第一章14-2幕


「よし! 各隊に分かれて行動開始だ! いけ!」

 ウォンロン中佐はそう言ってゴーグルを付けながら皆に声を掛けた。周りの仲間達は中佐の声に頷くとそれぞれ行動を開始する。俺もスズシロの背中を追って目的地へと歩き出した。
  雨は足跡をかき消すように降り続ける。
 化学班のカラクリであるスコープ付きのゴーグルにより、暗闇の中でも周りの仲間を見失うことは無い。身に着けた人物から最小限の能力を吸い上げ、視界をより鮮明に見せるこのゴーグル。これなしでは今回の作戦は困難だっただろう。天界軍達はこのゴーグル無しで暗闇を進んでいるのかと思うとぞっとした。
 七人の分隊での作戦。俺の部隊はウォンロン中佐や軍曹のスズシロを入れ、軍の中でも腕に自信がある者の集まりだ。
 俺は『大物ルーキー』なんてもてはやされこの隊にいる。しかし実際のところはジュラス元帥が最年少の自分をより安全な場所にと、ここを用意してくれたのかもしれない。大規模作戦の初陣である俺はそんなことを頭の片隅で考えながらスズシロの後ろを歩き続けた。
 会話もなく皆がウォンロン中佐の背中を追い続ける。暗闇の雨の中、獣道をただひたすら歩くのは精神的に苦痛を伴った。
 歩き続けて一時間。ウォンロン中佐は森の少し開けた所で足を止め、給水を取るように指示をすると近くの木へ背を預けながらメンバーを見回した。

「皆いるな?」

 ウォンロン中佐の声掛けに皆が頷く。緊迫した空気の中、俺も無言のまま頷いた。

「繰り返しになるが、今回の作戦を伝える。各部隊はそれぞれのショートゲートへ進行を続けている。俺達もあと二十分ほど歩けばゲート設置ポイントに到達だ。そのゲートを通過し、ガナイドに設置してある転移ポイントへと移動。ゲード通過は全ての部隊同時刻とし、移動後一斉攻撃。敵勢力の鎮圧に当たる。その後、各部隊はガナイド中心部へ進み、天界軍本部隊が通過できるよう新たなゲートを開設する」

 雨脚が激しい中での説明を皆静かに聞く。
 そんな周りにウォンロン中佐は「どの部隊がゲートを設置出来るかの競争だ」と皮肉を言いながら歯を見せた。しかしすぐに真剣な面持ちに戻し話を続ける。

「通過地点のショートゲートは最低保持人数である能力者二名で作製。俺達が通過後、すぐにゲートを破壊。敵勢力に本陣を悟られないようにする。つまり俺達は退路を断たれる。後戻りは出来ない。本隊用のゲート開通後は天界軍のお偉いさん達にお任せだ。俺達はそのまま天界軍の指揮下に入る。本陣が到着するまで、俺達で持ちこたえるぞ」

 ウォンロン中佐は最後の言葉を噛みしめるように話を終わらせた。
 本来ゲートは作製に大量の能力を使う為周囲に能力を感知されやすく、戦場での活用は困難だ。しかも繋げる場所どちらにも能力者が立ち、細かな座標の確認をしながら同時に同じだけの力を保持していなければならない、という難易度がある。
 そこで、この『ショートゲート』を使う。最小限の能力で作製するゲートで、人が一人通過できる程のサイズだ。
 ゲート設置で最も難しい転移先での能力保持がショートゲートには必要なく、小さな陣を描くだけで成り立つ。その上微量な能力で開くことが出来る為、周囲に存在を感知されにくく隠密性に長けているのが特徴だ。
 しかし問題点もある。それは能力を使わない代わりに体力を激しく消耗する為、長時間空間を歪ませることが出来ないこと。通常のゲートより距離が極端に短いことだ。
 軽いブリーフィングの後、ウォンロン中佐はカラクリの腕時計を見つめ、隊全体に向けて「時間だ。行こう」とだけ声を出した。
 雨の続く山道を歩き、ぬかるみにはまらないように足元に注意しながら進む。
 数キロ先にある今回の作戦地。そこに一歩一歩進んでいると思うと徐々に緊張が増していった。
 しばらく歩き続け、大きな木々の中を抜ける。すると同じ黒の軍服を着た仲間二人が腰を下ろしているのが見えた。二人の間にはショートゲートがうっすらと見える。ゲートの先は今の雨足より激しく降っているように見えた。
 ウォンロン中佐は歩くスピードそのままに一度後ろを振り返ると、手を軽く上げ進むぞとサインを出した。
 それを見て隣を歩いていたスズシロが俺に向かって頷く。俺もそれに答えるように頷いて見せた。
 ウォンロン中佐はゲートを作成している二人に向かって無言で手を上げる。二人はそれを見ると険しい顔をしつつその場で敬礼をした。
 中佐はそのままゲートをくぐって行く。後に仲間達が続き、俺もその先へと足を踏み入れる。
 軽く段差があったその先は民家の屋根のようで、俺達は瓦の上に立っていた。日本家屋や中国風の建物に近い街並み。どれも二階建てで屋根が同じ高さに続いている。辺りが暗い為、あまりはっきりとは見えないが、屋根の色も皆同じのようだ。
 全員が通り抜けるのを確認し、スズシロがゲートの元になる陣を描いたナイフを瓦から抜き取る。するとショートゲートは姿を消し俺達は退路を失った。

「時間だ!」

 雨音の鳴る中、ウォンロン中佐がそう叫んだ。
 その声を合図に、それぞれが能力で弓矢に火を付け、周りの家屋に放つ。放った炎によってまたたく間に爆煙が上がった。それと同時にあたりが一斉に明るくなる。
 同時攻撃の瞬間だった。
 雨の中、辺りの建物が次々と炎の渦に飲まれていく。
 俺は屋根の上から、赤く染まる光景を茫然と見下ろしていた。

「レイン! 後ろ!」

 咄嗟に発せられた仲間の声と、同時に感じた殺気で俺は後ろを振り返った。その瞬間、炎の灯りに照らされた刀が俺の頬を掠める。突然現れた白い塊に驚き、数歩下がった。
 目の前の塊は黒い翼をはためかせ、前に立ちふさがる。そこでやっとそれが白の軍服を着た人だということに気が付いた。彼の周りにさらに数人白い塊が現れる。皆黒い翼を広げていた。
 初めて見る黒の翼。それを見た途端、急に心の中に憎悪に似たものが渦を巻き始めた。俺の体の中で何かが反応する。
『悪魔だ』と魂が叫んでいる。目の前にいるのは共存できない存在。消さなければならない脅威。我々の敵。殺すべき魂。次々と頭の中に俺の意志ではない感情が溢れた。
『殺す……。殺せ……殺せ、殺せ!』と、魂が叫ぶ。
 悪魔を目の前にして感じる重圧と、頭の中を駆け巡る殺意に身体が悲鳴を上げた。

「ッ……!」

 俺はその感情に押し潰されそうになり、拳を強く握って歯を食いしばった。

「レイン、大丈夫か!」

 ウォンロン中佐が俺に声を掛けながら刀を握りしめる。

「魂の中に眠る悪魔への感情。これが天使と悪魔が共存できない理由だよ」と中佐は言った。
 どこかで聞いた。『人間は国境や宗教で分かり合えなかったが、話し合いにより共存できる道が存在している。しかし我々天使と悪魔はお互いの中に眠る魂に刷り込まれた感情がある限り、分かり合うという概念は存在しない。それはまさしく――――』

「呪い……」

 俺の言葉を遮るように、目の前の悪魔はこちらに向かって斬り掛かってくる。俺は戦闘態勢を取り、男の刀を受け止めた。雨の中にも関わらず、大きく火花が散り、刀が重なる。

「陣形を崩すな!」

 ウォンロン中佐は仲間に向けて叫ぶと敵へと走り込んだ。仲間達も中佐の後を追い、悪魔との交戦を始める。
 俺は目の前で刀を交えている男に目を向けた。俺と同じくらい、いや年下かもしれない。悪魔の少年は憎しみに満ちた瞳で俺を睨んでいた。
 俺と同じように軍服をまとい、雨の中髪を濡らして目の前の敵に刃を向ける。
 その姿は何か違いはあるのだろうか。翼以外は俺となにも変わらない……同じ人類ではないのか。
 しかし俺の中の魂が叫ぶ。この者は存在してはいけない。共存できない敵だ。『殺せ!』と、脳内で大きく叫ぶのだ。
 俺はそんな叫びに翻弄されつつ目の前の男に斬り込む。
 相手は俺の攻撃を受け止めながら数歩後退した。
 雨の為足場が悪く、男は屋根の下へずり落ちていく。
 しかし隙を見計らい、男がこちらに反撃してきた。
 繰り返される攻防。命のやり取り、魂の叫び、頭の中の感情……。
 何度目かの攻撃で相手の刀が俺の頬を掠めた。ゴーグルの紐が切れ、ずれ落ちる。
 一気に視界が悪くなった俺は、瓦に足を滑らせ体勢を崩した。その隙を狙い、敵の刀がこちらに向かって伸びてくる。
 殺られる。そう思った瞬間――。

『殺せ!』

 魂がより一層激しく叫んだ。殺せという殺意の感情に支配された俺は、崩した体勢を無理やり立て直す。そして刀を握り直し、迷いなく目の前の少年の心臓を貫いた。
 少年は大きな黒い翼を羽ばたかせ持ち堪えようとしたが、そのまま倒れ込むように屋根の下へと落ちていく。
 炎に照らされた少年の口がかすかに動いている。しかし何を言っていたのかまでは聞こえなかった。
 彼は激しい雨と夜の暗闇の中へと消えて行く。その痛みに歪んだ顔を俺は最後まで見届けることが出来なかった。

 ――殺した……。

 その実感が今になって襲ってくる。自分の刀を見ると先ほどの悪魔の血がべっとりと付いていた。雨がその血を洗い流すように降り続く。俺は大きく深呼吸すると、頬の怪我を撫でながら屋根に落ちたゴーグルを拾い上げた。

「全員いるな?」

 声を掛けられ顔を上げると、そこには少し安堵の表情をしたウォンロン中佐がいた。
 辺りを見回すと息を上げる仲間達の姿と、屋根の上で倒れる悪魔達が見える。
「レイン、大丈夫か?」と、ウォンロン中佐が俺の肩に手を置き、顔を覗き込んでくる。

「はい、大丈夫です。けど、ゴーグルが……」
「視界が少し悪くなるな。お前は俺の後ろに付け」
「はい」

 仲間達はそんな話をしている俺達の周りに集まり出す。そして各々怪我がないかを確認し合った。

「スズシロ、状況は? 見えるか?」

 双眼鏡を覗き込むスズシロにウォンロン中佐は問いかける。

「我々と同じようにゲート位置で、いくつかの部隊が攻撃に遭っているみたいです。あちこちで戦闘が始まっています」
「待ち伏せされていたのか?」

 ウォンロン中佐が苦い顔をしながらつぶやく。

「情報が漏れていたと考えるべきでしょうね」と、仲間が付け加える。
「この暗がりの中……向こうさんも用意がいい」
「元々戦闘は避けて通れない作戦でしたし、早まったと思いましょう」
「確かに……」

 そう仲間達が話しながら刀や弓矢の装備を整え始める。俺も刀を振り、残りの血を払いのけた。

「俺達は作戦通り建物を爆撃しつつ前進し、ゲート作製ポイントへ移動するぞ」

 ウォンロン中佐はそう声を掛け、炎の上がる街中へと走り始めた。
 中佐に続き家屋の上から飛び降り、翼を使って浮遊しつつ着地する。皆壁を伝うように前へと進んだ。
 あちらこちらで上がる炎に照らされいる為、視界はそこまで悪くない。ゴーグルを失った俺は何度も袖で雨を拭いながらウォンロン中佐から離れないよう進んだ。
 大きなゲートを作るにはそれだけの開けた場所が必要になる。その場所が目的地、大広場だ。
 いくつかの角を曲がった所でその大広場が視界に入って来る。どうやら広場の周囲は家屋が立ち並んでいるようだ。

「よし! ゲートを設置する」

 ウォンロン中佐は広場の中央の入り口でそう言いその場に立ち止まった。

「スズシロ、ゲートの調整を始めろ。座標が一致したらすぐに本部と繋げ」
「はい!」と、スズシロは付けていたゴーグルを外し、その場でゲート設置に使う工具を広げた。
「他の奴らはスズシロを援護しつつ敵の襲撃に備えろ」
「はい!」

 そう声を上げた瞬間、雨の動きが一瞬変わる。

「……ッ!」

 急激な殺気。先ほどのものとは桁違いの気配に俺は抜刀し、後ろを振り返る。しかし振り返った時、白い物体は俺に向かって攻撃を仕掛けてきていた。俺は刀で攻撃を受け止める体勢を取ったが、あまりの衝撃に体は宙を舞い、近くの家の壁へ吹き飛ばされる。

「………ッ!」

 俺は壁にぶつかった衝撃に声を上げることができず、その場に倒れ込んだ。

「レイン!」

 スズシロの声が遠くで聞こえる。しかしそれに反応することができず、俺は激痛とともに意識を失った。