第二章ノ壱16幕


 ――ああ……頭が痛い。気分が悪い。ここ最近ずっとこんな調子だ。

 

 過去の戦果である『悪魔討伐戦の英雄』という二つ名のせいで、中界軍の何処に行っても一目置かれ、ここ最近は特に居心地が悪かった。

 逆に、城内の奴らからは『転生天使』というだけで蔑まれ、騎士になれば異端の存在と扱われる。

 いつどこにいても人の目から離れられない。誰かに見られている気がする。

 

 ――仕方がないことではないか……その事実は変えられない。受け入れていくしかないだろ?

 

 本当に? 『悪魔討伐戦の英雄』『熾天使の騎士』そんな肩書で自分が自分を縛っているのではないのか?

 

『自分自身を利用するんだ。お前の立ち位置を、お前の地位を、お前の生きてきた人生をレインという人物そのものを全て利用しろ。お前自身をお前が使いこなすんだ。そうすればお前はもっと上に行ける』

 

 ジュラス元帥の言葉がよぎる。

 

 ――自分を利用する……。自分とはなんだ? 

 

『レインはどうしてそんなに簡単に物事を受け止められるんですか?』

 

 シラの言葉が刺さる。

 

 受け入れているんじゃない。逃げているだけなんだ。全ての出来事から……。

 

 ――そしてこのまま目の前のこの男からも逃げるのか? シラを残して逃げるのか?

 

『お前はもっと欲深く生きろよ!』

 

 ヤマトの言葉が身体に染みる。

 

 ――自分の欲とは何だ? シラを守る、彼女の夢を守ることじゃないのか? その為に何をしないといけない?

 

  今、自分が最も欲することはなんだ?

 

 ――ああ、何もかもがイライラする。頭が痛い。息苦しい。

 

 ジュノヴィスには数々の嫌がらせを受けて精神的に参った。なぜ自分がここまでされなければならない。彼も自分も同じ熾天使の騎士だろう? 

 今回の模擬戦だって、彼の勘違いから起きた出来事だ。自分と彼女はやましい関係ではない。それを勘違いしたんだ。彼に非があるではないか。

 この模擬戦だってなぜ負けなければならない。中界軍の為? じゃあシラはどうなってもいいのか?

 あそこまで彼女のことを、彼女の理想を馬鹿にされてそれで負けていいのか?

 死の本当の意味を知らないこの男に……。

 

 ――このまま彼女をこの男に任せていいのか? これも仕方のないことと受け入れるのか?

 

 今まで溜めていた感情が爆発する。抑えきれない。

 

 ――俺は……彼女の隣に居たい! 彼女の夢を一緒に叶えていきたい! 

 

 なのに、なのにどうしてこんなにも自分はうまく立ち振る舞えないんだ。

 こんな自分に腹が立つ。そして、それ以上に彼女の夢を侮辱したこの男が……。

 

 ――許せない。

 

 ――――プツン。

 

 頭の中で鈍い音がした。

 

 ◇

 

 辺りは透き通った空気と、身体の芯まで冷やすような冷気が立ち込め、周りとの温度差に徐々に霧が出始めていた。

 

「きッ貴様!」

 

 ジュノヴィスは目の前のレインに恐怖し、数歩下がる。

 絶対にこちらに攻撃などしてくるはずがないと高を括っていたジュノヴィスにとって、このような出来事は予想だにしていなかった。

 金色の右目が霧の中で光る。その瞳はしっかりと殺意を込めて自分を見ていた。

 霧の中に佇むその姿……。

 

 ――恐怖。

 

 その感情に全てを支配されることなど今まであっただろうか。

 遠征に出ることはあれど、戦場にはまだ足を運んだことのないジュノヴィスにとって、ここまで死に直面すことは無かった。

 次の瞬間、目の前の敵が周りの冷気を身に纏いながらジュノヴィスに襲いかかって来る。

 

「ひいいいい!」

 

 ジュノヴィスは尻もちを付き、顔を引きつらせる。

 足音のしないその恐怖という名の物体は、一瞬で目の前に現れジュノヴィスを見下ろしていた。

 

「いいか? 俺は死を経験している。それですら俺は彼女に捧げた。彼女の為ならあの恐怖をもう一度味わうことになろうとも、決して臆することはない。だが、彼女の理想を侮辱したお前に俺の命をくれてやるつもりはない」

「……ッ!」

「彼女の夢を守る為に俺はここで生きている。その夢を壊す存在だというのなら」

 

 そう言ってレインは刀を大きく振りかぶる。

 

「俺はお前を殺す」

「ひいいいいいい!」

 

 刀の矛先が自分の首元に振り下ろされるのを見つめながら、ジュノヴィスが大きく叫んだ。

 

「双方、そこまで!」

 

 透き通る声が会場全体に轟く。凜とした彼女の声にレインはピタリと動きを止めた。

 止まった刃先はジュノヴィスの喉ぼとけの数ミリ前で光りを放つ。

 

「忠告だ。今後シラの夢を壊そうとするなら、俺はお前やお前の叔父であろうとも刃を向ける。それを覚悟しろ」

「あ……」

 

 ジュノヴィスはそれ以上言葉を発する事ができなかった。金色の瞳から見える『人を殺めることに臆することない意思』があまりにも脅威に感じたから……。

 二人はしばらくそのまま動けずにいた。その数十秒で、観客達が固唾を飲んで見守っているのが目視できるほど霧が薄くなっていく。

 レインは霧が晴れたのを感じるとジュノヴィスに向けた刀を下ろし、観戦席のシラを見つめた。

 

「この模擬戦、そこまで!」

 

 彼女は椅子から立ち上がり、堂々たる面持ちでこちらを見ている。

 

「レイン! 剣を納めなさい」

 

 シラの言葉にレインは刀をゆっくりと鞘に納めた。

 そしてジュノヴィスの方を振り返る事無く歩き出すと、舞台上でシラの席に最も近い場所で片膝を付く。

 

「姫様。大変ご無礼を致しました」

 

 レインがしっかりとした声でシラに話す。

 

「いえ、レイン。大義でした」

 

 シラの言葉に忠誠を誓うように、胸へ手を当て深く頭を下げる。そしてゆっくりと立ち上がり、レインは舞台上から静かに降りて行った。

 観客達は彼が舞台上から去るのを見届けると、今までで一番の歓声を上げる。それは会場が割れんばかりの大歓声だった。

 ジュノヴィスはその歓声を聞きながら唖然とする。立ち上がろうとしたが腰が抜けていた。

 歓声の中、自分の部下達が舞台上に上がってくるのが見える。手を貸してくれるようだ。

 

「あ、あいつは……いったい何者なんだ?」

 

 ジュノヴィスはその言葉をこぼし、舞台から消えるレインの背中を見つめた。

 

 ◇

 

 レインが深く頭を下げ舞台上から姿を消すと、それに合わせるかのように会場が大歓声に包み込まれた。

 それを確認したシラは椅子にペタリと座り込んでしまう。

 

「よく頑張った」

 

 ヤマトはそう言ってシラの肩を軽く叩いた。

 

「はい。すごく……すごく」

 

 シラの言葉が詰まる。両手を胸に押し当て、震える身体を落ち着かせようと深呼吸をした。

 先程見つめられた金色の瞳を思い出す。

 いつもの暖かい彼とはまったく違う。あれが、英雄と呼ばれ戦場を駆け巡った軍人の瞳……。

 

 ――あんなに冷たい彼の空気は初めて。

 

「ヤマト、私……」

「うん。皆まで言わなくてもいい」

 

 ヤマトはシラの言葉を遮るように話すと、もう一度肩を叩き、出入り口に向かって歩き出した。

 そんな彼にエレクシアは「どこへ?」と問う。

 

「ちょっくらレインをおちょくりにいってくるわ」

 

 そう言ってヤマトは先程の緊迫した空気を消し、ニヤリと笑って答えた。

 

「ヤマト!」

 

 シラはそんな彼に向かって声を掛ける。

 

「どうした?」

「レインを……お願いします」

 

 まだ震える手を押さえながらシラは彼に頭を下げた。

  そんなシラに驚いたヤマトだったが「大丈夫」と、いつも通りの笑顔を向ける。

 

「姫さんはなんの心配もするな。あいつが帰って来たらねぎらいの言葉でも掛けてやってくれ」

 

 そう言って彼は観戦席から出て行った。

 

 ◇

 

「や~や~!」

 

 そう声を上げながらヤマトは控え室に入った。

 静まりかえった部屋の中を見ると、蒼白の顔をしたレインがベンチに座り宙を眺めている。

 

「灰色に染まってるな」

 

 ヤマトは予想通りの状態にさらされているレインを見て、思わず安堵の溜め息をつく。

 舞台上での模擬戦を見ていた時はヒヤッとしたが、双方に怪我もなく終わったのであれば問題はないだろう。

 

 ――あとはこいつをなんとかするだけかな。

 

「な~に凹んでるんだよ」

 

 ヤマトは垂れた若草色の頭を大げさにどつく。

 するとレインは突然立ち上がった。

 

「やまとおおおおおおお!」

「うわあっ! なんだよ、急に叫ぶなよ!」

「どどどどどどどっどうしよう!」

 

 レインは涙目になりながらヤマトの両腕を掴み激しく揺らす。

 

「俺やっちまった! 余計な事もペラペラ話したし! 殺すとかって、あれは言葉のあやで……本当にジュノヴィスを殺そうとかそう言うことは考えてなんかなかったんだ!」

「お、お前……ジュノヴィスにそんなこと言っちゃったのかよ」

 

 ヤマトの呆れた声に、レインは白から青へと顔色を変える。

 そして口をあけたまま、両腕を掴んでいた手を離した。

 

「ヤマト……俺、どうしよう……」

「ん~お前が元気そうだから大丈夫だろう」

「大丈夫なわけあるか!」

 

 レインの動揺する姿に、ヤマトは思わず噴き出す。

 そんなヤマトの反応にレインはさらに大きな声で「笑い事じゃない!」と叫ぶ。

 

「ああああああああああ…………俺はなんてことをおおおおお…………」

 

 そのまま頭を抱え、ベンチに座り込む。

 

「ま、強いて言うなら。この後、閉会の辞で俺達の熾天使の騎士就任発表をするみたいだから、それまでにジュラス元帥に会っておけば?」

「それだ!」

 

 ヤマトの提案にレインは素早く立ち上がると、そのまま駆け足で控え室の出口に向かった。

 

「ヤマト! 俺、元帥に会って来る!」

「お、おう」

 

 彼のあまりの切り替えの早さに、ヤマトはあっけにとられながら手を振って彼を送り出す。

 

「やれやれ……」

 

 そう言って先程までレインがいた椅子に座ると、一度大きく溜め息をついた。

 ヤマトが足を組み一息ついたところで、舞台へ続く出入り口からグレーの服を着た天界軍の兵士達が控え室に入って来る。

 その真ん中には肩を担がれたジュノヴィスが見えた。どうやら腰を抜かしてまともに歩けないらしい。

 ジュノヴィスも先程のレインと同じような真っ白な顔でフラフラだ。

 

「まあ、眠っていた狂犬を叩き起こしたんだ。それぐらいで済んだだけマシ……か」

 

 その姿を見ながらヤマトは鼻で笑った。

 部屋の中に入ってきた兵士達がヤマトに気が付き、急いで攻撃の体勢を取る。

 

「貴様! なぜこの部屋にいる! ここは模擬戦の出場者の控え室だ。部外者の立ち入りは許可されていないはず!」

「あ~俺は部外者じゃないんだよね~」

 

 ヤマトは緊張感無く、足を組んだまま目の前で刀の柄を握る軍人達に笑う。

 

「なっ! ジュノヴィス中尉」

 

 そう声を掛けられジュノヴィスはフラリとヤマトの方を見たが、なにも言葉を発しない。

 

「あらま~相当お疲れみたいだな」

 

 ヤマトは少し馬鹿にしたようにジュノヴィスに声を掛けた。

 

「貴様! このお方をどなただと!」と、兵士が声を上げる。

 ジュノヴィスは他の兵士に支えられながら、近くにあった椅子に座らせられた。

 

「知ってる知ってる。シラの許婚でダスパル元帥の甥っこで俺と同じ熾天使の騎士の仮就任者」

「き、貴様も?」と、軍人達がどよめく。

「もうすぐその発表が始まるから楽しみにしておいてよ」

 

 ヤマトは数人の兵士に軽く手を振った。

 

「さ、俺もそろそろ中界軍の方へ行かないといけないかな~」

 

 そのまま会場が見える窓を眺めぼやく。

 

「あいつは……」

 

 そこでやっとジュノヴィスが口を開いた。

 

「あいつはいったい何者だ?」

「何者って?」

 

 そう質問してもジュノヴィスはそこで言葉を止める。そんな姿にヤマトは大きく溜め息をつき、足を組み直した。

 

「あのさ、ジュノヴィス中尉……あ、もう俺も熾天使の騎士として発表されるから、ジュノヴィスって呼ばせてもらうけど……」

 

 ヤマトは営業スマイルを切り替え瞳に殺意を込めてジュノヴィスを睨んだ。

 

「俺達『転生天使』は死を経験している。それは軍人としてお前達には考えられないほどの大きな違いだ。どの種族よりも死を恐ろしいと知っている。だから死を覚悟する気持ちはお前達よりも強い。そんな……」

 

 そう言ってさらに目を細め、ジュノヴィスを冷ややかに睨む。

 

「そんな俺達に向かって安易に死を語るな」

「…………ヒッ!」

 

 ジュノヴィスは恐怖を感じ小さく叫ぶ。

 ヤマトは青白くなっていくジュノヴィスの顔を見ると、また営業スマイルに戻り微笑んだ。

 

「さて、ジュノヴィスも閉会の辞に送れないように! 部下達もだ」

 

 ヤマトは席から立ち上がる。

 そして呆然とするジュノヴィスの顔を鼻で笑い、その場を後にした。