第二章ノ壱2幕


 バサバサと軍服が風になびく音がけたたましく耳元で響く。
 どこを見渡しても永遠に続く青空の中、レインとヤマトは空気抵抗を受けないように翼を閉じ、真下に向かって急降下していた。
 同じ姿勢で落ちていく黒の軍服兵が二人の前を先導していく。その兵の話によれば、東京の幹線道路で大きな交通事後が発生。大型バス同士の正面衝突だ。死者は数十人に及んでいて、その道路は完全に機能していないらしい。
 今回何が問題かというと、役所の特別能力者の予知能力で観測されていない事故だというとこだ。そういう観測されなかった事故や事件などで、死んだ人間の中に第六感など特殊な力を持っている者が死ぬと魂の暴走が起こりやすい。
 本来ならそういう場面を対処するように中界軍が待機しているのだが、今回の待機メンバーが新人兵ばかりの仮部隊だったらしい。来月に控えた中界軍事行事の式典の為にどこの部署も総動員しているというの現状だった。
 確かにこういうことはよくあることだ。まだ形になって間もない軍組織なのだから当然と言えば当然。そんな中、レインとヤマトへ白羽の矢が立ったという訳だ。

「もうすぐです!!」

 目の前の兵がそう叫ぶ。その瞬間から視界が悪くなる。雲の中に入ったからだ。
 ものすごいスピードで落下していく三人は、そのまま雲を抜け目的地へと進む。雲を抜けると曇り空の東京の街並みが見えた。昼前だというのに重たい雲に覆われて薄暗い街並みに、レインは少し懐かしさを感じていた。大きくそびえ立つ建物がどんどん近付いて来るにしたがって、徐々に真っ黒な爆炎が見えてくる。
 三人はギリギリのところまで落下していくと、まるでパラグライダーのように翼を広げ減速し、徐々にその事故現場へ近づいた。
 バスは二台とも横転し、その後ろには乗用車が何台か玉突き事故を起こしている。そのさらに両脇に動けなくなっている車達、渋滞している赤のランプ……。事故現場に徐々に群がる人間のやじ馬も見え始める。それに混じるように、黒の軍服を着ている天使達がポロポロと見え隠れしていた。
 三人は軍人達が一番集まっている場所へ近づくと、アスファルトすれすれで大きく羽ばたきながら着地し、歩き出した。
 そんな三人を周りの軍人は敬礼で迎え入れる。

「おいおい、確かに大事故だけども……死人はそこまで出てないようだし、魂の暴走もしてないじゃないか」

 ヤマトの言葉にレインも頷く。

「暴走は今は落ち着いています」

 ヤマトの言葉に答えたのは軍人の集まりの中央にいる人物だった。

「お待ちしておりました。ヤマト熾天使、レイン熾天使」

 その呼び名にヤマトは明らかに嫌な顔をする。

「まだきちんと発表していないのに、何でお前は知っているんだ?」

 初対面の相手にヤマトは少し失礼な態度をとる。
 しかし目の前で敬礼する軍人はレインと同じ少尉のバッジだ。そんな態度をとっても問題はないだろう。

「はい。申し訳ありません」
「で? お前がここの指揮官?」
「はい」
「今の現状は?」

 ヤマトは目の前の爆炎を眺めながらそう聞く。

「はい。事故が起きたのは今から二十分前、そこから魂の暴走を確認。五分ほど前に我々も到着いたしました」
「すぐに魂の暴走を発見したのか?」
「はい。暴走した魂は元々二時間後に死を迎え入れる段階の人物でしたので」

 ヤマトの質問にその軍人はそのままの姿勢で答えていく。

「というと担当の天使がいたってことか」と、レインもその話に加わる。

 天使は事前に予知された魂の下で数時間または数日、その人間を監視をし死を確認すると次の身体へと誘導するのが大きな仕事だ。
 今回も暴走している魂を監視する役割がいたはずだ。だから早くに暴走を確認できたという事らしい。

「魂のデータはこちらに」

 少尉は右手をヤマトに向ける。ヤマトは握手するようにその軍人の手を握った。そして数秒目をつぶると手を放す。レインも同じように少尉の右手を握る。

「東京都在住の二十七歳。イラストレーターの男性。今回は大きな仕事のオファーがあったのでその仕事の打ち合わせに……ね。そりゃ未練もあるか」

 ヤマトは頭の中に入って来たデータを口に出す。

「ランクDだろ? なんでSクラスみたいな暴走してるんだ?」
「そりゃ、役所の予知能力とは違う経緯で死んだんだ。こちら側の次元で起きた出来事に触れたからってのは大きいかもな」

 レインの質問にヤマトは深い息を吐きながら答える。

「こちら側……ね」
「元々能力数値は高かったみたいだな。転生できたかもしれないのにもったいない」

 そう言ってヤマトは話を続ける。

「で? この現場に来ている部隊は?」
「はい。第十四番隊、十五番隊、十七番隊、二十番隊の小隊です」
「おいおい。この規模に小隊って……」

 ヤマトが呆れ顔で溜息を吐く。

 確かにこの規模では分隊でも問題ないはずだ。小隊なんて規模を動かすほどでもない。

「それが、この小隊昨日編成されたばかりでして……ほとんどが新兵で構成されています」
「で? お前も??」
「はい。自分も小隊長を任されたのは今回が初めてで……」

 少尉は額に大量の汗をかきながらヤマトにそう言った。

「他の部隊は翌月の式典の準備で……」
「準備よりこっち優先だろ」

 ヤマトは「はあ~」とまた溜息を吐き、手を顔に当てた。

「自分も何分不安でしたので、他の部隊での再編制を申し立てたのですが」

 少尉はゴクリと唾を飲み話を続ける。

「ジュラス元帥が『二人を寄越すので何も問題ない』と……」
「あ~」

 その名前が出た瞬間、二人はこの編制は自分達を呼ぶことで完成するものだと納得した。

「あの人はほんと、どうしてこうも……」

 ヤマトはそのまま脱力感を露わにすると数秒目を瞑る。そして大きく深呼吸すると、レインにアイコンタクトを取ってきた。レインはそのヤマトの黒い瞳を金色の瞳で答える。

「よし! 分かった。ここは俺が指揮する。編隊を教えてくれ。まだ人間達の警察や消防隊が到着するまでには時間がかかるだろう? それまでに魂の回収を終わらせる」

 ヤマトはそうはっきりとした声で言い放つ。

「レイン言いたい事、分かったよな?」
「ああ、問題ない」

 ヤマトの言葉にレインは数歩、爆発するバスの方へと歩きながら答えた。

「編制を再構築する。いいか? 新兵には絶対に抜刀させるな!」

 ヤマトは周りに聞こえるように声を張った。周りの軍人達に安堵の顔が見える。ヤマトの指揮の下、軍人達はバタバタと編制を変えていく。
 そんな中、爆発のバス見つめるレインは何度か大きな伸びをしたり、屈伸運動をして時間を潰した。

「レイン! やれるか?」

 大体の事が終わる頃にヤマトはレインに声を掛ける。その声はかなりの大きさだった。それが合図だ。

「ああ、片目での戦闘は初めてだけど、これぐらいなら問題ないだろ」

 レインはそう言うとゆっくりと抜刀し、炎に近づいて行く。炎に照らされその刀が不気味に光る。
 そんなレインを見ながら周りの誰かがぼそりと声を出した。

「なあ、今レインって言わなかったか?」

 その質問に他の軍人も食いつく。

「新緑色の髪に、レインって名前……それって三年前の『悪魔討伐戦の英雄』じゃなかったか?」
「え? じゃあ今指揮をとってるのって『黒騎士』のヤマト中尉?」

 周りの軍人がボソボソと話し出す。そんな光景にヤマトは呆れるように肩を動かした。
 ジュラス元帥という名前が出てきた時点で分かっていたことだ。ここにいる軍人達は三年前にはまだ軍に入隊していない者で編制された部隊。
 そしてここまでの小隊で行わなくてもいい規模の魂の暴走。レインの軍復帰。
 そう、ジュラス元帥はこの場の軍人にレインとヤマトの存在を認知させるためにワザと自分達を徴集したのだ。
 ヤマトが編成し直したその配置は、どこからでもレインの動きを見れるように新兵達を立たせたものだ。

「全く……あの人は回りくどい」

 そんな上官の企みだと知っても、ヤマトは素直にそれへ乗っていく。

「いいぞ~レイン!」

 だいぶバスに近づいたレインにヤマトはそう声を掛けた。その言葉に合わせてレインは一度身体を低くすると、トンッと軽いリズムを刻み走り出す。
 するとまるでタイミングを計ったかのように、目の前で爆炎が大きは音と共に湧き上がった。
 空には何機かマスコミのヘリが舞いだしている。幹線道路での事故だ。車の渋滞になかなか緊急車両が到着しない為、周りはさらにやじ馬が増えていく。携帯で撮影する者、助けに行こうと水を被るもの……。
 その隣には人間に認知されない黒の軍服を着た天使達が、レインの行動を真剣な面持ちで見つめていた。
 レインは爆炎に向かって突っ込んで行く。そして刀に能力を込めると一気に斬りかかった。斬りかかったその場所が白い水蒸気と共に凍っていく。しかしその氷は強くなった炎に負けはじめ、最後には刀もはじき返された。反動でレインは翼を羽ばたかせながら空中に移動する。
 そして大きく羽ばたき、体勢を整え一呼吸置くと再び斬りかかっていく。何度も何度もそれを繰り返す。そう、まるでその炎とダンスをするように……。
 その光景を周りの新兵達は固唾を飲んで見守った。
 しばらくすると炎がレインの攻撃に徐々に小さくなっていく。
 レインはそんな炎へ渾身の一撃を入れ込むと、中心に向かって声を上げた。

「聞こえるか!? お前は死んだ! ここでこんなことしててもこの事実は変わらない! もうこんなことやめよう」

 レインの言葉に炎がゆらゆらと動く。

「次の人生へ行こう」

 炎はレインの言葉に抵抗するように少し勢いを増す。

「受け入れろよ! じゃないと前へ進めないだろ?」

 炎が上がる。レインは刀に起こした氷の空気を更に大きくした。

「認めないとダメなものだってある! 次の人生を生きろよ!」と、叫びさらに力を入れた。

 レインはそのまま炎を押し切るように刀を振り下ろした。
 一気に炎が消えていくき、周りに冷気が舞い始める。その空気が次元を超えて漏れてしまったのか、周囲にいた人間が数人体を震わせていた。
 魂の暴走で起こっていた炎は消え、本来の事故で起こっている炎のみになっていく。
 レインは横転し炎上しているバスの真上で刀の先にちょこんと乗った野球ボールぐらいの光を見つめる。

「仕方ないだろ? そう思うしかないんだよ」

 その言葉にその光は少し残念そうに揺れた。

「このままここで暴走して地縛霊にでもなって、陰陽師だの霊媒師だのに成敗されたくないだろ?」

 遠くの方でサイレンが聞こえる。そして頭の上はヘリのプロペラの音。
 数秒の沈黙の後、その光はレインの言葉に納得したようにポンッと音を出して弾け飛び消えていった。次の身体へと移動したのだろう。
 レインはそれを確認するとゆっくりと刀を鞘へと戻し、ヤマトの元へふわりと翼を使いながら着地した。

「ありがとうございます! お見事でした」
「いや、たいしたことじゃない」

 少尉の言葉にレインは首を振り答える。

「ご苦労!」

 先ほどの緊張感はどこへ消えたのか、ヤマトはレインに笑顔を振りまいた。

「リハビリになったか?」
「多少……だな」

 レインのふて腐れた顔はヤマトへではない。こんな舞台を用意したジュラス元帥にだ。

「ま、そう怒るなよ」
「怒っているつもりはないけど、こんな見世物みたいに……」
「俺達は言わばマスコットキャラクターだよ。ご当地のゆるキャラ的な存在だな!」

 そんな表現を聞き、レインはさらに眉間にシワを寄せた。

「で? この後、お前はみんなに俺達が熾天使の騎士に就任するって噂を流す役目を言い渡されてるんだろ?」
「さすがヤマト熾天使……元帥のお考えをよく分かってらっしゃる」

 ヤマトの言葉に少尉は力なく笑った。

「ある程度のシナリオはお前が俺達を熾天使って呼んだ時に分かったよ。な? レイン」

 そんなヤマトの言葉にレインは肩をガックシと落とす。

「まあ気を落とすなって!」
「いや、大丈夫だ。軍に戻るって決めた時から分かってたしな」
「お! いい心構えだな」

 ヤマトはケラケラとレインに笑う。

「さっきの魂にも言ったんだ」
「何て?」

 ヤマトは笑いながらレインに質問してくる。

「諦めが肝心だって」
「二十歳の餓鬼が言う事じゃないが、そりゃ違いない!!」

 ヤマトはそんなレインの肩を二度軽く叩くと、後ろを振り返り大きく伸びをした。

「三歳しか歳の差ないのによく言う」

 レインはヤマトに聞こえないようにボソリと言った。
 周りの軍人達はそんなしょうもない会話をしているとはつゆ知らず、レインとヤマトを尊敬の眼差しで見つめてくる。これがジュラス元帥の企みだろう。
 レインは大きく溜息を付いた。

「よ~し! 緊急車両も近くまで来てるし、やじ馬も増えた。これ以上ここにいたら霊感体質のやつらに感知されかねね~し、撤退するぞ~」

 ヤマトがそう叫ぶ。その言葉に新兵はバタバタと慌ただしく動き出し次々と空と飛び立つ。
 レインはふと何か違和感を感じ、周りを見渡した。そしてその違和感のある方へと歩き出す。
 後ろではバスがまた大きな爆発を起こしている。爆発を興味本位なのか携帯で撮影する人間のやじ馬の間をスラリと抜ける。その人間たちはレインを感知することは出来ない。もし出来たとしても第六感のようなほんの少しの違和感のみだ。
 レインはそんな人間の間をするすると抜けて歩き、アスファルトのほんの数センチの隙間を見つめた。事故現場から少し離れた倉庫の駐車場のような場所だ。隙間にどす黒い嫌な空気を感じる。
 これは……。

「何やってるんだよレイン!」

 その声に後ろを振り返ると、そこには呆れかえったヤマトの姿だった。

「帰るぞ! 今回のはさすがにジュラス元帥にやり過ぎだってガツンと……て何だそれ?」

 話の途中でヤマトもその穴に気づく。

「分からない」とレインは答える。
「この感じ……」

 ヤマトもその穴に近づくとまじまじと見つめた。

「こちら側の次元のものだな」
「ああ、恐らく……」
「悪魔、か」

 ヤマトの言葉にレインは頷く。
 この禍々しい空気。昔感じたことのある感覚だった。その穴は小さいながらにも、その香りを残している。

「ゲート設置後……で間違いないだろうな」

 ヤマトの声に曇りが見える。

「だろうな」
「けど、こんな場所で?」
「確かにな」

 二人はお互いの顔を見ると苦い顔をした。

「これが原因で今回の予知に反した事故が起こったって事で間違いないだろうな」

 ヤマトが面倒くさそうにそう話す。

「レイン、お前って昔からこう……悪魔絡みになると勘が鋭いな」
「それ、褒めてるのか?」

 その言葉にレインはヤマトを睨みつける。

「褒めてる褒めてる」

 ヤマトの心にない言葉にレインはさらに黒ずくめの男を睨む。

「ま、これも含めてジュラス元帥に会って来るわ。もしかしたら別件も含めて数日、中界軍基地に滞在するかもしれない。レインは先に天界に上がってくれ」

 ヤマトのその言葉にレインは「了解」とだけ言った。

「あ、お前の妹さん、ここら辺の病院なんだろ? 帰る前に顔出しとけよ」

 ヤマトの言葉で睨んでいたレインの顔が少し緩む。
 レインの顔付きの変化に、ヤマトは笑いだしながら話を続ける。

「天界に上がったら当分会えないだろ? 会って来いよ」
「いいのか!?」
「俺が許可したって事にしてやるよ」

 ヤマトの言葉にレインは嬉しそうに笑った。