レインは控え室が続く廊下を駆け足で進んだ。
会場は東西南北に分かれた作りになっている為、元帥のいる場所までは少し距離がある。
模擬戦の結果をジュラス元帥はどう思っているだろうか。あの御方がここまで育ててきた、この組織を揺るがす問題になってしまってはいないだろうか……。
心臓が激しく鳴り響き、恐怖で指先が冷えていくのが分かる。
その恐怖を振り切るように、レインはさらに歩くスピードを上げた。
ほどなくして目の前に黒の軍服を着た者達が見えてきた。
「失礼します! この先にダスパル元帥はおられますか?」
少し早口に話し掛けながら近づいて行くと、目の前の軍人数人が驚いた顔をする。
「レイン熾天使! 模擬戦お疲れ様でした。閣下はこの先においでになっておりますよ。まっすぐ進んで突き当りの部屋です。どうぞ」
そう言って軍人は目の前にある扉を開けてくれる。
教えてくれた軍人に礼を言い、レインは駆け足でその扉をくぐった。
しかし、あまりの光景にその場に立ち止まる。
目の前に広がるのは黒の軍服に埋め尽くされ、大騒ぎになっている観客席だ。
どうやらそこは中界軍達が集まっている区画に出るものだったらしい。
「お! 今日の勝者のご登場だ!」
盛り上がっている中の一人が入り口で立っているレインを見つけ、わざとらしく叫んだ。
その叫びに気が付いた周りの者が「レイン! よくやった!」「何やってるんだよ! こっち来い!」「よっ! 熾天使の騎士様!」と、声を掛けてくる。
少佐や中佐達がレインに向かって来てゲラゲラと笑いながら肩を抱く。
気が付けば、レインの周りに大勢の仲間達が集まって来ていた。
中には見たことのある顔ぶれが何人か見える。悪魔討伐戦での生き残りの奴らだ。
「元帥に会いに来たんだろ? この先だ」
「ここで立ち止まってたら、こいつらにもみくちゃにされるぞ!」
「ほれ進め! 進め!」
皆に言葉を掛けられながら、レインは目の前に続く観客席の間の階段を下りて行く。
「久しぶりだな」
「お前、軍に復帰したって言うのに城に篭もりやがって、顔ぐらい見せに来いよ」
「よくやった!」
「英雄様の復活か?」
「若い連中がお前を今後の目標にするって叫んでたぞ!」
レインはそんな皆の盛り上がりに戸惑って返事を返せない。肩を叩かれたり、頭を撫でられたりされながらやっとの思いで前へ進む。
もみくちゃにされながらもたどり着いたのは重厚感ある扉の前だった。シラの観戦席の物と似ている。
「この部屋に元帥はいるぞ」
扉に一番近い所に立っている顔なじみの男がそう言って笑った。
「閣下に会いに来たんだろ? 中でお前を待っている。その前に身だしなみは整えとけよ」
「すみません」
その男に言われ、レインはボサボサの髪とよれた軍服を直す。
「あ、一ついいことを教えといてやる。お前とジュノヴィス、どっちが勝つかって賭けをしようって話になったんだが、み~んなお前が勝つに賭けやがってさ、賭け事にならなかったんだぜ」
「え?」
その話しを詳しく聞こうとするが、男はにこやかに笑いレインをぐいぐいと押していく。
「ちょっ! まっ」
レインは男に声を掛けれず、そのまま部屋の中に押し込まれてしまう。
中はシラの観覧席と似た作りになっていて、背もたれの長い椅子にジュラス元帥は座っていた。
レインはその姿を見つけると急いで「し、失礼します!」と声を上げ、敬礼をする。
「お! 来たな。ご苦労」
ジュラス元帥は扉の前に立つレインに向かって嬉しそうに笑った。
「か、閣下……自分は」
入り口の扉の前に立ったままのレインは、謝ろうと口を開ける。しかし、どう話しを切り出せばいいか分からず、言葉を詰まらせた。
「お前な……」
ジュラス元帥の声に思わず身をこわばらせ「はい……」と返事をする。
「よくやった! 実に面白かったぞ」
「え?」
怒鳴られる覚悟をしていたレインは、思わず気の抜けた声を出す。
「すごく良い試合だった」
ジュラス元帥のあまりの明るい声に、こわばらせていた身体から気が抜けていく。
レインは急いで「で、でも自分は!」と声を上げる。
「うん?」
そんなレインに向かって元帥は不思議そうに声を上げ首を傾げた。
「自分は勝ってはいけない試合なのに……」
レインが話し出すと、元帥はさらに首を傾げる。
「何で勝ったら駄目なんだ?」
「え? だって、この試合は」
「俺はお前に負けろなんて言っていないけど?」
「へ?」
「うまくやれ、とは言ったけどな。折角、鬱憤を晴らす機会だったんだ。思う存分想いをぶつけられただろ?」
ジュラス元帥は無邪気に笑い、レインに聞いてくる。
「な~に、なんの問題もないさ。もし天界軍から何かしらいちゃもんを付けられても『レインはもう熾天使の騎士。文句あるなら最神に言って下さい』って言ってやるさ」
「し、しかし!」
「大丈夫! 何かあっても俺がなんとでもしてやる」
ジュラス元帥は椅子から立ち上がり歩き出す。
「お前は胸張って『熾天使の騎士』として前へ進め」
そしてレインの頭を何度か撫でると、そのまま後ろにある扉を開けた。
その先には騒いでいる黒の軍服達の姿が見える。
「お前ら!」
ジュラス元帥が叫ぶ。するとそれを合図に騒いでいた連中は立ち上がり、元帥に向かって敬礼をして見せた。
「レインの勝利と熾天使の騎士就任を祝おうじゃないか! なあ?」
うおおおおおおおおおお!
ジュラス元帥の言葉とともにその場にいる黒の軍服に身を包んだ男達が大きく雄叫びを上げる。 自分を祝う声が会場へ鳴り響いた。
レインは唖然とその光景に立ち尽くしてしまう。
今まで経験したことのない気持ちに、心臓は先程とは違う鼓動を打っていた。
自分のことを慕ってくれる連中。暖かい空気。
それは鬱陶しくて、暑苦しくて、居心地のいい。悪魔討伐作戦前の頃に感じていた暖かい気持ちになる場所だ。
――何も変わっていない。何も変わっていなかったんだ。変わってしまっていたのは自分だ。自分が何もかも嫌になって逃げ出したから……。だから、これからは自分が前に進まなくてはいけないんだ。逃げてはいけないんだ。自分の意志でこの場所に戻って来たのだから。
レインはその歓声を身体で感じながらそう思った。
雄叫びを上げながら騒ぐ男達を眺めていたジュラス元帥に二人の部下が近付き、耳打ちをし始める。
ジュラス元帥はその二人に向かって頷くと、周りに手を振りながら声を張り上げた。
「じゃあ、俺は閉会の辞の準備に行くわ! お前らはこのままここで待機!」
その声で会場はまたガヤガヤとお祭り騒ぎが始まる。
気が付けば元帥はその場から姿を消していた。
レインは緊張から解かれていくのを感じ、思わず「はは……」と笑った。
◇
会場は先程の模擬戦で使われた舞台を解体し始め、閉会の儀を執り行う為の準備がされている。
シラはその光景を眺めながら、先程の模擬戦を思い出していた。
彼を怖いと思ってしまった罪悪感に駆られる。自分の為に戦ってくれた彼に何てことを思っているのだろう。
しっかり握った両手が微かに震える。
早く彼の顔を見たい。彼の優しい笑顔を見たい。そう思った。
「姫様……」
エレクシアにそう呼ばれ振り返ると、彼女の後ろにはダークグリーンの軍服に身を包んだ薄紫の髪の男性が立っていた。
「フィール元帥が御見えです」
エレクシアはそう告げると、その場から退席する。
代わりにフィール元帥がシラの元に歩み寄り、軽く頭を下げた。
「今日はお疲れさまでした。最神様」
いつもの笑顔を見せるフィール元帥に、シラは疑うような目を向ける。
「とてもよい模擬戦でございましたね。見応えもありましたし、これから熾天使の騎士達の活躍が期待出きるものでございました」
「……」
「私はレインが勝つと思っておりました。彼はとても強い」
「フィール元帥」
「はい?」
シラは話を進めるフィール元帥の言葉を遮る。
「今回の件……貴方はこうなることを予測していたのですか?」
「何のことでしょう?」
彼はとぼけるように首をかしげる。
「貴方はレインに何をさせようとしているのです?」
シラの言葉に今度は不気味に微笑みだす。
「彼には少し自覚が足りない」
「自覚?」
「彼は強い。天界、中界軍わせても、彼と同等の力を持っている者は少ないでしょう。そして彼はとても臆病だ。熾天使の騎士になるのであれば彼にはもっと自分の力を自覚し、威厳を備えてもらわなければなりませんでしょう」
「だから彼より高位なジュノヴィスを戦わせたと?」
「戦わせたのはたまたまです。たまたま最神様の悲鳴をお聞きして、私が駆けつけただけ。しかし今回の模擬戦を行うことにより、結果的に彼は少し何かを掴んだでしょう。自分の立ち位置がどこで、自分は周りにどう接していくべきか」
「……」
「私は彼に期待しているのです。今後の活躍を」
睨むシラの瞳にフィールの笑みが映る。
それは何とも不気味で、シラは何も言い返すことができなかった。
◇
ヤマトは鼻歌を交えながら中界軍の観覧席に向かっていた。
レインはあんなに怯えていたが、実際のところジュラス元帥はそこまで今回のことを危険視していない。
ヤマトはそれを分かっている為、余裕な顔をして鼻歌なんて歌っていた。
向こうでレインは皆にもみくちゃにされ、余興の一つにでもされているだろう。皆の熱量にあっけにとられ身動きできないレインの姿が目に浮かぶ。早く彼をその場から救ってやらなければと先を急いだ。
すると目の前に突き当たりが見える。
「ビンゴッ!」
そう独り言を吐き、指を鳴らす。
近道だと思ってこの道を通ってみたが、やはり間違いではなかったようだ。
あの突き当たりを右に二回曲がればすぐ扉が見えるはず。そこにレインとジュラス元帥がいるはずだ。
ヤマトは曲がり角に着くと、機嫌良くクルリとステップを踏み向きを変えた。
すると目の前に部下と話をしているジュラス元帥の姿が見える。
声を掛けようと口を開いたが、元帥と部下二人は何やら神妙な面持ちで話をしているようだ。
今声を掛けるタイミングではないなと、ヤマトは角を曲がらずに隠れるようにその場に止まった。
「それで、現状はそこまで深刻なのか?」
元帥が緊迫した声で言う。
「緊急を要するものではないのですが、早くご報告がいるかもしれないと中将が申されたので……こちらに」
「なるほど、で?」
「はい。また中界にて、天使達の|次元《こちら側》の干渉で人間が死亡しました。これで今月五度目になります」
「ん~問題だな。悪魔の痕跡は?」
「ありました。今回もゲートを使って何かをしていたようです」
ジュラス元帥はヤマトのいる曲がり角に歩みを進めながら部下からの報告を聞く。
「ここまで立て続けに中界で事件が起きるのは、休戦後、無かったのでは?」
部下が不安そうに言葉を吐く。
「そうだな。……いや」
ジュラス元帥が歩いていた足を止め、少し悩む素振りを見せた。
「四年前にもここまでではなかったが、大きな干渉があったな」
「それは初耳です」
「そうだな、あまり外部に漏らしていないからな」
「それはどのような事件なのですか? 今回に近い内容で?」
部下の質問にジュラス元帥は淡々と声を出す。
「レインが死んだ時の事故だよ」
「レインとは、先程の熾天使の騎士の?」
「ああ……」
ヤマトはその場で息を飲んだ。立ち聞きなどしてはいけないと思いながらも聞き耳を立ててしまう。
「あいつの死んだ事故はこちら側の干渉で起きたものだ。悪魔の痕跡の影響だった。彼は本来あの場で死ぬべき人間ではなかったんだよ」
「ッ!」
その言葉を聞いた途端、ヤマトはジュラス元帥の前へ立ちはだかっていた。
「ヤ、ヤマト……」
ヤマトの突然の登場に、ジュラス元帥は驚きの声を出す。
「閣下……そのお話、自分にもお聞かせ頂けませんか?」
ヤマトはジュラス元帥を睨みつけるように言った。