いつもの自室。いつもの窓辺。いつもの夕焼け。しかしシラの心の中はいつもと違う感情が渦を巻いていた。体は冷えきり、未だに手足がまだ自分のものかどうかもはっきりしない。
初めて戦場という名の地獄を見た。軍人達はあんなものは序の口だと笑うかもしれない。
しかしシラにとっては、その片鱗を見ただけでも体の中を恐怖が巡っていた。
これから今回の自爆テロについて軍議が行われることになっている。それまで自分はここにいていいのだろうか。こうしてドレスに身を委ね、この場にいることが今、自分のするべきことなのだろうか。
祖父の政治は悪だったのか。母の行動は正解だったのか。自分はこれから何をしていくべきなのか。
頭の中ではたくさんの葛藤が渦を巻き、今は灰色の感情しか湧いてこない。
吐き気がまだ治らない。頭痛がする……。
シラはふと青年のことを想った。
「レイン……」
その名前を呼ぶと、灰色の心の中に少しだけ色が帰ってくる。
彼は自分の言葉を守ろうとしてくれた。自分の『人を殺すな』という気持ちに応えてくれようとしていたのだ。
しかしシラ自身を守る為にそれは破られた。
それを責めてはいけない。あの状況で彼の言う『エゴ』を通してはいられなかった。
――私の考えはなんと浅はかなのか……。考えなければ。自分がこれからすべきことを。まず今ここでするべきことは……。
シラは窓辺に立っていた身体を動かし、重く閉ざされた部屋の扉を開けた。
「姫様?」
部屋の外にはサンガが待機している。
「サンガ、これからの私の行動をあなたは見守ってくれますか?」
「なにをおっしゃっているんですか?」
サンガは険しい顔をしたシラを見て優しく微笑む。
「私はいつも姫様の味方ですよ」
「ありがとう」
そんな彼の暖かい微笑みにシラは安心し、少しだけ微笑み返す。しかし、すぐに気を引き締め廊下を歩き出した。
「どちらに?」
サンガがその後ろを着いてくる。
「二人に会いに行きます」
「レインはまだ治療中です。もうしばらく治療に時間が掛かると伺っています」
「ヤマトは?」
「レインの付き添いで治療室に」
「では治療室へ会いに行きます。サンガ、案内してください」
「はい」
サンガは返事をすると、シラの前を歩き始め「こちらです」と進む。
シラはそんな彼のオレンジ色の髪を追いかけながら、大きく息を吸うと、胸を張り箱庭から出た。
◇
サンガが案内したのは治療室が集合する治療塔だ。シラは彼を近くの中庭に待機させると、レインのいる部屋に向かって歩き出す。
「何故、姫様がこのような所に? お部屋にお戻りください」
治療室に向かう廊下を歩くシラの後ろを、何人ものメイドが着物の裾をすりながら着いてくる。
「こちらに用事があるのです。お構いなく」
「しかしここは姫様のような高貴なお方がお越しになる場所では……」
「いいのです」
「しかし……」
城の中を最神であるシラが単独で出歩くことはまずない。その彼女が城の最北にある医療関係の敷地を歩いているなどありえないのだ。メイドや医療スタッフがどよめきながらも、彼女を止めようと周りを取り囲む。
その行動にシラは渡り廊下の赤い手すりに手を添え、ピタリと止まった。メイドや医療スタッフも同じように止まる。
「私は最神です。私に何か意見を申すと?」
見たこともないシラの気迫にメイド達はたじろぐ。
「この先で働く者に伝えなさい。私に一切構うなと。それと治療している者以外の人払いをしなさい。命令です」
メイド達はシラの言葉に急いで頭を下げると、その命令を皆に伝える為に散り散りになっていった。
シラは静かになった廊下を歩き出す。サンガから聞いていた部屋に近づくと、庭園の隅に見覚えのある背中が見えた。
「ヤマト」
治療室のある廊下に面した庭にヤマトはいた。彼は赤い手すりに寄り掛かり、夕焼けに染まる庭園を眺めている。
「姫様」
ヤマトはシラの声に箱庭の外だというのを意識してだろう、手すりから手を離すとこちらに向かって敬礼をした。
「楽にしていいです」
シラはそんなヤマトに左手をあげ答える。
さすがのヤマトも疲れきっているようで、シラの言葉に力なく微笑みながら敬礼を止めた。
「どうしてこちらに? もうすぐ軍議でしょう? これから今回の話をなさるのでは?」
「人払いをしています。いつもの話し方で構いません」
シラの真剣な顔にヤマトは少し間を空けると「分かった」と言う。
「レインの容態は?」
「命に別状はないよ。エレクシアが俺達のことを上手く言ってくれたみたいだから、手厚く治療してくれてる。さすが城内の能力者だ。治癒能力もピカイチだな。ま、レイン自身もタフだから大丈夫だろう」
「そう、ですか……」
「けど最後にやられた左目はもう無理みたいだ。眼球をえぐられてて、治癒能力でも回復は難しいとさ」
ヤマトの言葉にシラの心が少しずつ冷えていくのが分かった。街中で倒れ血まみれになった彼の姿を思い出し、さらに不安になっていく。
「視力が戻らないのは、あいつもなんとなく分かってたみたいでさ。一瞬だけ意識が戻った時に、眼球を抜いてくれって頼んでたよ。義眼を入れるってさ。だから今それの治療をしてる」
「はい……」
シラの雲った声にヤマトは「シラが悪いわけじゃない」と付け加え庭を見つめた。
「君を守るのが今回の任務だったわけだし、そういう意味ではこの任務は成功だよ」
「しかし……」
「いいんだって!」と、ヤマトがシラの言葉を遮る。振り返りシラを見つめる黒の瞳は悲しそうに見えた。そんな彼の瞳にシラは言い掛けた言葉を飲み込む。
ヤマトは一度シラの顔を見ると、また庭園を眺めるように身体を赤い手すりに預ける。
「君がそういう感情を持ったら……あいつが悲しむ。あいつにはお前を守ったっていう名誉があるんだから」
「……はい」
シラは両手をきつく握った。後悔の感情が心の中をかき乱す。あの時自分が声を出さなければ。今朝あんな話をしなければ。城から出たいと言い出さなければ……。しかし、それを今ここで悔やんでいても何も解決しないのは分かっている。だから……。
「ヤマト」
「ん?」と、ヤマトはシラの顔を見ずに短く返事をした。
「話してください。三年前のガナイド地区悪魔討伐戦の話を……」
「それを聞きに来たんだろうなと思った」
彼は庭園を眺めながら一つ小さな溜息を付いた。そして少し間を開けた後、庭園に降りる為に作られた階段に腰を下ろすとシラを見上げる。
「長くなるぞ?」
「構いません。軍議の時間が押したとしても、私は今この話を聞きたいのです」
「そうか……」
ヤマトはシラの決意を感じ取ったのか、一呼吸置くとゆっくりと話し始めた。