第一章16幕


 シラはサンガの髪を見つめながら軍議の間へと進んだ。目の前を歩くオレンジの髪が夕日によってさらに明るく光る。
 渡された資料は全て目を通し、自分の伝えるべきことも頭で整理した。

 ――落ち着け……。大丈夫。自分が二人を助けるんだ。

 廊下を歩きながら、シラは何度もそう心の中で唱える。

 ――胸を張れ。昔の自分とは違うんだ。周りに流されるな。助けるんだ、大切な人を。

 シラは「大丈夫……大丈夫……」と、口元を動かす。

 するとサンガが立ち止まり「姫様?」と、こちらを振り向いてきた。シラも慌てて止まる。

「……あれ?」

 そこはすでに軍議の間の大きな扉の前だった。

 その扉の両隣に槍を持った二人の兵士が立っている。兵士に向かいサンガは一礼すると、シラに微笑み扉の前に立つよう促した。

「お時間ですよ」というサンガのいつも通りの優しい声に少し心が落ち着く。

「ありがとう、サンガ」

 シラはサンガへのお礼を言うと扉の前に立ち、大きく深呼吸をした。そして兵に向かって頷く。
 扉の前に立つ二人の兵士はシラへ敬礼をすると、一呼吸置いて両扉をそれぞれ開け放った。
 大きな音とともにゆっくりと扉が開く。
 シラは胸を張り、扉の先へと踏み込んだ。
 雑談をしていた会場内は、シラの登場で静まり返る。三十人程の軍人と十数人の元老院達は胸に手を当てるとシラに頭を下げた。
 いつもと変わらない風景の中、シラは一番前に用意された大きな背もたれの椅子へと向かう。
 今までのシラならこの緊迫した空気に飲まれてしまい、軍議内では一切発言することが出来ずにいた。
 しかしもうそれでは駄目なのだ。自分は神。『最神』という自分の言葉の力で軍議を動かし、二人を助けなければ。
 シラは自分の椅子に座ると背もたれに一度寄り掛かり、目の前にある資料に目を通す。そしてどれも見ている資料ばかりなのを確認すると顔を上げ辺りを見回した。
 会場内はグレーやダークグリーンの軍服がほとんどを占めている。
 ダークグリーンの軍服に身を包んだ親衛軍フィール元帥と、グレーの軍服を着こなした天界軍ダスパル元帥は、それぞれが率いる軍の先頭に座っていた。
 右端に座るのはアイボリー色の正装に身を包んだ元老院達。十数人の老人達は何かを相談しているらしく、まだ小さな話し声が聞こえる。
 一番隅に座るのは黒い軍服ジュラス元帥。中界軍は彼一人だけだ。

「では! これより」と、グレーの軍服の一人が立ち上がり、資料を見ながら話し出す。
「前置きはいいです。時間が惜しい」

 シラは手を上げ、その言葉を遮るように止めた。

「し、しかし……」

 資料は皆さん各自で目を通していますね。今回の事件は私も当事者の為、細かい説明は不要です」
 不安に押しつぶされそうになりながらも、シラは会場内の全員に届く声を出した。
 心臓の音がうるさいと感じる程、身体の中で鳴り続けている。しかし、ここで臆するわけにはいかない。
 凛とした出で立ちでまっすぐ前を向き、胸を張る。
 そんないつもと違う行動を取るシラに、この場にいる全員が目を疑う素振りを見せた。見違える姿に皆が動揺する。

「では、結論から申しましょうぞ」

 その会場内に低く重みのあるダスパル元帥の声が響く。
 シラは声の主へと目を向けた。ダスパル元帥は黒い瞳でシラを見つめる。いつもはそんな視線に耐え切れなくなり、目をそらしてしまう。しかし今のシラはその瞳から目を背けることはしなかった

「今回の事件はガナイド地区の生き残りがけしかけた自爆テロ。そのテロが何故、最神様の外出時に起きたのか……これはどこからか情報が漏れたと考えるのが妥当でしょう」
「いや、待て、ダスパル元帥」と、元老院から声が上がり、彼の言葉をかき消す。

「姫様の外出は一ヵ月前の会議にて、保留となったのではなかったかな? 何故、我々になんの相談もなくこのような事態になったか、経緯をお聞かせ頂きたい」

  一人が声を上げると、それに合わせ一斉に元老院達が騒ぎ出す。

「我々に断りもなく姫様を連れ出して、このような事件へと巻き込むなど!」
「しかも同行したのは転生天使と言うではないですか!」
「信用ならぬ転生天使を連れてなど! 軍は何をお考えか!」

 さらに元老院達が騒ぎ出す。相手の失態をここぞとばかり叩こうと声を上げる姿は、いつもの軍議の光景だ。

「今回の事件も転生天使とガナイド地区の者が裏で……」

 その言葉が元老院から出た瞬間、ダスパル元帥は口元を緩ませながら、ゆっくりと背もたれへ身を預ける。それをシラは見逃さなかった。

「そうだ! 野蛮どもの考えることだ」
「なんと恐ろしい!」
「蛮族が!」

 元老院達の声がさらに大きくなり、話が中界軍へ傾いていく。
 こうなることをダスパル元帥は図っていたのだろうか。
 元老院達の騒ぎを止めようと、シラは大きく息を吸い声を上げる。

「それは私がダスパル元帥に申し出たのです!」

 その突然の言葉に元老院達はピタリと発言を止めた。そして最神の椅子に座るシラを唖然と見つめる。

「私がどうしてもとダスパル元帥に頼んだのです。元老院に話を通さなかったのは反省しています。これからはこのような場を設けるべきですね。
 転生天使の二人は私を守ってくれました。とても勇敢で、そのおかげで私は無事に城へ帰還することができました。そこで、私から皆さんにお伝えしたいことがあります」

 シラの透き通った声が広い会場内に響く。力強い発言に皆がその姿を見つめ、今までにない気迫にさらに静まり返る。

「私をあのテロから守ってくれた二人を『熾天使の騎士』に任命することにしました」

 その発言に会場内がどよめき出した。

「姫様! 何てことを!」
「早くそのお言葉の撤回を!」

 元老院達が一斉に慌てふためき出す。

「上級天使階級を……そんな転生天使に!」
「成人の儀まで後二ヵ月もございます。儀式前に騎士をお決めになるなどと!」

  騒ぎ立てる元老院とは違い、天界軍、親衛軍の軍人達はどよめきながらもシラの発言を聞こうとこちらに耳を傾けている。

「私の命は彼らが守ってくれたのです。これこそ本来の騎士たる者の務め。それに何の問題がありますか?」

 シラは胸を張ったまま、元老院を見つめた。そんな眼差しに負けじと彼らは更に騒ぐ。

「彼らは転生天使ですぞ! 姫様!」
「転生天使が騎士をしてはならない、という記述はどこにもありません」
  確かにそうですが、前代未聞! 転生天使を上流階級天使になさるおつもりか?」

 上流階級は古き時代の天使階級の話。今はきちんと貴族階級があるのですから、今更過去の階級を気にする必要がありますか?」

 シラの言葉に少しずつ元老院は押されていく。

「騎士とは本来成人の儀の後、一年間掛けて探し出し決めるのが習わし。きちんとした審査や推薦などを得て……」
「祖父の代ではその審査はなく、その場にいた軍人を騎士にしたと記述がありました」
「それは戦下でのこと、今は……」
「では、今は今のあり方で問題ない。そうですよね?」

 そこで、パンッという音が会場に響く。それは黒い軍服を身に纏ったジュラス元帥が手を合わせ鳴らした音だった。

「いや~! 良いではないですか。熾天使の騎士とは元々軍人や貴族の中から三人が選ばれるもの。転生天使と言えど、彼らも中界軍の軍人です。それに今回の事件、中界軍はなんの関与もないのですから」

 ジュラス元帥が声高らかにそう話す。ひ弱そうな身体には似合わない力強い声だ。

「な、なにを抜け抜けと! そなた達の発言など信じられると思うのか? 本来ならばこの場にいられぬ身分だというのをわきまえよ!」
「今回の件もお前達が姫様を城外にお連れする情報を外部に漏らしたに決まっておる」
「軍の情報などいくらでも探せるだろう!」

 元老院はジュラス元帥に敵意を向けると叫び出す。そんな元老院に向かってジュラス元帥は笑顔を向けた。

「い・く・ら・で・も?」と、元老院にゆっくりした口調で聞き返す。そして机に肘を付きながら嬉しそうに笑った。
「元老院の皆様方は軍の情報は探せばいくらでも手に入るとおっしゃるのですね。なら、我々中界軍以外の者が情報を手に入れ、それを外部に漏らすことも可能なのでは? 『い・く・ら・で・も』知れたでしょうから」

 元老院達がジュラス元帥の言葉にたじろぎうろたえる。

「しかしそのいくらでも知れたであろう情報を、元老院の方々は知らなかったのですね。もし事前に知れていたのであれば、最神の城外への視察を阻止できたのかもしれないのに」

 さらに追い討ちをかけるジュラス元帥。

「さてさてぇ。いくらでも知れた情報なら、今回の最神様の城外への視察は誰が外へ漏らしたのでしょうか? 我々中界軍以外でも考えられますなあ? これでは話が振り出しですなぁ」

 その言葉に騒ぎ立てていた元老院達は押し黙ってしまった。
 ジュラス元帥は矛先が中界軍ではなくなったのを喜ぶように、口元をニヤつかせつつ足を組み直す。そしてシラと目が合うとニッコリと微笑んで見せた。
 シラはその微笑みの意味を読み解き、元老院に向かって口を開く。

「ここで犯人探しをして責任を取る者を決めるのはまだ早いでしょう。きちんとした調査をし、後日軍議として報告を」

 そんなシラの発言に、元老院達はそのまま声を上げることなく大人しくなった。

「ダスパル元帥。お願いできますね?」

 シラの問いかけにダスパル元帥は「御意に」と頷く。彼と目が合うが、黒の瞳の奥の思考は読み解くことが出来なかった。

「お、お待ちください! 熾天使の話は終わっておりません!」

 元老院の一人がそう声を張り上げる。

「もし、騎士を決める際に定められた規定があるのならば、私はそれに従いましょう。しかし私の知る中でそのような記述がある文献はありません。もし問題があるのなら、その記述を提示してください。またこのような場を設けましょう」

 シラは静まり返る会場内を見渡しながら答える。
 迷いの無いしっかりとしたアクアブルーの瞳と、凛とした声にその場の全員が息を飲んだ。

「そうですな」と、ダスパル元帥が話し出す。

「過去には様々な方法で騎士を決めたと記述があるわけですし、このようなイレギュラーがあっても不思議ではありますまい。現に、三人のうちの一人は我が甥であるジュノヴィスということも表明しています。最神様のお言葉も間違いではない。しかし二ヵ月も早くは異例のこと。三人の騎士への階級昇進は成人の儀にて執り行うこととし、それまでは仮といたしましょう」
「そうですね。その運びといたしましょう」

 シラはダスパル元帥に頷くと元老院達を見つめた。シラの力強い瞳に彼らはそれ以上発言することは無かった。

「異論があるものはここで発言を。後で決定事項を変えれば、また今回の様に問題も起きましょう」

 ダスパル元帥の言葉で軍議は幕を下ろし、大きな音を立て扉が開かれる。
 シラは会場内を見渡しながらゆっくりと席を立つと、始まる前と同じように静まり返る会場内を横切り出口へ向かった。その途中フィール元帥と目が合う。彼はこちらに向かって微笑むと小さく頷いた。
 その微笑みを見て安心したシラは、小さな溜息を付き胸を撫でおろす。そして巨大な軍議室の扉を抜けた。