レインが祭があった区画を抜けると、その先でヤマトは待っていた。彼は満面の笑みでレインを迎えると、予想通りここぞとばかり馬鹿にしてきた。
レインは城の入り口に通じるゲートをくぐるまで言葉を発するのを諦め、ヤマトの皮肉を大人しく聞き続けた。
どうしてこうもつらつらと人を馬鹿にする言葉が出てくるのだろうか。レインは話の内容より彼の頭の回転に感心していた。
貴族の居住区へ近付くにつれて人通りは少なくなっていく。
城へ戻って話をするよりは聞き耳を立てる者も少ないだろう。そう思い、レインは整備された道に植えられている木へ寄りかかると、無言でヤマトに一つの鉄の塊を差し出した。
その弾薬を見た瞬間、ヤマトが軍人の顔に変わる。
「これ、どういうことだ?」
彼の低い声に先ほどの出来事をレインは順を追って説明していった。
その話を今度はヤマトが口を挟むことなく聞き、大きな溜息を付きながら頭を掻いた。
「何故これをそんな少年が持っていたのかはわからない。それにその会話の内容も問題だ」
レインの言葉に「ガナイド地区。それにシルメリア……か」と、ヤマトは顎に手を当て唸った。
『ガナイド地区』、その地名を忘れることはない。それは二人が三年前に参加した『悪魔討伐戦』の戦場の名だからだ。
七年前の全面戦争の時に悪魔に占拠され、三年前のその作戦まで悪魔の街として放置された土地。天使の生き残りは皆無とされた天界の辺境の街だ。大男はその生き残りということになる。
そして『シルメリア』というワード。一度は聞いたことのある『反政府組織』の名。その首謀者をはじめ所属しているのは少数派民族『ビースト』だ。
ビーストとは人間世界でいうエルフ、半獣、半妖など獣と天使の掛け合わせで構成された人種の総合名称である。先ほどの青年もそのビーストだろう。鰭のついた身体に血色の薄い肌。人魚や魚人に近い種族のはずだ。そのビーストも自分達、転生天使のように天界天使から迫害を受けている。
しかし、彼らは転生天使とは違い、反政府組織として反旗を翻えす側の存在となっていた。
レインも話には聞いたことはあったが、実際に半獣、ビーストに会うのは初めてだった。
「なんだか、ややこしくなってきたな」と、ヤマトが眉間にシワを寄せながら言う。
「シルメリア、反政府組織、俺達にとってはあまり良い響きじゃあないなぁ」
彼の苦い顔にレインも頷いた。
「確かにな。だがそれがガナイド地区の生き残りを止めようとしている……」
「まあ、これから数日の間でガナイド地区の奴らが何かしらの暴動を起こすってことで、まず間違いないだろう」
ヤマトは掌の弾薬を眺めながらそう言った。
「これも問題だしな」
「なにが問題なの?」
「……ッ!」
突然、男性の声が聞こえ、レインとヤマトは瞬時に反応し戦闘姿勢へと動く。二人の真後ろには、声の主である薄紫の髪と金色の瞳の若い男が立っていた。
「やぁ、二人とも! 何してるの?」
その男は右手を軽く上げ、二人に笑顔で声を掛けてくる。
「フィール元帥!」
二人は戦闘姿勢を解き、敬礼をした。
「いいよー。堅苦しくしないで」
そこにいたのは昨日謁見した親衛軍フィール元帥だった。にこやかに声を掛けてきたフィール元帥に二人は敬礼を崩す。
「驚かせちゃったねー、ごめん」
「いえ!」
ヤマトの気の張った声に元帥は笑った。
「大丈夫だよ。今は軍事で動いてるわけじゃないんだ。私用でね! だから楽にして」
フィール元帥は軍服とは違い、貴族の住む区画らしい装飾の付いた正装をしている。
ニコニコ笑う彼に対しレインとヤマトは同じことを考えているだろう。
――気配が全くなかった……。
二人とも軍人の端くれだ。いくら気が抜けていたからといって背後の、それも近距離になるまで人の気配を感じ取れなかったなどあるわけがない。
しかし今の今までこの男の気配は全く感じなかった。
この辺りにはどの屋敷にも柵が設置してある為、突然屋敷から姿を現すことはできない。同じような豪邸が並び、屋敷との間も広い。見渡せる場所には三人以外の人影は見当たらない。
そんな中での出来事に二人は冷や汗を掻いた。
フィール元帥は貴族出身のキャリアだが、やはりそれなりの実力があるからこその元帥という地位なのか。
「で? 二人は何をしてたの?」
「はい。最神様の極秘任務の視察で城下町のルート確認を」と、ヤマトが答える。
「あーなるほどね。これから帰るの?」
「はい」
「そうかぁ。お疲れ様。僕もこれから城に戻ろうと思ってたんだけど、その前に散歩してたんだ。ここら辺って整備されてて綺麗じゃない? そしたら見たことある背中だなぁと思って」
確かにこの辺りの道路はきちんと整備されていて歩きやすい。所々に花壇があり木々が植えられている。城下町との違いがはっきりと分かる場所だ。
「もう貴族のお茶会なんてこりごりだよぉ」と、フィール元帥は笑った。
すると彼の遥か後ろから別の影が走ってくるのが見える。
「フィール閣下ぁぁあ!」
「待ってくださーい!」
どうやら二人ともダークグリーンの軍服に身を包んだ若い軍人のようだ。
「あ! 見つかった!」
フィール元帥は振り返りながら嬉しそうに笑い出す。
その二人は元帥の元へ駆け寄ると息を切らして止まった。
一人は赤茶色の髪に赤の瞳。その隣はハニーブラウンの髪に赤の瞳。二人の顔はそっくりで背丈も同じ。違うのは髪の色と長さで、ハニーブラウンの髪の少年の方が少し襟足が長い。どうやら双子の少年兵のようだ。
「閣下! いつも申しておりますが! すぐ姿を消すのはお止め下さい!」
赤茶色の髪の少年が甲高い声で叫ぶ。
「あははー! ごめんねカルトル」
「そうです。何かあったら……僕らはどうするんですかぁ」と、ハニーブラウンの髪の少年が息を整えながら弱々しく続けた。
「うん。分かったポルクル」
お付きの二人に見つかったフィール元帥だが、どことなく楽しそうだ。
レインとヤマトはそんな光景をぽかんと眺めた。
「あ、紹介しよう! 最近僕の身の回りの世話をしてもらってるカルトル・プリュッツマンとポルクル・プリュッツマン。どちらも親衛軍少尉だよ」
フィール元帥の声にレインとヤマトは双子へ素早く敬礼を行う。
「二人とも、こちらは任務の為に派遣された中界軍ヤマト中尉とレイン少尉」
彼の言葉に双子は揃って息を飲むと、レインとヤマトをもの言いたげな目で睨んできた。
興味、恐怖、嫌悪……その瞳には天界天使からよく浴びせられる感情が読み取れる。
親衛軍だと間近で転生天使を見たことはないだろう。まじまじと見る双子にフィール元帥は「こらこら」と軽く叱りつけた。
「ちゃんと敬礼しなさい。軍人同士の挨拶でしょう」
「あ、はい」
ハニーブラウンの髪のポルクルはその言葉に軽く敬礼をしたが、赤茶色の髪のカルトルはフンと鼻で笑っただけで、フィール元帥の言葉に従わなかった。
「こら! カルトル! ごめんね二人とも」
「いえ」
フィール元帥の言葉にヤマトが答える。
「ヤマト、レイン、これから登城するんだよね? なら僕の馬車で送るよ。そうすればわざわざ裏口からグルグル路地を戻らなくて済むでしょ?」
その提案にカルトルは「はぁ?」と声を出した。
「何をおっしゃっているんですか? 転生の奴らを閣下の馬車に? お止め下さい!」
「えっと……ぼ、僕もそれはお控えしたほうが……」
カルトルに続いてポルクルもそう付け加える。
「何で?」
フィール元帥はニコニコと二人の少年に質問した。
「何故って! 転生天使ですよ?」
「うん。だから何?」
カルトルの言葉にさらに元帥は質問を返す。
「だから……その……」
「うん」
ポルクルがボソボソとはっきりせず口ごもる。
「二人が転生天使だからって何か問題あるかな? 僕の提案で任務に就いてくれてる軍人なんだけど?」
「で、ですから」
カルトルがさらに声を上げた時、その場の空気が変わるのを感じた。
そのただならぬ空気はニコニコと笑うフィール元帥からであり、一気にこの場を制していくのが伝わってくる。
「いや、その……」
双子はその空気の変わりようにたじろぎ、言葉を続けられなかった。
「うん、じゃあいいよね? 馬車に向かってしゅっぱーつ!」
そうフィール元帥が声を上げると、ピリピリとした空気は一瞬で霧散する。そのまま彼は双子の横をすり抜け歩き出した。
「ちょ! 閣下!」
「閣下ぁ……」
フィール元帥の後ろを双子は急いで付いていく。
「ほらー、二人も歩いてー」
フィール元帥の呼びかけにレインとヤマトはアイコンタクトをしてどうするか悩んだが、ここは彼に従うしかないと判断し、後へ続いた。
三人の後を追い掛けた先には、ひづめのある馬の体型をした地龍が路地に止まっていた。地龍は黒に煌びやかな装飾が施された馬車に繋がれている。その前には軍服を着た初老の男が一人。
「ごめんねー、寄り道してた。帰るよ」
フィール元帥が声を掛けると、初老の軍人は「かしこまりました」とだけ答え、馬車の扉を開けて頭を垂れた。
「ささ、乗ってー」
フィール元帥は自分が乗り込みながらレインとヤマトを促す。
カルトルはギロリと殺意の目を、ポルクルは恐怖の目をこちらに向けながら乗り込んだ。もちろん一言も声を掛けてくることはない。
ヤマトはレインに振り返るとニヤリと笑い馬車に乗り込む。レインは「また出世の階段を登った!」という意味の笑みだろうと解釈し後に続いた。
馬車に乗り込むと初老の軍人はゆっくりと扉を閉める。中は五人で座っても十分な広さだ。内装はさらに煌びやかな装飾がされており、カーテンやソファなども肌触りがいい。ソファに座ると体がゆっくりと深く沈んでいく。レインは人間として生活していた頃でもこんな心地いいものは触ったことはないな、とふと考えてしまった。
「さて、正門を通って帰るからすぐ着いちゃうよー」
フィール元帥が席にある紐を引っ張るとリンリンと心地よい鐘の音が鳴り、馬車が動き出した。
カタカタと音を鳴らしながら車輪は回り、外の景色が動く。
貴族の居住区を抜けて大きな主要道路に出る。先ほど街に向かって歩いた道を今度は一気に駆け抜けていった。貴族の馬車だからか商人や軍人達は横に逸れるように道を譲っていく。そのおかげで馬車は一度も止まることなく進んでいった。
「僕もね、貴族と言っても下級な家柄の出身なんだ。しかも地方の田舎の血筋でさ」
レインが窓の外をぼんやり眺めていると、フィール元帥が語り出した。
「貴族間では痛い目を見てきたんだ。地位が上がれば上がるほど差別を受けてきてね。だから転生天使の君達をなんとなくほっとけなくて」
フィール元帥はニコニコとレインとヤマトを見ながら話す。
「ここの二人は僕の遠い親戚と言ってもいいかな? だから側に置いてるんだけど、何せまだ士官学校から卒業したばかりでね、先ほどは失礼なことをした」
「いえ、お気になさらないで下さい」
ヤマトの声を聞くと双子は少し怯えたような顔をした。『転生天使』という種族はこの二人にどう映っているのだろうか。同じ人の形をした獣か何かだと思っているのか……はたまた悪魔より恐ろしいものだと思っているのか。
「ごめんね」
フィール元帥はそんな双子の姿を見るともう一度謝る。
「レインとヤマトはガナイド地区悪魔討伐戦の特殊作戦部隊にいた英雄と呼ばれる二人だよ。つよ~~いんだから」
「悪魔討伐戦!」
フィール元帥の言葉に双子は突然食いつくように声を上げた。
「戦場へ行ったのか!」
「ガナイド地区は、どんな所でしたか?」
双子の食いつきにレインとヤマトは驚き、互いの顔を見合わせた。しかし答えないわけにはいかないとヤマトは双子に微笑みながら質問に答える。
「前線での戦闘でしたので、戦場へ行ったというよりは戦場を作ったという表現の方が適切かもしれません。ガナイドは小さな街でした」
ヤマトの返しに双子は「おー!」と同じように反応する。
「どんな作戦だったんだ?」
「戦闘は長く続いたんですか?」
「ショートゲートで夜更けに侵入し戦闘を開始。朝には終わっていました」
質問を繰り返してくる双子にヤマトは一つ一つ丁寧に答え続けた。
そして何度目かの質問でカルトルが「悪魔ってどんな奴らだった? 何人殺した?」と、口にする。
カルトルの質問にヤマトは声を詰まらせ、レインに視線を向けてきた。
レインは「困った」と言うように目配せしつつその質問にだけ口を挟む。
「悪魔は……我々と同じ姿をしていました。違うのは黒い翼をしていたということ。それ以外に変わりはありませんでした。それに自分達は殺した悪魔の数は数えておりません」
「なーんだよ! 何人殺したのか分からないなら英雄なんて言えないだろ? 他の奴らの方が多いかもしれないし」
「確かに……僕なら数えちゃうなぁ」
その幼い考えにレインの口元が緩む。
「なんだよ!」
レインの顔の変化にカルトルはムスッとした声を出した。
「すみません。数を数えるという余裕はあの時の自分にはありませんでしたので、そのような発想はなかったなと……どこを見渡しても死体だらけでしたから」
その言葉に双子は押し黙る。
そして少しの間を開け、カルトルがゆっくりと口を開いた。
「たくさん死んだのか?」
「敵のことですか? 味方のことですか?」
レインが逆に質問すると双子はさらに押し黙る
。
「味方もたくさん死にました。大切な人も大切な仲間も。敵も死にました。自分達が殺しました」
言葉とは裏腹なレインの優しい微笑みに、双子はさらに血の気が引いてしまったようだ。青い顔をしてこちらを見ている。
「さてさて、二人ともレインとヤマトを困らせる質問は終わりだよ! ほら、正門が見えてきた」
フィール元帥の言葉に窓の外を見る。
そこには見上げるほどの白い大きな柱が二本そびえ立っていた。
その柱からは何枚も大小様々な大きさの翼が生えており、今にも動き出しそうな程の躍動感がある。どうやって建築したのだろうか。人間界の高層ビルに匹敵する高さだ。
柱の間を大きな馬車や荷物を抱えた人々が抜けていく。その道幅は広い。馬車が横一列に何台並んで走れるだろうか。
レインがそんなことを考えている間に馬車は造形の美しい大正門をゆっくりとくぐっていく。
入り口に目をやると、警備にあたっているダークグリーンの軍服を着た軍人達が見える。そのうちの一人が馬車を見つけ敬礼をした。それに続き周りにいた者達もこちらに向かって敬礼を行う。
そんな中を馬車はゆっくりとスピードを変えることなく進んでいった。
ほどなくして赤い塗装のしてある柱が何本も並ぶ巨大な建物が目に入る。
「この先では親衛軍が城内に入る為の手続きと身体検査をしているんだ。本来はそこを通過して中に入るんだけど、僕達は別ルートだよ」
フィール元帥の言葉通り、馬車はその建物を避けるようにカーブし、道を逸れる。
建物の隙間を進んで行き、ほどなくすると馬車は道の少し脇にそれるように停車した。
扉がゆっくりと開く。
「君達とはここでお別れ。このまま親衛軍の本部まで行ったら厄介だからね」
フィール元帥はそう言ってレインとヤマトに微笑んだ。
「少しここの屋敷の裏庭で待っててくれないかな? サンガをこちらに迎えに来させるから」
「ご配慮ありがとうございます」
ヤマトは頭を下げ、馬車から降りていく。カルトル、ポルクルはその光景を無言で見つめていた。
「失礼します」
レインは双子に一言だけ伝え、ヤマトに続き馬車の階段を降りる。
そのままその場から離れようと数歩進むと、馬車からフィール元帥が顔を出しこちらを手招きするのが見えた。レインは急いで一度離れた馬車へと戻る。
するとフィール元帥は小声でレインにそっと耳打ちしてきた。
「レイン、さっきはありがとう」
「……?」
「双子くん達への話。隠さずに話してくれて。あの子達、両親の強い要望で幼い頃に士官学校へ入れられてね。勉強はできる子達なんだけど、道徳性というか……人の生き死にの感覚がずれてるんだ。戦場に行くことを美化してる傾向があってね。だからきちんと話してくれて感謝している」
「そんな。自分はただ……」
「うん、分かってる。けどね、周りの大人達は二人にあまり直接的なことを言わないんだ。だから……ね」
フィール元帥は少し寂しそうに笑った。
貴族というのは上下関係がとても厳しい。しかも功績などでランクが入れ替わることはなく、産まれた時からその階級を離れることは許されない。
しかしそれから抜ける唯一の方法がある。それが軍人としての階級。軍へと志願し、そこで功績を上げれば貴族階級とは異なる地位を手に入れ、血族の今後の安泰を約束される。それを夢見て下級貴族は軍へと志願するのだ。親衛軍は軍家系と別にそういった下級貴族の兵士達がひしめき合っている場所だ。双子の両親もその中の一人なのだろう。自分ではなく子供に血族の行く末を預けた……。
しかしそれにも大きなリスクが伴う。貴族としての階級が全く通用しない軍ではいくら自分の血族の方が相手より上位であろうと上官の命令は絶対である。
フィール元帥もその一人。田舎や地方の下級貴族の地位を捨て親衛軍へと志願し、今の地位を手に入れた……並大抵の苦労では済まなかっただろう。
そんな親衛軍の気持ちの矛先が向かうのがレインやヤマトのような転生天使、中界軍である。自分達よりさらに下の者を作り迫害することで、この軍全体は成り立っているといっても過言ではない。
貴族で構成された親衛軍は基本、城の周辺警護だ。中界軍や天界軍のように各戦場への出陣はまずあり得ない。フィール元帥はそれを分かっているのだ。だから自分達と双子を会わせたのか? そこまで計算されたことなのだろうか。
レインはそう感じながら、フィール元帥へ頭を下げると馬車を離れヤマトの元へと戻った。
振り向くと、フィール元帥が軽くこちらに手を振っているのが見える。そんな彼を乗せた馬車はゆっくりと動き出しほどなくして姿を消した。