高校時代の環境は……一言で言えばフリーダム


 時代とは恐ろしいものだ。

 私がパソコンの前で文字を打つなど……。そう思いつつ文字を打ち込む日々が続いた。そして、それを印刷し、学校で手直しする日々。

 それこそ、学校の授業などそっちのけで。元々座った授業の嫌いは私は実習の多い学科に入ったのだ。普通科の授業なのど聞くことはまずない。

 クラスメイトも大半がそんな連中ばかりだ。机に座った途端、昼寝、漫画、雑談、ゲーム(しかも遊戯王を対戦)というカオスな状態だ。

 あ! 今、『ごくせん』とか『GTO』とかイメージしただろ? 決してヤンキー学校ではないのは伝えておく。普通科の授業はやる気がないが、実習や奉仕作業、地域とのイベント参加などではかなり好成績を残したクラスなのだぞ? 後に語り継がれるクラスなのだぞ!! 老人ホームに行けば喜ばれ、保育園に行けば喜ばれ、市役所の玄関の植木の世話をすれば喜ばれ……それはそれは優秀だった。

 授業態度以外は……。

 園芸科は1クラスしかない。3年間40人同じメンツで生活する。なので次第に息は合って来るので普通科の先生達を振り回すことなど容易い。

 面白いエピソードと言えば、クラスに一卵性の双子がいたのだが、新任の先生にはまず見分けがつかない。なので2人が席を入れ替わっておき、授業をして途中でどちらかを指名し問題をとかせようとすると「は? 兄は俺だし」「ああ? 俺が兄だし」「ふざけるな! お前俺の名前語ってんじゃね~ぞ!」「お前が弟の方だろうが!!」と掴み合いの喧嘩を始める。それでいつの間にやらボクシングの会場と化し、1時間丸々潰す。というのが春の恒例行事になっていた。(もちろん長年一緒に授業している我々はどちらか分かっている)

 あとは、我々が卒業してから3年後に他の学校と合併(と言う名の吸収)が発表され、我々の学校名が消え合併の校の名になるというのを聞かされた時はクラス一同がブチ切れ。「俺達の学校を守れ! この名を未来に残せ!」と校長室へ直談判へ(と言う名の殴り込み)。校長室へ向かう先で担任が立ちふさがり、「お前達の気持ちは分かる! しかし、県の決定なんだ! 分かってくれ!!」と我々に頭を下げた……なんて青春ドラマみたいなこともした。

 おっと、話がそれているので戻そう。そんなクラスで3年間暮らしたので創作は捗る捗る! なんてったってみんながみんな自由フリーダムなのだから!

 そして2年の半ば、なんとすごい現象が起きるのである。その名も『園芸科小説ブーム』

 そう、私が小説を書いているのが徐々にクラスに広まっていき、その度に読者が増えていく現象だ。40人中13人が読者になるという異常現象(単に普通科の授業が暇なので暇つぶし)。

 さらにさらに「なずなが書くなら私も書く!」とクラスで言い出す者も出始め、私のブルスカ含め当時は4作品が読みまわしされた。

 私はファンタジーだったが、他の小説は恋愛物であった。まあ、ブルスカ以外はそのブームが去った3ヶ月後には消えてしまっていたが……。

 しかし、そんな中で私は長く生活した。これは本当に力になった。周りがみんな読者なのだ。皆が私の作品を読んでくれる。感想を言ってくれる。続きを待っている。その環境は私の創作意欲を維持させた。

 本当にあのクラスでよかった。今でもそう思っている。私の宝だと思っている。