第一章7幕


「ほーほー」

 ヤマトはその話を聞きながら終始ニヤニヤと口元を緩ませ相槌を打った。

「で?」
「で? って……それだけ」
 レインがそう言うとヤマトは「はぁーーーー」と、大きな溜息を付く。
「これだから草食系男子は」
「なんだよそれ」
「あれ? 草食系男子、知らないの?」
「知らねーよ」
「ダサいなぁ……疎いなあ……人間界で聞いたことないの?」

 ヤマトはやれやれと首をすくませてレインを馬鹿にした。

「知らない。どういう意味だよ」
「ま、いいや」

 むっとしたレインの顔を見てニヤけたヤマトは大きく伸びをする。

「いいじゃん。姫さんと仲良くなれてよかったよかった」
「なんだよそれ」
「いやいや」

 ヤマトが歩き出し、レインも後を追った。
 二人は地味な服装に身を包み、二週間後に迫る任務の道順の確認の為、城下町へと訪れていた。
 振り返ると瓦屋根の城が大きくそびえ立っているのが見える。その城に沿って街は形成されていた。二人はそんな都を一望できる場所を歩いているところだ。
 上層は古き時代の『神』、今の『貴族』という階級を与えられた血族の領地や屋敷が並ぶ居住区で、道は大きく馬車なども行き交う。その先の中層と下層に庶民の天使達が住む賑やかな街並みが続いていた。
 上層の居住区を抜けると、崖に突き出るように城壁と同じ素材でできた建物が姿を表す。数人の能力者が力を保持しながらゲートを構成している姿が見えた。
 ゲートからは荷物の運搬用の馬車が頻繁に出入りしている。

「登りの場合、馬車なんかはゲートをくぐってここまで来るんだが、軍が高い通行料を徴収してるんだ。結構ふっかけてるらしい」

 ヤマトがそう言いながらゲートへと歩いていく。

「で、下りの場合はこの飛行台から飛び立って城下町まで降りるのが早くて便利なんだ。通行料も登りより格段に安い。馬車や大荷物の場合は使えないが我が身だけだと断然こっちが主流ってわけだな」
「へー。天界ならではだな」
「ま、そうだな。中界は羽ばたいたり、飛び立つのは簡単だからこんな商売できないしな」

 ヤマトはそう言うと翼を大きく広げ動かす。
 中界は基本飛行は自由だ。そうでないと人間の魂の収集などの仕事が成り立たない。しかし天界では飛び立つという行為は禁止されている。飛行病で飛ぶという行為自体ができないのだ。
 しかし飛行病の影響で翼を羽ばたかせることはできなくても、パラグライダーのように浮遊するのは問題がない。それを応用したのがこの高台ということだ。
 高台に向かうと料金所が設けられている。細かく料金を設定しているようだ。

「ほい、二人分」

 ヤマトは料金所のおじさんに金貨を払い高台へ向かった。

「詳しいな」

 その声にヤマトは振り返る。

「俺は今回の任務を受けて事前に何度か視察してるからな」
「へー」
「ここら辺のことならお兄さんに任せなさいっ」と、ヤマトが笑う。
「なんかウザい」

 ヤマトの偉そうな態度にレインはムスッと睨む。そんなレインの顔を見てヤマトはさらに嬉しそうに笑った。

「俺とのデートじゃあ不服か?」
「ぁあ?」
「ま、迷子にだけはなるなよ」

 ヤマトはレインの渋い顔を見ると高台から飛び立った。
 レインも続いて翼を広げると風に身をまかせるように飛び降りる。
 少し埃っぽい空気が体全体に降り注いだ。
 風を浴びながら城下街の瓦屋根を見下ろす。そこには自分の生活していた現代の街並みとはかけ離れた風景が広がっていた。中界とは全く違う独自の生活をしていることが一目で分かる。
 文明を止め、古き時代から同じ生活スタイルを保ち続ける『神』、今でいう貴族の政に民は不満などないのだろうか。
 電気や水道、車、医療だって人間の知恵を借りればもっと……。そう思うのはきっと人間の生活をしたことのある転生天使特有の考えだろう。
 忌み嫌われる転生天使と、この街に住んでいる天界天使、何か変わりはあるのだろうか。見た目? 能力の差? それとも根本的に何かが違うのだろうか。レインの頭の中は何とも言えない感情が溢れていた。
 先に降り立つヤマトが着地した地点は、大きく円が描いてありエアポートとなっているようだ。レインもそれに続きふわりと着地する。乾燥した砂が周りを漂い渦を巻く。
 レインは素早く翼を収縮させ、街中を歩き出すヤマトに続いた。

「ま、俺が見て回った限りだと、高台とかゲートの存在以外は中界とそこまで変わったことはないな。俺達でいう歴史の教科書に載っている雰囲気となんら変わらないだろう」
「歴史ねぇ……」
「あ、お前今、『人間の生活の方が発展してるのに』って思ったか?」

 ヤマトの見透かした言葉に、レインは顔を強張らせた。

「ま、俺もそう思うけどな。けど天使には能力が備わってるし、生活の機械化なんていらないんだろう」
「というと?」
「俺達、転生天使や天界天使には能力の向き、不向きがある。火を起こすのに長けてる奴は料理人に、水を操るのに長けてる奴は飲み水を生成して売ったり、植物の栽培をしたりしてる。それぞれ人間が機械で補ってることを天使は能力で行ってるだろ?」
「なるほど」
「だから人間みたいな天界以下の世界に生きてる、下等生物の恵みなんて受けないってのがこの世界の在り方だよ」

 ヤマトの言葉に妙に納得した。辺りを見回すと賑やかな街並みが広がっている。行き交う人々や列なる店を見ていると、自分の生活していた人間界の街とは違う空気が流れていた。

「人間は少し頭を使い過ぎて楽をし過ぎているのかもな」

 ヤマトはそう言って歩くと、近くの出店に並ぶ肉の串焼きを手慣れた様子で購入する。

「まいど」

 ヤマトは小太りのおばさんから香ばしい香りの二本の串を受け取り、近くにあった噴水の淵に腰掛け、一本をレインに渡してきた。

「これ、なかなか美味いんだぞ」

 そう言ってヤマトは大きく頬張った。
 レインも肉をかじるとスパイシーで熟成された旨味が口いっぱいに広がる。食感は鶏肉に似ていて、噛みごたえがあり一本でも十分な満腹感は得られそうだ。

「これ、なんの肉か分かるか?」
「鳥類か何かじゃないのか?」

 レインが首を傾げるとヤマトはしてやったりと満面の笑みを浮かべる。

「ドラゴン」

 その言葉にレインはゲホゲホと咽せた。

「美味いだろー? 爬虫類は鳥類に似た食感だって聞いたことがあったが、まさかここまでとは」
「いやいやいや……ドラゴンって爬虫類なのか?」
「んー、確かに」

 ドラゴンは何度も見たことはあった。居住区に侵入した火竜を討伐する軍の任務をこなしたこともあったし、軍の輸送車を引くのは馬やユニコーンなんかよりもっぱらドラゴンだったが、食用は初めて見る。

「こっちの世界ではここまでメジャーな生き物なのか?」
「だろ?」

 ヤマトはレインの反応を見て嬉しそうに話す。

「士官学校の頃に受けた講義で、人間界で登場する魔法や空想生物は天界の頃に見てきたものっていう話、あっただろ? あれの信憑性を実感しないか?」
「それって人間が空想上の生物だと思っているものは、全て過去の天界で見ていた記憶って話だろ?」

 レインは昔受けた講義の一説をヤマトへ伝える。
 人間は古き時代、天使や悪魔とともに天界に住んでいた。しかし天使、悪魔、人間の三種族の間で起こった世界戦争に敗れた人間は、天界の記憶を抹消され中界に落とされた。それが今の人間の祖先だと言われている。
 中界に落とされた人間は、消されたはずの記憶を魂から呼び起こし、長い年月をかけて子孫に伝承していった。それが神々の信仰、宗教や神話の始まりとされている。
 ドラゴンやユニコーンなどの生物も同じように過去の記憶から伝承されたもので、中界の人間達は空想上の生物だと認識している。と言うのが今の転生天使が説いている仮説だ。

「そうそう! 俺はこの肉を食べた時にそれを思い出して感銘を受けてだな! 以来ここに来たらこれを食べ……」
「いやいやいや。お前はただこれを食べたいだけだろ」

 レインの突っ込みを聞くとヤマトは最後の一口を頬張り、そそくさと歩き出した。

「まーなんだ、話を戻すが」
「戻すのかよ」
「この世界はなんだかんだ古き時代の文明を今まで残してきてる。それはこの能力のおかげでもあるってことだな」
「人間は知能を授かった。それで機械や文明の発達をさせたが、神々は能力がある為、進化をするのを止めた……と?」
「まぁ、良いか悪いかは別としてな。人間はデジタル化して便利になったが、化学戦争や環境汚染……その他もろもろの問題なんかを抱えてるしな」

 ヤマトと会話をしながら街の大通りを歩く。
 飲食店や、刀や包丁などの刃物屋。香辛料を吊るしてある出店やフルーツを盛り合わせた籠。飲料水を能力で浮かせて販売する者や、植物の種を蒔き目の前で成長させ苗木として店頭に並べる者。どれを見ても面白い。
 レインも中界軍の領地や転生天使の居住区での生活の為、ある程度は知っているがここまで大きなマーケットは初めてだ。

「と、ルートはここで一旦大通りを逸れる」

  そう言ってヤマトが大通りから少し狭い道へと左折し歩き出す。

「で、この道を歩いている間に天界軍のパフォーマンスがあるわけだ」
「パフォーマンスって。大道芸人でもあるまいし」
「いやいや、そんなもんだろう。どんなちゃちな芝居を見せてくるか我々が拝見しようではないか」
「そんな悠長に構えていられるもんか?」

 楽しそうなヤマトを見てレインはあからさまに大きな溜息を付く。
 そんな二人が狭い路地に入ると急に人が増えはじめる。通行人を避けながら進まなければならない程だ。

「すごい人……」

 レインはぼやきながらふと周りの人達を見た。
 賑やかな人混みの中には着物や浴衣に似たカラフルな衣装を身に纏う人々が見え隠れし、所々には明かりを灯したちょうちんが見えた。

「お祭り?」と、続けて言葉を出す。
 どうやらこの地区の収穫祭に遭遇したようだ。太鼓のお囃子が遠くで聞こえてくる。

「だからこんなに混み合うのか。いつもは人通りの少ない道なんだけどな……」と、ヤマトも嫌そうな声を上げた。

 二人は仕方なく人混みをかき分けながら歩くが、先に進むにつれヤマトとの距離が伸びはじめてしまう。このままでははぐれてしまいそうだ。
 レインが黒い頭を必死に追いかけていると突然、肩に通行人がぶつかってきた。
「すみません」と、ぶつかってきた少年はレインに声を掛ける。人の波に逆らうように歩いているようだ。
 その時、少年の腰にかけてあった小袋が落ちる。

「あっ」

 レインはその小袋を通行人に踏まれないよう拾い上げ、少年の方を振り返った。少年はさらに裏路地の方へ進んでいる。レインは声を掛けようとしたが、この人混みで大きな声を出すのは、と躊躇してしまった。
 前を向くと先ほどまで見えていたヤマトの頭はもう見えない。

「迷子……」

「お前この歳になっても迷子なんてお子様だなぁ~」と、笑うヤマトの姿が一瞬頭をよぎる。
 走ればなんとかなるとも思ったが、どうせ今更追い付いても何かしらの冷やかしを言われるに違いない。まだ後ろ姿が見える少年の方を追いかけることにした。
 少年は裏路地へ進み、レインも人混みを避けながら彼を追いつつ裏路地に入る。
 その時、レインは不穏な空気を感じピタリと立ち止まると、素早くその場の壁に張り付いた。

「今日この区画はお祭りなんだって。周りは人だらけだよ」

 そう言った声は先ほどの少年のようだ。

「だろうな」

 少年より低い青年の声が聞こえる。

「で? ここまで来て俺達を止めに来たってのか?」と、また一人。これはさらに声が低い。年齢で言えば三十半ばだろう。
「そうだ。お前らが考えているほど政府は馬鹿じゃない。こんな作戦が上手くいくわけないだろう」
「上手くいくかどうかなんて関係ないんだよ。俺達の……死んでいった家族の為、仲間の為に」
「弔い合戦でもするってのか?」
「そんな簡単なものじゃないさ」
「この情報は確かなのか? その情報を持ってきた奴は信用できるのか?」
「それは……」
「これはお前達を陥れる情報じゃないのか? 死にに行けって、そう伝えに来たようなものだぞ!」
「そうさ、俺達の苦しみを奴に……知らしめる為の情報さ。もしそれで刺し違えたとしても……俺達の信念と仲間の名誉の為に」

 何やら青年の声と三十代の声が口論しているようだ。
 レインは物音をさせずその場で聞き耳を立てる。
 その話を聞きつつ、ふと小袋の妙な重みに気を取られた。かすかな金属音が聞こえる。硬貨にしては重た過ぎやしないだろうか。
 なるべく音を立てないようにその小袋の口を開け、中の物を一つ取り出してみる。少し触っただけでもレインはこれが何なのか分かった。
 冷たい触り心地。小さな円錐状の……弾薬。

 ――この世界に弾薬?

 天界に刀や包丁などといったもの以外で鉄の構造物があるなんて。
 しかも高性能な弾薬。狩猟用などの大型のものではない。リボルバーといった類の拳銃だろう。
 今の現状では人間界の技術を天界で作ることはできず、中界軍は何百年も掛けてその開発をしている。だが拳銃などはもちろん、火薬や高純度の鉄などには全くたどり着けていない。
 なのにこれはどうだ? レインでも分かるほどにしっかりした構造……。

「俺達は政府に、最神に分からせてやるんだよ」

 突然会話の中に出てきた『最神』という言葉に、レインは更に聞き耳を立てた。
 一瞬スカイブルーの彼女を思い浮かべる。

「ガナイド地区の惨劇、それを分からせてやる」
「だからと言ってこんな無謀な!」
「それでも! それでもいいんだ……」
「俺達ガナイド地区メンバーはシルメリアから脱退する。どうせガナイド地区の生き残りも十人にも満たない人数だ。お前達に協力してくれなんて言わない。この誇りや想いに免じて……」

 そう言った男の声はかすかに震えていた。

「分かった。シルメリア脱退を許可する。だが俺は今回の件、納得しているわけじゃない。仲間の為と己の信念の為と言う言葉が出てしまったら、もうこれ以上止めないがな」

 二人の会話が終わると、近くにいた少年がごそごそと動き出す。

「なんだよ」
「いや、僕の……あれ? 落としたのかな?」

 そう話しながらレインのいる方へ向かう足音が聞こえてくる。レインはとっさにその袋の口を縛り直し、派手に足音を立てながら路地に入った。

「おい! これ落とさなかったか?」

  レインの登場にその場にいる三人が思わず身構える。二人は刀を、少年は腰に下げた何かを。それは多分……弾薬を使う拳銃だろう。

「あ、それ僕の」

 レインの持っていた小袋を見ると少年はそう声を上げる。その瞬間、他の二人が殺気を押し殺したのが分かった。

「落としていったよ」

 レインは数歩前に出ると少年に小袋を渡す。

「ありがとう」

 そういって受け取る少年はレインよりも年下のようだ。茶色の髪にライトグリーンの瞳。メガネを掛けた少年の腰をチラリと見ると、ホルダーに装備した鉄の塊。はっきりとは見えないが、拳銃で間違いないだろう。
 そして睨みつけてくる二人。一人はレインと同じぐらいの年齢の青年。フードを被りコバルトブルーの瞳をこちらに向ける。体からの殺気は消えたが瞳からは消えていない。殺気を殺せていない辺りまだ実践経験は浅いか……。
 もう一人は黒髪の大男。フードを被った青年より頭一つ分は背が高い。こいつがガナイド地区の生き残りだろう。
 レインは殺気を放たないようにしながら、笑顔で少年に「いや、たいしたことじゃない」と言った。

「行くぞ」

 フードを被った青年はそう言って少年を促し歩き出す。
 そしてレインの横に来ると「さっきの話。聞いていたのか?」と、低い声で言い放つ。

「何の話をだ?」

 返答に青年はさらにレインを睨みつける。直接的な殺意の目。レインはその目を何事もないかのように見つめた。
 青年はレインを睨みつけたままゆっくりとフードを脱ぐ。そこから現れたのはターコイズブルーの髪。そして耳の付け根から伸びる……鰭。
 そこには薄い絹のような鰭が肩にかかるほどの長さで伸びていた。光の反射で色を変えるその熱帯魚のような鰭に一瞬釘付けになる。

「……ビースト?」

 レインは口から出る言葉を抑えられなかった。心の中でしまったと思ったが態勢を変えずにその瞳を見つめる。
 その一言にビーストの青年はさらに殺意を向けながらゆっくりと口を開く。

「いいか? このことを話すとお前も巻き添えを食うぞ。大人しくこの場を去れ」

 レインは青年を睨む。こちらの瞳からもかすかに殺気が漏れていたかもしれない。
 青年はそれ以上話すことはせず、フードを被り直すと少年を引きつれ路地を去っていった。
 振り返るとそこにいたはずの大男も姿を消している。レインは路地の中で一人佇み掌に残していた弾薬を握りしめた。