第一章15幕


「俺が知っていることはこれぐらい……」

 ヤマトはそう言い、目の前の茜色に染まり始める空を見つめた。
 話を聞き終えたシラは彼に掛ける言葉が見つからず、ドレスの裾を強く握り俯く。
 そんなシラをヤマトは黒い瞳で冷たく見ると、大きく溜息を付いた。

「レイン達の部隊が一番最初に目的地に着いた。俺達の部隊が駆けつけたのがその約五分後。その間にレイン以外の全員が仮面の男に殺されていた。俺達がゲートの設置を行なって無事に任務は遂行されたが、天界軍本隊がガナイドに進行したのは、ゲートを開通させた一時間後だった」
「……」

 ヤマトは感情を押し殺したように淡々と言葉を紡ぐ。しかし膝の上に添えられた拳はきつく握りしめられ、彼の気持ちを表していた。

「中界軍七百五十名のうち、生存できたのは六十五名。天界軍千名、負傷者ゼロ。そりゃそうだよな。俺達が敵を一掃した後に、天界軍はガナイドに到着したんだから。ゲートから来るはずの援軍を待ちながら俺達は一時間もの間、敵陣の中でゲートを守り続けた。ゲートを死守する為、何人も仲間が死んだよ」
「…………」
「レインはその本隊が到着するまでの一時間、本当に数えきれないほどの悪魔を殺した。俺なんか悪魔を二、三人斬っただけ。あいつに比べたら全然。
 けどゲートを開通させた部隊の中で生き残ったのは俺だけだったから、黒騎士なんて呼ばれてもてはやされた。ゲートを守りながら仲間の死をただ見てただけの情けない話。
 だから本当にあの戦場で戦果を出したのはあいつだよ。それに、今日聞いた街の人々の『英雄は二十四番隊』という言葉。あの作戦で成果を上げたのは俺達だ。なのに天界に住む民はその事実を知らない。知らないどころか、ねじ曲がった情報が世に出回ってるのはなんでだ? あの一時間、天界軍は俺達を見殺しにしたばかりか、仲間の死もこの世で無かったことにしたのは……」

 そこでヤマトは言葉を詰まらせ、もう一度大きく溜息を付いた。そんな彼の言葉がシラの心に刺さる。
 自分がその一時間の命令を下したわけではない。しかし今ここでヤマトに弁解したとしても、その事実はなにも変わらない。
 自分の浅はかな考えと、大人達に頼った決断のせいで三年前の悲劇は起こった。そしてその悲劇は世に出ることなく、今も彼らの中で生き続けている。
 ヤマトは一通り話し終わると立ち上がり、大きく翼を広げ伸びをした。黒髪が夕日に光り、揺れる。
 そんな彼の背中を見つめながら、シラは何か声を掛けようと口を開いた。しかしどんな言葉を掛ければいいのか分からなくなり、その場でただ佇むことしか出来ない。
 夕焼けを眺めていたヤマトは後ろを振り向く。そして冷たい瞳のままシラを見つめた。

「あの三年前の出来事で、レインは理解して納得してしまったんだ。世界の在り方や自分達の存在に。けど俺はあいつみたいに割り切って生きるつもりはない」
「…………」
「俺は全てを覆したい。転生天使の在り方も、中界軍の地位も、今のままで終わらせるつもりはないよ。だから俺は軍に残った。あの時みたいな苦しみをもう二度と起こさせない為に。俺は天界天使が作ったこの世の理を覆す。あの日から俺はどんなことをしてでも軍で上へあがると決めたんだ」

 ヤマトの黒い瞳が力強くシラを見つめる。その瞳の先には揺るぎない決意が見えた。
 この人はなんと強い人なのだろうと心から思った。そして自分はなんて弱いのだろうと……。
 過去の戦争。ガナイド地区の悲劇。人の命を奪うこと。守ること。生かすこと……。
 自分のエゴ、レインの気持ち、ヤマトの思い。全てが心の中で渦を巻いている。
 心が叫ぶ。辛い、苦しい。今までのように何も見えていなかったあの頃に戻りたいと。
 しかしこのまま元の生活に戻ってしまっては、レインやヤマトの気持ちも、自分のこの苦しみも全て無駄になってしまう。

『我ら軍人は貴女の言葉で動きます。貴女の行動で全て変わるのです。人一人の命も、この世界も、この世界に生きるもの全てが貴女様のお言葉一つで変わるのです。それをよくお分かり頂きますよう』

 ベルテギウス大佐の言葉が蘇る。深く悩んでいく……深く……深く。

「最神様……」

 突然、庭から聞こえた声に、シラは顔を上げる。
 そこには小柄なダークグリーンの軍服姿の少年が姿を現していた。
「ポルクル少尉?」と、ヤマトが声を掛けると少年は怯えたように肩をビクつかせた。
 そしてぐっと両手を握りしめ、シラの方を向くと深々と頭を下げる。

「人払いをなさっているにも関わらず申し訳ありません……。フィール元帥閣下が至急、最神様に謁見をお願いしたく……」

 その小さな声にヤマト、シラは互いを見ると、ポルクルに視線を戻した。

「至急ですか?」

 シラは出来るだけ優しい声で問いかける。ポルクルは「はい……」と頷いた。

「フィール元帥はどちらに?」
「隣の棟にある別の中庭においでです。起こし頂けますでしょうか」
「分かりました。案内をお願いします」

 シラは別の中庭まで呼びつけるフィール元帥への違和感を覚えるが、緊急性のあるものだろうとその言葉に従うことにした。

「ヤマト、ありがとう」

 シラは中庭へと数歩進んだ先で後ろを振り返り、彼にそう伝えた。
 驚いた顔をするヤマトへもう一度「ありがとう」と口にする。
 彼の黒い瞳の中にまだ何かが渦を巻いているように見えた。しかしその部分を隠すように、ヤマトは表情を崩すと力なく微笑む。

「俺も君に自分の気持ちを伝えられて良かった。少しスッキリしたよ」
「はい。私もヤマトの言葉で気持ちが固まりました。私のエゴはこの世の理から外れている。今はどうあるべきか……。今の世界の在り方を壊すにはどうするべきか、それが見えました」
「うん。なら良かった」

 シラはヤマトに笑いかけると、ポルクルの後を追うように治療室の中庭を離れた。

 ◇

 ポルクルに導かれ、シラは別棟の中庭に移動する。
 中庭の池に架けられた石橋の上に、フィール元帥は夕日を眺めるようにして立っていた。
 ダークグリーンの軍服に身を包み、薄紫色の髪をなびかせる彼の元に向かうと、元帥はその場で片膝を付きシラを迎え入れる。
 フィール元帥の右隣にはポルクルと同じ顔の赤茶髪の少年がいる。ポルクルはフィール元帥の左隣に歩み寄ると、二人は彼と同じ姿勢をとった。

「最神。突然のお呼び出し大変失礼いたしました」

 フィール元帥は頭を垂れ、背中の翼を地面につけると話し出す。

「いえ、構いません」と、シラはそんな彼に向かって首を振った。
「こちらはポルクル少尉。そしてカルトル少尉です。私の忠実な部下ですので、ここでの会話は……」
「要件を聞かせてください」

 流調に話し始めるフィール元帥の言葉へ被せるように、シラは声を掛ける。
 人気の無い別棟の中庭にまで呼びつける程の話だ。きっとよからぬことだろう。シラは身を引き締め、頭を下げるフィール元帥を見つめた。

「緊急を要するお話しでしょう?」

 シラの質問にフィール元帥はゆっくりと立ち上がると頷く。それに続けて両隣の双子も立ち上がった。

「これから始まる軍議についてです」
「今日の城下街でのことですね」

 フィール元帥の淡々とした声に不安を感じながら、シラは話を続ける。

「はい。今回の事件……ガナイド地区の生き残りが起こした自爆テロとして処理されると思いますが、軍人や民に死者が多数出ております。さらに最神を危険な目に遭わせたとして、責任を取る者を選ぶ運びになると考えられます」
「それで?」
「その全責任を中界軍に取らせるよう、軍議の流れを作ろうとダスパル元帥はお考えのようです」
「ダスパル元帥が? 今回の件は中界軍はなんの関係もないでしょう?」

 シラはフィール元帥の言葉に眉を歪ませた。

「はい。しかし中界軍の二人がきちんとしたルートを通らなかったこと、時間通りに行動をしなかったことを挙げるようです」
「そんな……あの状況で」と、シラは言葉を詰まらせる。動揺するシラにフィール元帥は頷いて見せた。
「姫様のお気持ちは分かります。しかしダスパル元帥は何かが起こった際、中界軍にその事を追及するつもりで、今回の任務にヤマトとレインを指名したようで……。このようなテロが起きてしまっては……」

 彼の語る内容にシラは言葉を失う。
 今回の視察は全て仕組まれていたということなのか? このような事態になった時に天界軍、親衛軍ではない彼らに全てがのしかかるように計算されていたと……。

「中界軍の責任となるとどうなるのです?」
「最神の身を危険に晒した、テロ現場に遭遇させた罪……極刑かと」

 シラの質問にフィール元帥は顔色を変えることなく答える。

「そんな! おかしいではないですか!」

 その答えにシラは思わず声を荒げた。

「彼らは私を守ってくれたのですよ! あの戦火の中、私を命がけで守ってくれたのです」

 シラが怒りの声を上げると、二人の少年兵が恐怖で震えあがった。だがフィール元帥は、先ほどと同じように顔色一つ変えず話を進める。

「しかし今回の事件、これが最も早く効率が良いかと」

「そんなこと!」と、シラは思わず言葉を詰まらせる。

「姫様。今の政府はそのようなつくりなのです」
「おかしい、おかしいです!」

 シラは下唇を噛むと両手を強く握りしめた。

 ――このままでは二人が殺されてしまう。そんなの絶対におかしい。自分のワガママで二人を呼んだのに、その責任を取って極刑など。それが中界軍だから、転生天使だからという理由で……。

「そこで」と、フィール元帥が少しだけトーンを上げ、話を切り出す。最程とは別人のように彼はにこやかに人差し指を上げた。

「姫様にこの状況を打開する方法をお伝えに参りました」
「本当ですか!」

 シラはその言葉にすがるようにフィール元帥を見つめる。
 彼はにこやかな顔を崩すことなく「はい」と返事をした。

「姫様にしかできない方法です」
「教えてください。彼らを助ける方法を!」

 シラの必死な声に、フィール元帥は口角を上げ不気味に笑った。