「え?」
数時間前にも訪れていた医療室の前。医師の言葉にシラは驚きの声を上げた。
「はい」
医師は短い返事をすると、深々と頭を下げる。
シラは拳を強く握り、頭を下げている医師へ背を向け歩き出す。そして中庭で待機していたサンガの元へ戻ると、その場に止まることなく箱庭に向かう。
「もう、医務室から出たそうです。箱庭に帰ります」
それだけ伝えると先を急ぐ。
「姫様、私が先導いたします」
「大丈夫。道は分かりますから」
シラの急ぐ声にサンガはそれ以上何も言わず後に続いた。
一刻も早く顔が見たい。そう想えば想うほど歩く歩幅が大きくなる。
シラは長く続く渡り廊下を小走りに近いスピードで進んでいた。
その為か心臓の鼓動が速くなる。
――会いたい。彼に……。
進む先に木々が生い茂る森が見えてくる。森に足を踏み入れるとシラは無意識に中庭へと向かっていた。
――あの角を曲がれば! 曲がれば!
息を切らしながら角を曲がると、目の前にはいつも二人で語り合った庭園が広がっていた。
そこには若草色の髪の毛の青年が、庭園へ降りる為の階段に座っているのが見える。
周りが薄暗くなってきているにも関わらず、彼は日が沈んだ方をただ眺めていた。
「レイン!」
「シ、シラ?」
そう叫ぶと、彼は突然の声に驚きこちらをふり向く。その顔には痛々しく包帯が巻かれていて左目が隠れていた。
シラは息を切らしつつゆっくりと歩いて行くと、そのまま彼の隣にしゃがみ込んでしまう。
「シラ?」
レインはうずくまるシラに不安そうな顔をした。
「……かった」
シラの小さな声に「ん?」と、彼は短く聞き返す。
「良かった……」
もう一度その言葉を口にすると、レインも「うん」と頷いた。
「シラが無事で良かった」
そんな彼の微笑みを見つめ、シラは思わずレインの頬に手を添える。
痛々しいその包帯……しかし、シラはそれから目をそらすことができなかった。
「目を……」
「うん、けど……」
頬に当てられた自分の手にレインが手を重ねた。彼の暖かな温もりが伝わって来る。
「君が無事なら、それでいいんだ」
そんなレインの言葉に、シラは彼から手を離し俯く。
「レイン。私、あなたの意見も聞かずに……」
「うん。騎士階級のこと、ヤマトから聞いた」
シラは中界軍に戻ると決めた彼に生涯、自分の元に居続けろと命令してしまった。
街に出たいと言ったのも、二人を呼ぼうと決めたのも、この場に留まるようにしてしまったのも、全て自分のワガママだ。
そして彼の中界軍に戻るという決意をも自分の発言で歪めてしまった。いくら二人の命を守ろうとした行為であれ、自分は彼の今後の生きる場所を決めてしまったのだ。
彼の気持ちを想い、胸が苦しくなる。
「勝手なことをしました……」
「そんなことないよ。君は……」
「でも!」
シラは少し強めにレインの言葉を遮ると彼を見つめた。
しかしレインはシラに微笑みながら首を振る。
「俺達を助ける為だったんだろ? シラが俺達を助けてくれた。だから、ありがとう」
目頭が熱くなる。そんな言葉を聞けるとは思っていなかった。
二人は自分を守ってくれた。そんな二人を助ける為に、生まれて初めて自分をさらけ出し発言した。そんな結果にお礼を言われるなんて……。
「あ、そうだ」
レインはそう言うと、自分のポケットから何かを取り出す。
「今日、街で買ったんだ……入れてくれた包装が焦げちゃったけど」
そう言って差し出されたのは端が黒く焦げた紙袋。
シラが両手を出すと、彼はその袋を逆さにする。すると中から出てきたのは赤とオレンジのグラデーションのかんざしだった。
「これ……」
シラはそのかんざしを握るとレインを見つめる。
「その、シラの髪に似合うかなって……」
レインは照れ笑いを浮かべ右頬を掻いた。
「ありがとう……」と、いうとレインはさらに嬉しそうに笑った。
彼の優しい微笑みが、自分の心を少しずつ温めていくのが分かる。
「大切に……大切にします」
シラはその暖かい気持ちと共に、かんざしを胸の前で抱きしめた。
「あと……えっと」
レインはそう言って顔を赤くする。シラはそんな彼を見つめた。
目が合うと彼はさらに顔を赤くし、庭園へと目線を逸らす。空には所々星が光り始め、夜が訪れていた。
そんな空を見つめながら彼は大きく深呼吸をすると、ゆっくりこちらに向き直す。
「シラ……」
「はい」
力強くそして優しい、金色の眼差しに目が離せなくなる。
「好きだよ」
その言葉がシラの心に染み渡る。
「好き……なんだ。君のことが……」
レインはそれだけ伝えると、顔を真っ赤にして幼い笑い方をした。
「何だろう、恥ずかしいな。けど伝えなきゃって思ったんだ……今、君に自分の中の好きって気持ちを」
その言葉にシラは呼吸をするのも忘れ、貰ったかんざしをきつく握りしめた。
彼の瞳にはたくさんの想いが見える。戦争の苦しみ……大切な人を亡くした記憶。
そんな過去から前を向こうとしている彼の瞳は、力強く綺麗だった。
「だからさシラ、俺は君を守るよ。『熾天使の騎士』としてとか肩書きなんてなくても。俺は君の騎士でいたいんだ。ダメ……かな?」
シラは首を横に振り彼へ微笑む。
「ありがとう」と言葉にすると、我慢していた涙が溢れ出た。
さらに今まで張り詰めていた緊張感から解放され、身体が昼間の恐怖を思い出し震える。そんな恐怖で凍った心を溶かす彼の言葉。それを感じたシラの心はさらに震えた。
とめどなく流れる涙……。
「シ、シラ!」
レインは突然泣き出すシラを心配そうに見つめた。
「だ、大丈夫……大丈夫です……」
今はこのまま、この時を感じていたい。彼の優しさに身を委ねていたい。そう思った。
シラは握ったかんざしを抱えるように俯く。涙が止まらない。
――暖かい……すごく、暖かい。
頭が彼の肩に当たる。シラはそのままレインの暖かい肩へ顔を埋めて泣いた。