

「いえ、人魚のショーが見れると聞いて来ました。私の名前はウィン。あなたのお名前を聞いてもいいですか?」

「セウス……

「良いお名前ですね」

 

 そう笑う女性にセウスは「どうも」とだけ返事をする。

 

「こら! セウス。お客様に失礼な! もっと愛想よくしなさいよ!」と、水の入ったグラスを盆にのせたルミナルが戻って来た。

 

「失礼しました。どうぞ」

「ありがとうございます。マスターのお名前もよろしいですか?」

「私ですか? 私はルミナルと申します」

「ルミナル。いいお名前ですね。けど、私の聞いたお話しだと、こちらのマスターはもう少しお年を召した女性と伺ったのですが」

「あ、それは母です。引退しまして私が後を継いだんです」

「なるほど」

 

 ウィンはテーブルに置かれた水を一口飲むとふぅと小さく溜息をした。

 

「もうすぐ開店ですのでこのままこのお席にどうぞ。私は開店準備をさせて頂きますね」

 

 ルミナルはそう言って一礼するとカウンターに消える。

 ウィンはそんな若いマスターの動きを見て微笑んだ。

 

「あんた……人間じゃないだろ?」

 

 頭上からの声にウィンはまたセウスの方を向く。

 

「あら、どうしてそう思われるのですか?」

「何となく……俺と同じ匂いがする」

「そう、ですか……

 

 ウィンの微笑みにセウスはムスッとしつつも「ま、別に誰でもいいんだけどな。この店に来て酒を飲んでくれれば」と言った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 十数分後……。開店時間になると店の扉の金がひっきりなしに鳴る。その度にルミナルは声を上げ、笑顔を見せた。常連客が各々の席でグラスを傾ける。香ばしい料理の香りが店に広がり、賑やかな時間が始まった。

 ルミナルは忙しなく接客をする。常連客の冗談を笑い。新規のお客にはおススメメニューを紹介。この仕事に着いた頃のあどけなさはもうない。

 そんなルミナルの動きを頭上のガラス椅子に座ってセウスは眺める。何かを言う訳でもなく、たた頬杖を付いて。

 

「彼女が気になるんですか?」

 

 そう声を掛けるのは開店前から特等席に座っているウィンだ。

 

「別に……いつもいつもよく動くなあ、って見てるだけ」

「ふふっ……

「なに?」

「いえ、お二人とも可愛いらしいなって思いまして」

「はあ!?」

 

 セウスは微笑むウィンに声を荒げた。何か言いかえしてやろう、そう思い口を開ける。しかしルミナルが水槽近くに来たのでセウスは首元まででた言葉を飲み込んだ。

 

「ほら! 時間来たから準備してよ! 仕事しごと!」

 

 ルミナルの言葉にセウスは「分かってるよ!」とふてくされた声を上げる。そんな彼の言葉を聞いてルミナルはまたカウンターへ消えて行った。

 

「ったく……

 

 セウスはルミナルの背中を見てそう吐いた。そして目の前に座るウィンを睨む。

 ウィンはいよいよだと言った顔でセウスの顔を見つめた。

 

 その瞬間。店の中の照明が急に薄暗くなる。新規のお客が数名小さな声を上げた。

 すると店の真ん中に位置する水槽にライトが当たる。その演出に店の中にいる全ての人の視線がセウスに集まった。

 セウスは水槽の上に腰かけたまま背筋を伸ばす。そして店の中を見渡した。

 途中ウィンとも目が合う。彼女は目が合うとキラキラした瞳で見つめてきた。セウスはその視線を痛いほど感じながら最後にルミナルを見る。ルミナルはこちらを見ながら嬉しそうにこくんと頷く。

 マスターの反応に合わせ、セウスは大きく息を吸うとゆっくりと歌いだした。

 透き通た歌声。波のように優しく、力強いアルトトーンが店の空気を揺らす。店にいる全ての人がその声に酔いしれた。

 歌声に合わせ照明が海の底に似た深い青へと変わる。波音が聞こえるかのように光がセウスの歌声に揺れる。

 セウスは一呼吸歌を止めると座っていた水槽の縁から降り、水槽の中へを舞い降りる。金色の髪がふわりと舞い、青色の鱗が照明で光り輝いた。

 そのまま歌を歌い続ける。手を広げ水を切れば、気泡がセウスの髪を撫でる。歌声が水槽から溢れ、店の隅々まで広がり、水面が揺れ動くように空気が波打つ。

 その歌声に皆が酔いしれ、いつまでも続けばいいのに……と思い始めるころ、セウスの歌は伸び遥か果てに消えるように終わりを迎えた。

 店にいる全ての客が割れんばかりの拍手を送る。涙を流す者もちらほら見える。そんな店の空気を見渡しセウスはルミナルの嬉しそうな顔を見て、一瞬だけ微笑んだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「素晴らしかったです!」

 

 水槽の定位置に座るセウスに向かってはしゃぐのは白のワンピースを着た少女、いや女性ウィンだ。

 

「ここまで来たかいがありました!」

「そりゃどうも」

 

 ふてくされた顔に戻ったセウスは頬杖を付いたままウィンの見下ろす。

 

「あの歌声! 店の演出! 素晴らしい!!」

 

 ウィンの興奮は閉店しても冷めず客がいなくなり、がらんとした店の中でセウスに向かって叫んだ。

 

「ありがとうございます。そこまで喜んで頂けると私も嬉しいです」

 

 ルミナルはそう言ってウィンに頭を下げる。

 

「はい! もう、どれも素敵でした! あの人の……知り合いの言ったことは本当でしたね」

「そのお知り合いとは……?」

 

 ルミナルの質問にウィンはふふっと笑う。

 

「彼が言ったのです。私のように歌声で毎晩ショーを行う者がいると。だからどうしてもこの目で見てみたくて」

……?」

 

 ルミナルとセウスはその言葉に首を傾げた。

 すると突然店の入り口に掛けてある鐘が鳴り、香りの違う風が舞い始める。

 

「あ、迎えが来たみたいです」

 

 そう言ってウィンが微笑む。

 

「この香……

 

 ルミナルは爽やかな緑の風に目を細めた。

 

「これが私の街の空気。森の香りがするでしょう?」

「お前……フェアリーか?」

「アタリです」

 

 セウスにウィンは微笑む。

 

「私も森の街で歌を歌ってるんです。ガーデンテラスのあるお店で、アフタヌーンティーを楽しむお店。そこのマスターが以前こちらに来て、私のように歌を歌う方に感動したと言うので、その人がどんな風に歌っているのか知りたくて」

 

 ウィンのハニーブラウンの髪が風に揺れる。

 

「本当に素晴らしかった。私も負けてられませんね!」

 

 そう微笑むウィンの背中にフェアリーの羽が光ながら姿を現す。

 

「お二人とも、素敵なお酒とショーをありがとうございました」

 

 ウィンの足先がゆっくりと地面から離れる。ふわりと舞い始める彼女の身体を見て、ルミナルは目を丸くした。

 ウィンはそのまま宙を舞い、水槽の上に座るセウスの方へと向かう。

 セウスは顔すれすれに近づいて来たウィンに驚き小さく叫んだ。

 

「それと、早く恋が成就しますように」

 

 耳元で吐かれた言葉にせセウスは「はあ!?」と声を上げる。

 その反応にウィンはふふっと笑い、ルミナルの前に舞い戻った。

 

「もし、良ければ今度うちのお店にも遊びに来てください! 素敵なひと時をプレゼントします」

 

 ウィンはルミナルの手を取り微笑む。

 

「ありがとうございます。是非、伺います」

 

 ルミナルは微笑み返し、手をしっかりと握った。

 ウィンはその言葉を聞くと羽を使い、宙を舞いながら店を後にする。

 風が鐘を鳴らし、扉が揺れる。彼女が去った後には日の光を浴びた木々達の香りがほんのりと残っていた。

 

「なんだよ、あいつ」

 

 セウスはウィンにつぶやかれた言葉に動揺しながら店の入り口を睨む。

 

「何? ライバル登場で驚いたの?」

「はあ!? 違う!」

「そう? じゃあ、明日もこの調子で頑張りましょ」

 

 ルミナルはそう言って水槽に手を添える。

 セウスは水の中へと入るとルミナルの近くに寄った。そして添えた手に自分の手を添える。それが今日の営業も無事に終わったという合図だ。