第二章ノ壱1幕


 今日もいい天気だ。快晴の空。涼しいそよ風が開け放たれた部屋に吹き込む。その風に彼女の金色の髪がなびいた。

「で?」

 部屋の入り口に立っている女性はムスッとした顔で、邪魔そうに金色の髪を手櫛をしながら部屋の主に声を掛ける。

「で? って? 何がですか?」

 その質問に部屋の主は振り向くこともせず、フローリングに座り込んでバックに荷物を詰めていく。
 若草色から深緑へと色を変えていくグラデーションになった髪。その髪を後ろで結んでいる為、左耳に付けた赤のピアスと黒のカフスがより一層目立つ。
 黒の軍服をちゃっかり着こなしているその背中に女性はさらにイラついたように溜息を付いた。

「レイン!」
「はい?」

 名前を呼ばれたその青年はゆっくりと後ろを振り返る。その顔にはぐるりと包帯が巻かれ左目を隠していた。痛々しい包帯を見るとさらに苛立ちが増す。右目は金色で歳に似合わず大人びて見えた。それもそうだろう。彼には沢山の過去があったのだから。

「ちゃんと話してくれる?」

 その言葉にレインは「あはは」と笑った。

「先輩聞いてなかったんですか?」

 先輩と呼ばれた彼女は少し馬鹿にされたようで、右足をドスンと音を立てて動かす。

「あ~~も~~ミスリル先輩はいつもこれだからな~~」

 レインの言葉にミスリルはさらにムスッとした。金髪の髪にブルーの瞳、エプロンワンピース姿のミスリルはレインより少しばかり年上だ。

「あんたさ、何か隠してない?」
「先輩に隠し事なんてしませんよ」

 ミスリルの言葉をごまかすようにレインは洋服をバックの中に詰める。ワンルームのレインの部屋はほとんど片付いていて、生活感はすでに消えていた。ベッドの上も、本棚も、彼が大切にしていた植木も……全て消えていた。

「だから、特別任務で最神の護衛をこなしたら目を負傷して、今、代わりの眼球を作ってもらってるから包帯巻いてるんですよ」
「そこじゃない」
「えっと、その後に……なんやかんや最神の計らいで、俺とヤマトは『熾天使してんしの騎士』に任命されて天界に住むことになったから、こうして荷造りをしに中界天使の居住区に戻って来たんです」
「どうしてそうなったの?」

 ミスリルは責めるようにレインに問い立てる。

「そうカリカリしないで下さいよ」

 レインはバックに荷物を詰めファスナーを閉めると、何もなくなったベッドへ座って笑った。

「何もありませんよ?」
「何もない訳ないじゃん」

 そう言われて言い返してこない、その憎たらしい顔をこれでもかというほど睨む。

「大丈夫です」

 レインの言葉に優しさが滲む。
 いつもそうだ。
 軍に入ると聞いた時もせっかく自分がいろいろ手を掛けて人間界での仕事の仕方や、ここでの生活を教えてあげたのにと思ったし。悪魔討伐戦へ行くのもスズシロから前日に聞かされてハラハラさせられた。
 この子はいつもそうだ。自分の心配をスラリとかわす。
 大切な弟分がまた何かよからぬ事へと踏み込んでいく。その不安がミスリルの中で大きくなっていくのが分かった。

「まあちょっと妹に会いに行けなくなるのが痛いですけどね」

 自分の心配をよそにレインは残念そうに話す。

「あんたねえ」と、ミスリルは溜息を付いて少し笑ってしまう。

「本当に大丈夫なんだよね?」
「はい。大丈夫ですって」

 その言葉と彼の目を見てミスリルはそれ以上聞くのを辞めた。これ以上追及してもこの子は話さないだろう。彼女、スズシロが死んだ時と同じように……。
 言葉の少ない弟分はどうしていつもこうなのだろう。この子はこういうところが不器用だ。
 ミスリルはそんな後輩を見つめながら大きく溜息を付いた。
 少し風が強く部屋に入り込む。長い金髪がなびいた。ミスリルは風になびく髪を触りながら部屋の入り口をそっと閉める。

「レイン」
「はい?」
「あのさ、もしも……の話なんだけど。もしもよ?」

 ミスリルは言葉を詰まらせ、その言葉を発するのを躊躇する。一瞬、喉元で言葉が詰まった。しかし何食わぬ顔をして彼に話を振る。

「スズシロの生まれ変わりが……見つかったって言ったら、あんた会いに行く?」
「なんですか? その話」

『スズシロ』という名前に一瞬ベッドに添えたレインの右手の小指が動く。

「もしもよ!」と、ミスリルは言葉を繰りかす。

 もしもではない。転生天使は死ぬとまた元の人間へと生まれ変わる。その時に能力の全てを使う為、生まれ変わった人間は前世の記憶と力を失う。そうなればほとんどの魂は前世が何者だったのかは不明になってしまう。
 しかし見つけたのだ。レインが前に担当していた日本という国に彼女の生まれ変わりはいる。魂の研究をしている学者の知り合いが、微量だが彼女の能力数値を見つけ出したのだ。この広い中界という世界で本当に稀な事が起こった。そう、それはまるで運命のように……。

「ねえ? どうなの?」

 ミスリルの真剣な顔にレインは不思議そうに首をかしげたが、彼女を見つめると笑顔で言った。

「行きませんよ」
「行かないの?」

 はっきりとしたその返事にミスリルは驚いた声を上げる。

「だって、そんな事したら俺スズシロにどやされますよ」

 レインはそうミスリルに微笑む。

「確かに……」

 確かにそうだ。彼女はそういう性格だ。

「先輩。俺やりたい事が出来たんです。だからスズシロにどやされないような生き方しなきゃって思ったんです」

 レインはミスリルの瞳をしっかり見つめてそう言った。
 自分には彼を見守る義務がある。親友のスズシロから頼まれたのだ。討伐戦前夜、スズシロから「自分に何かあれば彼をお願い」と……。だからいつも彼を気にかけていた。
 だから軍を辞めたと聞いた時は正直ほっとした。スズシロが死んでからレインは抜け殻のようになり、いつも妹の七海がいる病室に通っていた。それでいいと思った。それでいいんだって……。レインにしっかりしなさいと叱りながらも、そのままでいればいいのにと思ってしまっていた。
 しかし今目の前にいる黒の軍服を着た青年を見て、そのはっきりとした答えを聞いて自分の中の何かが変わった気がする。

「そっか……」

 レインが会いに行くと言えば、ミスリルはこのことを話すつもりだった。しかし彼のまっすぐな言葉に話すのを辞めた。彼は何かを見つけたのだ。前に向いて進んでいる。そう、その言葉で気が付く。

「ま、軍人になって何をやりたいのかわかんないけど、やりたいことが見つかったんならよかったよ」

 ミスリルの言葉にレインは少し照れる。

「ありがとうございます。あ、だからその……すみません。先輩の結婚式、行けそうにありません」

 ミスリルに向かってレインは軽く頭を下げる。

「あ~いいよ。人間の頃と違ってみんなでワイワイパーティーするぐらいのものなんだし」

 人間の頃のように神に祈るようなことはしない。ささやかな宴会をするのが転生天使の結婚式だ。それをレインに招待していたのを思い出す。
 ミスリルはレインの言葉に「あはは」と笑って見せた。そして閉めていた入り口の扉を開ける。部屋の入り口を開けるとまた同じように風が部屋の中へ入って来た。爽やかな風だ。

「あれれ~? ミスリルじゃん! レインの部屋で何してんの?」

 扉を開けた途端、急に声を掛けられミスリルはビクッと肩を動かす。

「ヤッ、ヤマト!? びっくりした」
「そんなにびっくりしなくても」

 入り口の扉の前には自分より少し背の高い黒い軍服の青年がドアをノックしようとした体勢で立っている。髪も瞳も漆黒色で全身黒ずくめだ。腰には長めの剣、胸には沢山の勲章バッジが光る。
 突然の彼の登場にミスリルは先ほどのレインとの会話を聞かれていたのでは? と焦った。
 しかしヤマトは特に何の素振りも見せずミスリルの横からひょこっとレインの部屋を覗くと、部屋の主に声を掛けた。

「お! 終わったか?」
「丁度な」

 ヤマトの言葉にレインは座っていたベッドから立ち上がる。

「じゃあ迎えに来たのもベストタイミングだったわけだな」
「ま、そうかもな。先輩とも話しが出来たし、式に行けないのも伝えられたし」

 レインの言葉にヤマトは何か思い出したかのようにニタアっと笑うとミスリルの方を向く。

「そうだ~ミスリル! 何で俺招待されてないの?」
「は?」

 ミスリルはそんなヤマトに嫌そうな声を出した。

「何であんたを招待しなきゃならないのよ」
「え~けちだな~」
「どうせ誘っても軍の仕事で来ないだろうと思って」
「あっそ。お前の旦那の顔見たかったな~」
「うっさい! 紹介するって何度も食事に誘ったのにいつも軍の用事で来なかったじゃない!」

 昔はよくこうやって三人でたわいもない話に花を咲かせていた。ミスリルはそんな空気が心地よくなって笑いだしてしまう。
 そんな穏やかな三人に向かって白い壁が続く先からなにやら声が聞こえてきた。

「ヤマト中尉!!!」

 遥か遠くで黒の軍服の男が走ってくるのが見える。

「なんか呼んでない?」

 ミスリルが米粒みたいなその男の姿を見てそう言った。

「ヤマトを呼んでるみたいですね」

 レインもそう言いながら廊下に出る。

「あ! レイン少尉も!!!」

 少し近付いてくるその軍人にレインの名前も呼ばれた。

「お二人とも! 至急中界へ降りてください!!」
「叫んでるな」
「叫んでるね」

 軍人の言葉にヤマト、ミスリルが呟く。
 そして徐々に近付いてきた軍人は、息を切らせながら三人の目の前で止まった。

「お二人に緊急徴集です! 中界『日本・東京』で大きな交通事故が発生。そこで能力者の予知していない死者が数名出て……その死者が魂の暴走を起こして暴れ回っています! 一番近い軍人の徴集をとのことで、お二人をお呼びしに……」

 軍人はそれだけを一気に話した。

「あのなあ。俺達これから城に戻ろうとして……」

 ヤマトの言葉を遮るように軍人が大きく息を吸う。

「場所は――――」
「え?」

 その言葉にレインは言葉を漏らした。

「七海の病院の近くだ」