第一章1幕


 フワフワと意識が揺らぐ……。消え入りそうな感覚。まどろみの中にいる自分はぼうっとした頭で考えた。
 ああ、これは夢だ。そう思えば簡単だ。夢の中の空気は心地よい。少し嬉しくなる。

「すみません」

 夢の中の俺はそう頭を下げて、茫然と立ち尽くす男に謝っている。
 髪は黒で背も今より低い。学ランを着た自分。これは俺が人間の頃の記憶らしい。俺は目の前ににいる男にはっきりとした口調で話をしていた。
 辺りは閑静な住宅街。自分が昔住んでいた地域だ。大都会と言われた街でも少し都心から離れれば静かな街並みだ。そう、そんな場所に俺は住んでいた。
 どうやら昔通っていた道場の師範にこの道場を辞めると伝えたところのようだ。
 俺は夢の中にいることを感じながらその場の空気に身を捧げた……。

 

 

 

「すみません」

 そう言って俺は頭を下げ、道場の営業者である師範に謝った。

「え? いや、そんな急に? きょ……今日かい?」

 師範は俺の急な話に茫然と立ち尽くしそれだけを発する。

「はい、今日で」
「いやいや!」

 師範は俺の言葉を遮り、肩を掴もうと手を伸ばした。
 俺はその伸ばされた腕をすり抜けてもう一度頭を下げる。そしてくるりと向きを変え歩き出した。

「いや! 君みたいな才能のある子はそうそういない! 一緒にこの道を極めて……」

 師範が追いかけて来たが、俺は「すみません」ともう一度言うと、大きな門をくぐり大通りへと出た。

「どうしてだ? 君は強い、全国! いや、世界にだって!」

 師範の叫びは車の騒音にかき消されよく聞こえない。いや、聞こえないように俺が早く歩いているからか……。
 柔道、剣道、合気道。武術に分類されるものは片っ端から入門し、ある程度の頃合いになると辞めていた俺は、あれぐらいの引き止め方では何とも思わなくなっていた。
 俺は特に何かを極めたいわけではない。
 最初は単に母親に認めてもらいたかったんだ。妹につきっきりで俺に無頓着な母親を見返して「すごいね」と頭を撫でて欲しかった。
 それがいつの頃からか、そんな感情はどこかに消え、単純にどれほど戦えるのかを追求することが目的になっていた。俺は自分の家から通える範囲の道場やジムを転々とし、今もその一つを辞めたところだ。 耳がキンと冷えて痛い。真冬の空は薄くすすけていて、何ともすっきりしない天候だった。
 でも自分の心は晴れやかだ。道場を辞めたからではない。今日が妹『七海』の誕生日だからだ。
 家族で唯一、俺が信頼できる人間。この世で一番大切な人の誕生日だ。俺は柄にもなく浮かれていた。 病室で二人だけの誕生日会。いや、きっと担当医や看護師も祝ってくれるだろう。
 冷えた右手をポケットに入れると、小さな袋が指先に当たる。それは勇気を出して買った女性用の髪飾り。店員に笑われているんじゃないか、と顔を真っ赤にしながらやっとの思いで買った品だ。渡した後にその時の話をしよう。
 そうだ! 次に病状が良くなればその店に一緒に行こうと誘ってみよう。
 最近はあまり具合が良くないと看護師から聞いてはいるが、なんてことはない。きっと年越しを迎える頃には落ち着いてくるだろう。
 俺はこの正月こそは七海を家に帰してやりたいと思っている。二人で年越しのテレビを見て、夜更かしし、元旦は昼前に目覚めて、こたつで漫才番組を笑いながら見る。なんて素敵なんだろう。何度も考えた未来。
 大通りに面した歩道を少し小走りに進む。周りの木々を彩るネオンが、数週間後に来るクリスマスを今か今かと待ちわびるようにキラキラと光を放っていた。
「はぁ……」と吐く息は白く空に溶けて消える。
 早く病院に行こう。そしていつもの自動販売機でココアを買おう。
 何事もないような素振りをしながらプレゼントを渡したら、あいつはどんな顔で驚くだろうか。
 目の前の信号に捕まる。
 道場を辞めたことも伝えないと……。きっと七海の奴は怒るだろう。どうして我慢ができないのかと。  毎回同じ会話を繰り返す。けれどその繰り返しが俺には心地よくて、何度もしたいと思ってしまう。  信号が青に変わる。
 俺はあまりの寒さに左手もポケットに入れ、走り出した。


 ビ―――ッ!


 走り出した俺の視界に黒い塊が見える。その塊が大型トラックだと分かった時には、すでに俺を飲み殺そうと目の前に現れていた。

「え?」

 その一言で目の前が暗くなる。
 体の感覚なんてなかった。
 ただ、何も感じないうちに俺は……死んでいた。

 

 

 そよそよと春の風にカーテンが動き、窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。個室になっているこの病室は、まるで時間が止まったかのようにのんびりとした空気が流れていた。
  病室にある丸椅子に腰かけた青年は、窓の外の何気ない風景をぼんやりと眺める。
  良い天気。仕事のことなど忘れてしまいたい、と頬杖をついたまま大きくあくびをした。
  部屋の真ん中にあるベッドでは、黒髪をショートカットにした少女が静かに文庫本に目を通している。

「うとうとしていたよ……昔の夢を見た。懐かしい夢だったよ」

  青年はそう言葉にしたが、少女は何の反応もせずそのまま本のページをめくった。

「七海も、もう十七歳かあ……」

  その言葉が少女に届くことはもうないというのは分かっている。しかし死して四年もの月日をそうしてきた青年は、今日も少女に話し掛けるのであった。

「俺も人間の頃の名前を捨てて長い時間が経つよ」

  そう話す彼は今年で二十歳を迎えていた。
  青年は妹の頬に手を伸ばし添える。昔は感じていたはずの温もりは、もう自分の手には感じられない。
  死んだ時から人間である彼女と違う次元に生きている自分にとって、妹の体はコンクリートのように冷たく硬いものになってしまった。
  最初の頃は動転して何度も彼女の名前を叫び自分の状況を悔やんだものだが、時間というのは恐ろしい。長い年月が過ぎればそれすらも懐かしいと思ってしまうほどだった。

「まぁた、ここにいた!」

 透き通った女性の声に青年は後ろを振り返る。そこには自分の先輩である金髪の女性の姿があった。
  レイン、仕事サボってまたここ? このシスコンが!」
  レインと呼ばれた青年は、むっとした顔で金髪の女性に向かって立ち上がる。

「シスコンってところは……認めますけど、今回はサボってませんよ」

 窓から入る風が青年、レインの髪をなぞる。つむじ辺りは若草色だが毛先に行くにつれて、深緑へと変わっていく。グラデーションになったその髪は春の新芽に似て水々しく光を浴びながら輝いていた。天使の特徴である長く尖った耳。左耳には赤のピアスに黒のカフス。金色の瞳はどことなく歳よりも大人びて見える。背丈は低いものの、しっかりとした肉付きのいい身体だ。

「この後、役所に顔出しますからね。一応、今は休憩です」
「何が休憩よ。届け出と次の手続きを済ませる前に時間潰してるんだからそれはサボりよ」
「俺は先輩ほどまじめに仕事してませんから」
「あんたさ、軍人辞めてこうしているけど……いい加減ちゃんと何かに打ち込んだら? いつもいつもだらだらと」
「人間として死んで、天使として死に掛けて……もうこれ以上することはありませんよ」

 レインは先輩のいる窓に向かって立ち上がり、桟に足をかけた。この部屋は三階。窓の外は病院の中庭になっていて、植木がきちんと整備されている。

「七海、また来るから」

 レインは七海にそう伝えると、背中に収縮していた翼に力を入れた。純白の翼がレースのカーテン越しに煌めく。レインは七海に向かって左手の人差し指を上げると円を描いた。描いた空間は空気を振動させそよ風になり、ベッドにいる少女の黒い前髪をかすかに揺らす。

「おにいちゃん?」

 少女は見えていないはずの青年の方を向き、そう呼びかけてくる。

「もう行くの? いってらっしゃい」

 少女のその言葉を聞くとレインは幼い笑い方を妹に見せた。

「うん。行ってくる」

 そう言葉を残して翼を羽ばたかせ外へと飛び立つ。

「相変わらずおかしな兄妹」

 先輩が後に続いて飛び立ち、空へと舞い上がりながら声を掛けてくる。

「人間と天使は生きてる次元が違うのに、そこまでお互いを認知しているなんて」
「そりゃ普通に考えたらそうでしょうね」と、レインは彼女にそっけなく答える。

 今から四年前。あの寒い冬の日、少年はトラックと衝突して命を絶った。即死だった。
 死を迎えた魂は次の身体に移動し、新たな人間として生まれ変わるのが本来の在り方だ。しかし強い力を持った魂は時に天使として生まれ変わることがある。
 それが『転生天使』と呼ばれる者達。
 彼自身も転生を機に『レイン』という名を授かり、こうして現世の記憶を残したまま生活をしている。
 しかし、人間として死を経験したレインは七海とはもう話すことも、触れることも許されない。それが転生した者の理だった。
 それでもレインは構わなかった。病気で幼い頃から病室から出歩くことの出来ない彼女の側にいられるだけで、こうして仕事の間に顔を見られるだけで、レイン自身は満足していた。

「で? なんで先輩がここに?」

 レインは後ろから付いて来る自分の先輩に対し、溜息交じりの冷たい言葉を発した。
 わざわざサボっているなんて言いに来たわけでもないだろう。質問を投げかけるレインに先輩天使が「まったく」と声を漏らした。

「あんたに忠告してあげようかと思ってね」
「忠告?」

 レインはその言葉にふわりと翼を動かし、移動を止める。何度かの羽ばたきで病院を抜け、ビルの隙間から出てきた二人は、晴天の空で向かい合うように止まった。

「あんた目当てに、また軍の下っ端が役所の周りをうろついてる」
「またですか?」

 レインの眉間にシワが寄る。

「うん。今回はいつもより人数が多いみたい」

 レインは妹に向けた優しい顔を消し、苦い表情を先輩に見せた。

「何をさせたいのか……本気でもう一度『軍』に入れ直させるつもりなんですかね?」
「さあ、けど、なんか必死だったよ。顔色真っ青であんたを探してる」

 先輩天使の嫌そうな顔を見て、レインも「うわー」と、思わず声が出る。

「昔の職場はいつまでもあんたにお熱ね」
「何年前の話をしてるんですか? もう軍を抜けて三年ですよ?」
「それでもあんたの力を求めてるんでしょ? 元人間、転生天使の英雄さん」

 その言葉にレインは苦い顔をさらに渋くした。いつまで経っても逃げられない過去の話。
 七海とともに過ごした人間の頃の思い出と、転生しすぐに入隊した軍の記憶が脳内を駆け巡る。

「俺には戦場なんて似合わなかったんですよ。こうやって人間界で仕事してる方が性に合ってる」

 寂しげなレインの表情に先輩は少し悲しそうに笑った。

「忠告ありがとうございます。正門から入らないようにします」
「うん。その方がいいよ。捕まったらまたいつ戻って来られるか」
「ですよね」

 微笑むレインの顔に満足したのか、先輩天使は「じゃあ」と手を振り、反対方向へ羽ばたいて行った。

「さてと……」

  レインは自分の住んでいる居住区に向かって翼を羽ばたかせた。七海の病室に顔を出した心地よい昼下がりの気分が台無しだ。けれど先輩の忠告を聞いていてよかった、と気持ちを切り替えるしかない。
  上手く役所に潜り込めば、軍人達と顔を合わせずに次の仕事の手続きを取れるかもしれない。
  レインは大きく羽ばたき、遥か上を目指して飛んだ。
  すると青空の先に七色に光る膜が現れた。それは天界との狭間。シャボン玉の様に七色の膜はふよふよと揺れながら果てしなく広がっている。人間には見えないその別世界へと繋がる膜は、話によると地球全体を覆っているらしい。
  レインはその膜へと何の躊躇もなく突っ込んだ。すると通った部分だけが小さな音を立てて弾ける。しかし通り過ぎる頃には膜は修復され何事もなかったかのように空を漂っていた。
  膜を抜けたレインは上を目指すのを止め、今度は降下し始める。その遥か下には緑生い茂る大地と真っ白な建築物が見えていた。その建物に転生天使達が住む居住区と、その天使達を束ねる『役所』と呼ばれる施設がある。
  天界の果てにある区画が転生天使、つまり人間から天使になった人の住む居住区で、それ以外の天界の土地は『天界天使』が治めている。
  転生天使が行動できる土地はごく一部で、『転生天使』というレッテルが貼られている限り天界を自由には動けない。それが古くからのしきたりだ。
  天界にこれといって用事もなければ思い入れもないレインにとっては、今の居住区と人間界の七海の病室だけで全く不自由はしていないのだが。
  レインはそんなことを思いながら、翼を広げ風を受け止めつつ、ゆっくりと降下していった。

 ◇

 役所のメインホールに入る。メインホールは広々としていて天井が高い。
  天井のステンドグラスは日差しを浴びていつもと変わらず七色に光っていた。
 昼下がりの為か手続きをしている天使は数人で、辺りに黒い軍服はいないようだ。
 安堵の溜息を付いたレインはそのまま歩き出し、一番近い受付へと向かう。

「あら、レインお帰り」

 顔なじみの女性が右手で羽ペンを動かしながらこちらを見ずにそう言った。

「はい、戻りました」と、レインもそんな彼女に無愛想に答える。
「あんたを探して軍人がうろついてるわよ?」
「知ってる。だから遠回りしてここまで来たんだよ」

 そう言ってレインは疲れた、と言わんばかりにカウンターに額をつける。そんな青年を受付嬢は縁なしメガネを上げながらチラリと見た。

「毎回毎回、お疲れ様ね」
「そうだろ? 役所の権限であれ、どうにかしてくれよ」
「役所が軍に太刀打ちできるわけないでしょ?」
「そこを……なんとか……」
「無理ね」と、言い放った受付嬢は左手をレインに差し出した。

 会話を止められたレインは、仕方なくいつも通りにその手を握る。そして握手したその手に自分の能力を送り今日の仕事の報告をした。
 この役所は人間の『死』と『魂』についてを取り扱っている。人間は死ぬと魂となって世界から抜け落ちてしまう。それが魂のままで浮遊し続けてしまえば幽霊、悪霊となり人間界に悪影響を及ぼす。その『魂』、人間でいうところの霊を次の身体へと誘導し、新しい生命として誕生するまで見守るのが人間界での天使達の仕事だ。
 その中で能力値の高い魂はレインのような転生天使として生まれ変わるのだが、それは人間が出生するより遥かに少ない。
『天使と神は人間を監視し、魂を管理している』というのが人間達の知らないこの世界の在り方だ。
 レインの報告を読み取った受付の女性は、右手でその内容を紙にメモする。
 すると後ろの方からカラクリで動く台が女性の横へと流れて来た。女性はそのままその紙を報告書として台へと載せる。カラクリの台は動き出し、受付の女性の後ろに佇む大きな母体へカラカラと音を出しながら帰っていった。
 そこで収集された報告書は印刷区で本になり、書物庫へと保管される。幾年にも渡って行われてきた作業だ。
 一通りの作業が終わった受付嬢は手を離すと、憐れむような顔をレインに向けた。

「仕方ないでしょ? 三年前の『悪魔討伐戦の英雄』さん」
「やめてくれ……」
「じゃあ、あの時本気を出した自分を恨むのね」
「ですよねぇ」

 レインはもっともな言葉を聞かされ、顔を上げるとやれやれと頭を振った。

「次の仕事も受けていいか? このまま逃げ切る」

 もう一度手を差し出し、次の仕事内容を受け取ろうとしたその時。

「次の仕事は我々からお願いしたいのですが、よろしいですかな?」

 ポンと肩に大きくごつい手が置かれる。

「お久しぶりです、レイン少尉」

 恐る恐る後ろを振り返ると、そこには見覚えのある大きな男が立っていた。上から下まで黒ずくめの軍服。昔、慣れ親しんだ服装だ。

「もう、軍人じゃないので……その少尉ってのやめてもらえませんか?」

 レインは唇が引きつってうまく出ない声で大男にそう言った。

「これは失敬。レイン殿」と、軍人は言葉を訂正する。
  頭の中を『捕まった……』と言葉にできない叫びが巡る。

「ご愁傷様」と、受付嬢が言った言葉が寂しくレインの背中に突き刺さった。

「さて、御同行願えますか?」

 軍人はやっと捕まえたと安堵の笑みをこちらに向ける。

「ヤマト中尉がお待ちです」

 レインを困らせるその名前が出た時、『ああ、また当分、七海に会いに行けそうもないな』と直感した。

 ◇

「元気そうじゃないか」

 その声の主に、レインは今日一番の苦い顔を見せつけてやった。

「そちらもお元気そうでなによりです、ヤマト中尉」
「なんだよその言い方。遠慮なく普通に話してくれ」

 黒の軍服に黒の髪、黒の瞳。黒ずくめのその男はレインよりも頭一つ分くらい背が高く、体型もすらりとしている。軍が配給している剣が歩く度に金属音を出して揺れ、胸には以前より何個か増えているように見える勲章のバッジがキラリと光っていた。
 先ほどまで他愛もない会話をしていた大男の軍人は、ヤマトの隣で背筋をピンと伸ばしている。

「いつの間に中尉に?」と、レインは質問した。
「半年前にな。ま、座れよ」

 ヤマトはこちらに席を勧めながら隣の男にも楽にしていいと告げる。
 レインはあの後、転生天使で構成された中界軍の軍事基地に無理やり連れ込まれた。そしてこの部屋で約一時間も待たされた挙句、『腐れ縁』であるこの男が登場した。
 人間界を天使達は中界(ちゆうかい)と表現する。天使や神々の住む『天界』、人間が住む別次元『中界』、そして悪魔の住む日の光の入らない闇の世界『地下界』。
 天界、中界はそれぞれに軍が設立してあり、転生天使が入隊するのは『中界軍』だ。中界軍は人間界で起こる魂の暴走や悪霊の鎮圧、悪魔戦の援軍などを請け負っている。
 レインも天使になりたてで路頭に迷っていた頃、とある人に勧誘されこの軍に数年間所属していた。
  「君の魂の中に眠る未知なる力を思う存分使いこなしてみないか?」なんて謳い文句に釣られたというわけだ。
 人間界でなんとなく魂回収の仕事をこなし、せっかく生まれ変わった人生を無駄にするのか? 天界、天使、今まで見たことのない世界をもっと見てみたい。何より自分が人間の頃に持て余していた武術を、使ったことのない魔法にも似た『能力』を使ってみたい。そう思ったのはレインがまだ若かったからだろう。

「いつぶりだ?」
「さあ、式典以来じゃないか?」

 レインは不愛想に答えながら勧められた椅子に座る。小規模のブリーフィングができるように作られたこの部屋は、自分も軍に所属していた頃に何度か使ったことがある。

「お~! 式典以来か!」

  パッと嬉しそうな顔をするヤマトを見て、レインの気分がまた下がる。

「あの時は世話になった」
「あの時もこんな感じで監禁された気がするけどな」
「無理やりさせたとでも?」
「させてるだろ」

 一年前、レインは今回と同じように中界軍に捕まった。その時もヤマトの持ってきた仕事に無理やり付き合わされ、中界軍の大きな記念式典で模擬戦を披露させられた。
 相手はヤマト。しかも最後はヤマトが勝つようにしろという八百長。

「あの時はすごい評判がよかった!」
「そりゃあねえ。あんだけ派手にしたらねえ」と、レインはデスクに頬杖を付いてぶっきらぼうに答える。

 最後は互いに本気になり、武術だけでなく能力のぶつかり合いにまで発展したが、「ヤマトを勝たせなければ」と我に返ったレインが敗れたことで模擬戦は幕を下ろした。今となってはヤマトを出世させる為の材料に過ぎなかった、と確信している。

「そりゃ、『三年前の討伐戦の英雄』と『中界軍の黒騎士』の戦いですからな!」

  後ろに立つ男は、嬉しそうに眼を爛々と輝かせながら言い放つ。

「あの時の式典は今でも話題になります。今後も語り継がれるでしょう」
「大袈裟だなあ」

 ヤマトの言葉を遮るように大男は付け加える。

「いやいや、天界軍に我々中界軍がどれほどの力があるかを見せつけた大きなものでした。三年前の悪魔討伐戦でのお二人の活躍。そして一年前の式典でのデモンストレーション! 我々中界軍が天界軍からの圧力から解放される日が近いのではないかと皆が期待に心躍らせました」
「討伐戦からもう三年かぁ」

 ヤマトは大男の言葉を聞いてつぶやく。

「もうその話を掘り起こすのは止めてくれよ」

 盛り上がる二人にレインは今日何度目かの溜息を付いた。

「今回は思い出話をする為に呼んだんじゃないんだろ?」
「お! そうだった」

 ヤマトはそう言い、目をキラキラさせながら二人を見る大男に向かって「もういいぞ」と伝えた。
 一瞬残念そうな顔をした男だったが、ヤマトに向かって敬礼をするとレインにも軽く頭を下げる。

「失礼します。レイン殿、また機会があればお話をさせて頂きたいです」
「俺の話を聞いても軍の生活には何の役にも立たないですよ」

 レインは男に向かってヒラヒラと軽く手を振る。

 大男が扉をきっちり閉めるのを確認し、少しの間を開けてヤマトは軽く息を吸った。

「さて、もう分かっていると思うが今回も仕事だ」
「そうだろうな。しかも何だよ、部下にも言えない極秘ってやつか?」
「察しがいいな」

  ヤマトの顔が不気味に笑う。
 考えられるとすれば、人間達の生活に影響が及ぶほどの魂の暴走が起きた為、その回収に手を貸せと言うものか? しかしそうなれば今のレインを頼ることなく、自分の部下を引き連れて任務を遂行するだろう。
 今後人間界のどこかで大きな戦争が起こることを役所の能力者が予知し、戦死した魂の回収にあたらせるとか?
 別問題ならどうだろう。悪魔討伐戦に関することか? 過去の戦争経験者を募り、もう一度悪魔への攻撃を試みるとか……。
 はたまた、もっと恐ろしいことを考えれば地下界に住む悪魔との戦争を始めようってことではないだろうか? その為の人員の確保?
 考えを巡らせれば巡らせるほどレインの頭の中は悪い方向へと向かっていく。

「三年前みたいなことじゃあないだろうな。もうこりごりだぞ」

 椅子に深く腰掛けながらレインはヤマトに伝える。

「俺もそうならないようにしたい……とは思っている」
「おいおい」

 その歯切れの悪い返しに、レインは思わず背筋を凍らせながら吐いた。

「もうあんなのはごめんだからな?」
「分かっている。だからお前は軍を抜けて元の生活に戻ったんだろ?」

 ヤマトの言葉にレインは何かを言いかけたが、思い留まり口ごもった。

「今回は俺がお前を指名したわけじゃない」
「と言うと?」
「俺達二人をとのお達しだ」

  ヤマトは椅子に座り直すとゆっくりと口を開いた。

「天界親衛軍フィール元帥の命により、お前は一時的に軍に復帰してもらう。俺達二人は最神様の極秘護衛の任に就く」