第二章ノ壱14幕


 あの朝の一件から一週間が過ぎ、式典当日を迎えていた。

 あれからジュノヴィスは箱庭の書斎に入り浸るようになり、一週間のほとんどをシラと共に過ごしている。その為レインは彼女と話をするのは愚か、同じ部屋にいることも許されない日々が続いた。

 さらに、ジュノヴィスはレインが少しでもシラに話しかけようとすれば、何かと理由をつけて会話を妨害するような命令ばかりを出してきた。その内容は、茶菓子が切れているからとおつかいを言い渡されたり、花瓶の花が枯れ始めているから摘んで来いという小さなものから、自室に届け物がくるので部屋の前でその荷物が届くまで待っていろ、なんていう意味の分からないものまで様々だ。

 こんな陳腐ないじめ行為をされた場合、すぐに物理的解決をしてしまうのが本来のレインなのだが、今回はそういった行動が一切できない相手だ。

 天界天使と転生天使。貴族と一軍人の格差が大きく立ち塞がる。少しでも彼へ手を出したなどとなれば、中界軍の今後の活動や転生天使への関係性に悪影響を及ぼすのは目に見えていた。

 しかし日頃の愚痴を言えるヤマトやジュラス元帥は中界軍の軍事式典の為、箱庭に全く寄り付かない。

 そんな心休まる場所が無い現状。ジュノヴィスからどんなことをされても我慢をし続けなればならない苛立ち。模擬戦の勝敗。全てがレインにとって重みである。

 さらに、古き時代から伝わるあの唄を聴いて以来、寝つきが悪くしっかりとした睡眠がとれずにいる。

 レインはそんな極限にまで達している精神状態で、ジュノヴィスとの決戦である今日を迎えていた。

 式典は天界軍の誇る大きな観戦席が整備された模擬戦会場で華々しく行われる。

 本来は天界の果てにある中界軍の軍事基地で行うはずの式典なのだが、今回からは天界軍の中隊規模の人数が参加することと、最神であるシラと親衛軍フィール元帥の参加にあたり、特別にこの天界軍の基地を開催地としていた。

 模擬戦会場はスタジアムの形状になっており、ぐるりと観戦用に席が設けてある。

 その一番高い場所に煌びやかな装飾を施した椅子が用意されていた。、最神専用の観戦席に着いたのはつい先程の話だ。

 シラはいつもと違う白を基調としたドレスに身を包み、嬉しそうに観覧席に座って式典の始まりを待っている。

 レインは彼女の後ろに立ち、その光景を眺めていた。

 

「大丈夫か? レイン」

 

 そう声を掛けてきたエレクシアがレインの肩に手を添える。

 

「何がだ、エレア? いつも通りだよ?」

「いや、いつも通り……ではないだろう。顔色も良くないし、背中が何とも……」

 

 そこまで言ってエレクシアは言葉を詰まらせる。

「あはは」と、レインは乾いた笑いをしてみせた。

 

「よっ! みんな久しぶり!」

 

 そんな中、急に声を掛けられた二人は後ろを振り返る。そこにはにこやかに手を振るヤマトの姿があった。

 

「いやいや~いい天気でほんと良かった!  ってレイン、どえらい疲れた顔してるな。大丈夫か?」

 

 彼は最神観戦席へと入ってくると、顔色の悪いレインを見て驚き声を掛けてくる。

 そんなヤマトの明るい声にレインはさらに落ち込んだ。

 

「話は聞いたぜ! やってくれたな~」

「うるさい」

「面白い見世物を用意してくれたって中界軍の奴らが騒いでるぞ。どっちが勝つかを賭けて、向こうでは大盛り上がりだ」

 

 レインはヤマトが指さす方向を見つめる。遠すぎて見えないが、中界軍の奴らはそんなことで盛り上がっているのかと肩を落とした。

 

「あ、もちろん俺はお前に賭けてるからな!」

 

 ヤマトの声がさらに追い打ちを掛けてくる。

 

「おいヤマト、それ以上レインを追い込むな」

 

 エレクシアの声にヤマトは問題ない、というような顔をしてみせた。

 

「ジュノ坊っちゃんは?」

「精神統一と言って戦闘者控え室に行った」

「はあ? まだ模擬戦まで二時間以上あるぞ? どんだけだよ」

 

 エレクシアの言葉にヤマトは呆れるように声を上げた。

 しかし何かを思いついたのだろう。彼は急にニヤリと笑い、観戦席に座ったシラに向かって歩くと声を掛ける。

 

「シラ、久しぶり」

「ヤマト、お帰りなさい。式典の準備お疲れさまでした」

「俺はそこまで忙しくしてないさ。これから発表する技術者や研究チームの奴らに、後で労りの言葉でも言ってやってくれ」

 

 ヤマトは微笑み、今日のプログラムの書き綴った資料を渡す。

 

「そろそろ始まるな」

「そうですね。ここまで大きな式典に参加するのは初めてで、とても楽しみです」

「それは何よりだ。じゃあ何かと説明役がいるよな?」

 

 ヤマトの言葉にシラは首をかしげる。

 

「俺もレインもこの後、中界軍の方で参列しないといけないんだが……。ジュノヴィスが控え室に行ってて、俺達も中界軍の方に行ったら、熾天使が一人もいなくなってしまうな~」

「それなら私が……」

 

 エレクシアがすかさず声を出すが、ヤマトはいやいやと手を振ってその申し出を断る。そして嬉しそうにシラへ話しを続けた。

 

「姫さんのご要望なら、俺とレインがここで式典の内容をご説明して差し上げれるんだが……どうだろう?」

「え……?」

 

 その提案にシラは少し驚いた声を出しヤマトの顔を見つめる。

 

「あの事件以来、レインとあんまり話せてないんだろ? ジュノ坊ちゃんがいたらなかなか会話もできなかっただろうし、俺も一緒にいれば騎士の仕事として会話することもできるだろうからな。どうだ? ま、姫さんのご指示があれば……だけど」

 

 ヤマトはそう言ってシラにウインクをして見せた。

 

「はい! お二人にお願いしたいです!」

 

 シラは声のトーンを上げ嬉しそうに答える

 

「だとさ、レイン。仕事だ! そろそろ始まるから胸を張れよ」

 

 ヤマトにそう言われレインは肩を落としていた体勢から動き、シラの椅子の左側に立った。

 

「ヤマト……悪い」

「なに言ってるんだか。ジュノ坊ちゃんが来ても俺が上手くあしらうから気にするな。口ベタなお前の事だから、ずっと言い負かされてるんだろう?」

 

 ヤマトは嬉しそうに笑い、シラの椅子の右側に立つと胸を張った。

 太陽が丁度頭の上を通過し始めた頃、軽い発砲音が二度会場に鳴り響く。

 そして式典が始まった。

 

 ◇

 

『さて! 次の発表はこちら!』

 

 そう言って中界軍が開発した拡張型メガホンで話を進めるのは軍服の上に白衣を着る連中だ。

 式典会場の真ん中に作られた舞台で、眼鏡をかけた陰気臭い連中達が研究結果を次々と披露していく。発表内容は軍事的に使われるであろうものから、生活に役に立ちそうなカラクリの開発など様々だ。

 

「で、今回の式典参列者はフィール元帥と|最神《シラ》。そして、その護衛の熾天使の|騎士《俺達》が大御所ってところか」

 

 ヤマトが爆発物の研究結果を発表している舞台を眺めながらそう話す。

 

「そうだな」とエレクシアがその質問に答えた。

 

「フィール元帥は今どこに?」

「東に位置する親衛軍の観戦席にいらっしゃると思うが」

「ふ~ん。主謀者は自分の巣で高みの見物ってわけね」

「今、なんと?」

 

 エレクシアにはヤマトの発したその声が聞き取れなかったのか眉間にシワを寄せ首をかしげる。

 

「いや、なんでもない。で、ダスパル元帥は?」

「おの御方は来ないだろう。中界軍の式典だし、元帥全員がこの場に来るのは相応しくないだろうからな」

「まあ、確かに……。『中界軍と天界軍の間にはまだ溝がある。我々はまだ友好的ではない』と分かりやすく公表するなら、コレが一番効果的かもしれないな」

 

 ヤマトは顎に手を当てニヤリと笑う。

 そんな話しをしていると、舞台で出された物体に会場がどよめきの声を上げた。

 どうやら科学技術班が取り出したものは、掌に乗るほどの大きさで緑色の楕円の形をしている。

 

「おお!」

 

 レインとヤマトもその物体を見て声を上げた。

 

「え? なんですか?」

 

 シラはそれが何か分からずに不思議そうに首を傾げる。

 

『今回我々は手榴弾を研究し、ついに完成一歩手前、という段階までに至りました!」

 

「おおおおおお……」と、中界軍の軍人達は興奮したような声を上げた。

「まじか?」

「見た目はいい線いってるかもな」

 

 レインとヤマトは緑の物体をまじまじと見つめる。

 

「あれは何なんですか?」

「火薬を中に詰めた爆発物だよ」

 

 シラの質問にレインが答える。

 

「花火とは違うのですか?」

「うん。この世界の花火とかの火薬類は発火が遅いし威力も小さい。人間界の爆発物はもっと威力も大きいし、軍事的にも多く利用されてるんだよ」

 

 研究チームのリーダーらしき人物が、一通り開発の説明を終えると手榴弾の安全ピンを抜いて開けた場所に投げる。

 その緑色の物体は舞台の端にまで転がるが、なかなか爆発する様子はない。

 

 …………。

 

 会場にいる者が固唾を飲んで見守る中、手榴弾は数十秒の後にボンッと小さく爆発した。そのあまりの小規模な爆発に皆が不満そうな声を上げる。

 

「へ~~」

 

 レインとヤマトも同様にと期待が外れて残念な感情を声に出した。

 

「すごい! 能力を発生させずにあの場で爆発が起こった!」

 

 しかしシラは感動し嬉しそうに舞台上を見つめる。

 

『みなさ~ん! 去年よりは進歩してるでしょうが! 拍手! はく~しゅ!』

 

 そう叫ぶ研究チームの声掛けに、軍人達は渋々拍手を送る。

 

「一年かけてあのレベルか……」

 

 ヤマトの呆れた口調にレインも首を縦に振る。

 

「あの規模なら能力を使って攻撃した方が効率がいいもんな」

「実用化までの道のりは長いってことか」

 

 二人の会話にシラは不思議そうに首を傾げる。

 

「人間界の爆発物とは、そんなにすごいのですか?」

「そうだな……あの時みたいな……」

「あの時?」

「あ、いや。いい」

 

 レインはそこで言葉を濁す。

 あの時とは、シラを巻き込んで起こった爆弾テロのことだ。

 二ヶ月前に起こったあのテロで使用されたのはシルメリアが所持している爆発物だ。おそらく、今回中界軍が作成した手榴弾に似た物に近いのではないだろうか。

 人間の頃の記憶を残した転生天使ですら、あの規模の爆発しか生み出せない。人間界と天界との違いを解明しなければ、この世界でこれ以上の科学技術の向上は難しいだろう。

  あのテロに使われた爆発物はこの世界の物とは思えないぐらいの威力だった。人間界で開発されている物に近い。いや、それ以上かも知れない。そんな元人間である転生天使が生み出せない爆発物を『反政府組織・シルメリア』は使っている。それは一体どういう事なのだろうか……。

 ヤマトもレインと同じことを考えていたのだろう。難しそうな顔をして舞台を見つめている。

 

『続きまして! こちら!』

 

 メガホンを持った男が舞台に注目してもらうために大きく翼を広げ声を荒げた。

 すると、舞台にいる数人がナイフを地面に立て、能力を送り出し始めた。どうやらどこかとゲートを開通させるようだ。

 能力を加えたナイフからシャボン玉のように揺れる水面が現れ、それがやがてアーチを作りだす。

 

『はい! ここまでの作業工程は今使われているゲート、ショートゲートと同じ仕組みです』

 

 そう言ってメガホンを持った男がアーチになった空間転移装置を指さした。

 

『しかし! 我々が今回発表するのはテレビ電話ならぬゲート電話です!』

「おおおおおお!」

 

 周りの者達が期待を込めて声を上げる。

 

『電話は本来、電線で音声を運ぶモノですが、今回ご紹介するゲート電話は違います! 空間を歪め繋げるのでは無く、座標先の景色や思念を能力で映し出すというモノです。

 微量な力に相手の座標能力を送り続ける事で、離れた場所同士の会話を可能にします。

 空間を歪めているわけではないので、ショートゲートなどと比較できないほどに、ステルス性に長けた通信方法を確立させ、敵に感知されることはありません』

 

 男が説明をしている間にゲートの向こう側がはっきりと見え始めた。どうやら森の中に座標があるようだ。

 

『みなさ~ん! きこえ……』

 

 向こう側にいる白衣の男が声を上げた瞬間、プツリと画面が七色のシャボン玉の色味に戻る。

 

『問題点は通話時間が三秒であることです』

 

 その言葉通り、それ以降向こう側の座標を移すことはない。

 

「使えね~」

 

 レインとヤマトが同じ反応をする。

 

「着眼点はいいんだけどな。ゲートを作る為の座標を決める作業から設置、その後の能力を流し続けての維持を考えると、普通に開通させる方がいいだろうな」

 

 ヤマトの言葉にレインも頷く。

 

「だな、周りにゲート設置を悟られること無く通話できれば、情報戦がかなり有利になる。けど今のままだと実用は難しいだろうな」

 

 会場全体もそんな空気だ。

 

『皆さん! ここまで来るのにどれだけ大変か知らないから、そんな反応するんです! すごい進歩なんですよ! はく~しゅ!』

 

 その声に会場は拍手を送る。

 それからも数々のな研究発表が行われていく。すぐに生活に活用できそうなモノから、実用化するのか? と疑問視してしまうモノまで様々だが、どれもシラにとっては新鮮で楽しめているようで、どの発表にも目を爛々と輝かせて舞台を見つめていた。

 そんな式典も後半に差し掛かり、会場も十分に盛り上がってきている。

 

「レインそろそろ時間なのでは?」

 

 エレクシアの声にレインは「ああ」とだけ答え、腰に挿した刀の柄を握った。

 

「レイン……」

 

 シラが不安そうに声を掛ける。

 

「シラ、ちょっと行って来る」

 

 その言葉に彼女は静かに頷いた。レインはシラに頷き返すと椅子から離れ歩き出す。

 

「上手くやれよ」

 

 ヤマトがレインの背中にそう声を掛ける。

 レインは返事の代わりに手をヒラヒラと振り、出場者控え室に向かった。

 

「さて、どうなるかな」

 

 ヤマトはそんな背中を見つめながら不安な声を漏らした。