「え？　何？　これはどういうことだい？」

　入り口の前で部屋の状況を把握できていないヒョロヒョロのアッシュグレーの髪色の男。
　ジュノヴィスは目の前で紅茶を飲んでいるところだったレインと、その隣のソファで足を組んで大きな態度を取っているヤマトを交互に見る。そしてデスクにいるシラを見つめた。

「ジュノヴィス中尉……」

　シラが名前を呟くと、ジュノヴィスはそれに合わせるかのようにズカズカとデスクに向かって歩き出す。
　そしてシラの前に行くと煌びやかな笑顔でシラに話し掛けた。

「シラ？　これはどういうことなのかな？」

　笑顔ではあるが唇の先が引きつっている。

「ジュノヴィス。いつも言っているのですが、ここへの出入りは謁見許可を取ってからお願いします」

　シラの言葉が少し冷たい。

「ごめんよ。君に早く会いたかったからね。先ほど帰還してその足で来たんだ」
「ダスパル元帥にご報告もしていないのですか？」
「おじい様の前に君に挨拶するのが先だろ？」
「軍人として上官から先に……」

　シラが呆れた声で言うのをジュノヴィスは溜息でかき消す。

「にしても何だい？　どうしてこの部屋に黒軍服がいるんだ？　しかも二人」
「それもお聞きしていないのですか？」

　流石にエレクシアが話に入る。

「なんだい？　エレア」

　ジュノヴィスは冷たい目を向けエレクシアを黙らせた。
　階級は同じはずのエレクシアがぐっと押し黙る。
　それだけ貴族階級が高いという現れなのか、シラの許婚だからなのだろうか。エレクシアもサンガも黙ったままその場に留まっていた。

「二人はあなたと同じ、熾天使の騎士に任命した者です」

　シラがジュノヴィスにきっちりとした口調で伝える。

「はい？」

　その発言にジュノヴィスは大袈裟に驚きの声を出した。

「おいおい！　シラ、冗談とは……君らしくない」
「本気です。今後私の身の回りの護衛をして頂きます。貴方と同じです」

　その凛々しい面持ちに、半笑いだったジュノヴィスから不穏な空気が流れだす。

「何を言ってるんだい？　シラ」
「彼らは私の命の恩人です」
「命の？」
「はい」

　ジュノヴィスは今度は大きな溜息を付く。

「僕がいない間、何が起こったというんだい？　君に何かあれば……」
「それは上官であるダスパル元帥から聞くことです」

　シラがジュノヴィスにピシャリと言った。

「シラ？　本当に僕がいない間なにがあったんだい？　君はもっと……」

　ジュノヴィスがそう言いながらシラに向かって手を伸ばす。
　そしてシラの頬に手を添えた。
　シラはその行動に微動だにせずジュノヴィスを見つめる。

「僕がいない間、君はまた美しくなったね。急に僕が帰って来たから戸惑ってるのかな？　大丈夫かい？」
「……」

　ジュノヴィスの手がシラの頬を撫で鎖骨をなぞり、肩に掛かった髪の毛へと延びる。
　そしてシラの緩く編み込んだ三つ編みと赤いリボンを掴むと、まるで手の甲にキスをするかのように唇を軽く当てた。
　その光景を冷ややかな目で見るレイン。

「なんだ？　ライバル登場ってか？」

　ヤマトは苦笑いしながらレインの顔を見た。

「そんなんじゃないだろ？」

　あきらかに憎悪を抱くレインの横顔にヤマトは肩をすくめた。
　そして「どっこいしょ」と立ち上がり、ジュノヴィスの方へと向かう。

「お初にお目に掛かります。ジュノヴィス中尉。自分は中界軍第７番隊ヤマト中尉です。そして」

　そう言われてレインもその場に立ち、ジュノヴィスに敬礼をする。

「あちらがレイン少尉。今後共に行動することが多くなりますでしょう。よろしくお願いいたします」

　営業スマイルのヤマトに対して、ジュノヴィスは汚物を見るような目で返してくる。

「中界軍……人間の成り上がり風情が大きくでたものだな。姫の御前に立つことも本来は許されぬ身分であるぞ」
「はい。心得ております。姫にご支援いただき、我らはこうして生きながらえております」
「ふん。汚らしい……」
「申訳ございません」
「全くだ。シラ、熾天使の騎士階級の就任の儀はまだ先だろう？　こいつらを解任できるようにおじい様に取り計らってきてあげるよ」
「ですから、姫のご判断で我らはここにいるのです。ダスパル元帥や元老院の許可もいただいてます」
「それは本当かい！？」

　ジュノヴィスの驚きの言葉にシラは頷く。

「で、我らは今ここでお茶をしておりました」
「お茶……を？」
「はい。お茶を」

　ジュノヴィスの戸惑いの顔を見せると、ヤマトが営業スマイルから悪だくみの顔に変わる。

「シラが？　僕以外の他の男と？　お茶を？」
「そうですよ？　いつもしてます」
「いつも！？」
「はい。そこにいるレインはよく姫と二人でアフタヌーンティーを楽しむんですよ」

　レインはヤマトに「余計なことは言うな！！」とアイコンタクトを送る。
　しかしヤマトの顔はどんどん歪むように笑っていった。

「おっと失礼！　ジュノヴィス中尉は姫の許婚ですからそんなこと関係ありませんでしたね」
「関係あるに決まって……！」
「なんて言ったってこの世界を統べる最神の血族を守っていくお方。そのような些細なことなど気にも留めぬでしょう」

　怒鳴ろうと顔を赤らめたジュノヴィス、はヤマトの被せてきた言葉に口をパクパクさせる。

「我らがどうして熾天使の騎士になったのか、理由も知らずに解任させるなどと、みみっちーことなど言うはずがないですよね？　そんな心の狭い男など姫には似つかわしくないですものね～」
「あ、ああ。そうだな……」
「姫様は『中界軍だから』『転生天使だから』という理由で我らを蔑んだことはございません。もちろん中尉殿もそんな男ではありませんよね？　なんてったってこの世界のトップの御方の許婚ですもん……ね？」
「そうだ、もちろんだ！」

　ジュノヴィスは目の前の策士にどんどん躍らせれていく。

「では、そろそろお時間では？　おじい様にお会いして今の現状を知るべきではないでしょうか？　それが姫を喜ばせる最善だと思いますよ？」

　ヤマトの締めの言葉にジュノヴィスは「そうだな！」と急に目の前にいるシラに笑い掛けた。

「シラ、夕飯は僕と取ろう。それまでにはここに戻るよ」
「……」

　シラは何も言わずにジュノヴィスをただ見つめた。

「ああ、いつもの君になってくれたね。ありがとう」

　ジュノヴィスはそう言って入って来た時と同じようにズカズカと歩き、部屋を後にした。

「いやはや。楽しくなってきたな」

　ヤマトはジュノヴィスの背中と、それを睨むレインの顔を交互に見ると小さい声でボソリと吐いた。





　夕焼けが黒く染まり、周りの木々たちは眠りに就くように深い影を作り始める。夕刻にはとっくに過ぎている時間であるが天界の夕日は長い。天気が良い日は三時間ほど夕日が楽しめる。
　今日の夕食はまた大変な時間になった。

　ジュノヴィス中尉が箱庭に帰ってくると同時に行われたのだが、レインとヤマトは同じ食卓に座ることは無かった。それはジュノヴィスの希望で、その言葉に誰も逆らえなかったからだ。それに気分を害したシラがそれ以降ジュノヴィスときちんとした口を利かなくなってしまい、いつもの賑やかな食事とは一変、静かな時間が過ぎる。
　ジュノヴィスがシラにあれこれと話をするのだが、シラは曖昧な返事しかしない。
　しかしジュノヴィスはいつものことだと、何も気にすることなく会話を続ける。
　今まで明るいシラを見てきたレインやヤマトはシラのそんな姿に少し面食らったのだが、エレクシアの話だといつもあの二人はこんな感じのようだ。
　到底夫婦になれるような空気ではない。
　旦那になる者が全て決めてそれに従う妻。それが貴族の中では未だ深く根付いているようで、シラがいくら口を挟もうとジュノヴィスには関係ないのだろう。
　しかもジュノヴィスはシラは元々無口でそっけない態度をする女性だと思っているようだ。
　それにジュノヴィスは場の空気を感じるのが疎いのか、皆がシケた食卓でも一人で嬉しそうに視察部隊の話と自分の英雄伝を熱く語っていた。
　そんな夕食後、ヤマトは暗くなりつつある箱庭の森を抜け自室に向かう廊下を歩いている。
　空には一番星が微かに光り出していた。

「ん？」

　自分の部屋から少しばかり離れた場所に微かに明かりが見える。
　ほのかなその明かりにヤマトは足を進めた。

「やっぱりな」

　明かりの近くまで行き、その場所に座っている人物を見つけると声を掛けた。
　そこにはランタンに明かりを灯し、廊下に座って晩酌をしているレインの姿があった。
　少し薄着の私服に着替え、だらけたその姿にヤマトは溜息を付く。

「もう飲んでるのか？」

　その言葉にレインは上を見上げるようにヤマトを見てきて「まあな」と答える。

「どっこいせ」

　そう言ってヤマトはレインの横に置いていあるつまみの隣に腰かけた。
　つまみはナッツ系と小魚のようだ。そして半分近く飲み干されているウィスキーのボトル。

「お前、もうこんなに飲んだのか？」
「ん？　まあ～な」

　レインの返事にまた溜息を付く。
　相変わらずの豪酒だ。いくら飲んでも顔色変えないレインの飲みっぷりには毎回呆れる。

「じゃ、俺はハイボールで」
「そんなん出来るわけねーだろ」

　レインはそう言って開いているロックグラスに指を近づけると、能力で氷を作りウィスキーを注ぐ。
　そして「ん」と言葉を発するとヤマトに差し出した。

「だよな～サンキュ」

　ヤマトはそれを受け取り二人は軽くグラスを当て乾杯した。当てたグラスの中の氷がカランと音を立てて動く。

　ヤマトはグラスに口をつけて喉を潤す。

「ん！？　キッツ！！」

　ヤマトは潤したはずの喉に熱さを覚え、眉を歪めながら言った。

「お前……よくこれをロックでガブガブ飲めるな」
「そうか？　うまいぞ？」

　レインは何食わぬ顔をしてナッツを口に入れながら、自分のグラスに口を付けた。
　そして空を見上げる。そこには大きく光る月が見え始めていた。夜の始まりがそこにある。

「……今日は目まぐるしかった」

　レインがボソリと言った。

「全くだ！！」

　ヤマトはナッツを口に放り込み同意する。

「どう思う？」と、ヤマトは声を出す。
「どうって？」

　ヤマトの質問に質問で返してくるレイン。

「巫女の話だ」
「ん～」
「世界を変える力。本当にそんなもの俺達にあると思うか？」
「さあな」
「だし、ジュノヴィス中尉が帰還するギリギリでの呼び出し」
「だな、あいつは世界の理に関与しないって事だろう」と、レインがムスッとした声で言う。

「あれ？　レイン。お前やっぱり気にしてるの？」
「何が？」

ヤマトのニヤケ顔をレインが睨む。

「シラの許婚のジュノヴィス坊ちゃん」
「別に？」
「ふ～ん」

　レインの態度にヤマトはニヤケが隠せない。

「天界の姫様だぞ？　そういうのがいてもおかしくないだろ？」
「まあな」
「だから別に気にしていない」
「へ～なるほどなるほど」

　ヤマトのそんな返しにレインはさらに睨みながら、グラスのウィスキーをぐぐっと飲み干した。

「そんな、俺はシラと今後どうとなるつもりはないよ」
「ほう？」

　レインは飲み干したロックグラスにウィスキーを注ぎながら話を続ける。そのままヤマトのグラスに注ぐ仕草をしたが、ヤマトがそれを避けるようにグラスを自分の元へ引っ込めた。
　レインはウィスキーのボトルを静かに置きながら話す。

「このまま恋人になりたい、とか将来伴侶に、なんて考えてないさ。俺とシラの間にはいろんな障害がある」
「……」
「転生天使。中界軍。名乗る姓もない。そんな俺が彼女と釣り合うはずないだろ？」

　レインはまたグラスを手に持つ。

「じゃあお前は今後どうするんだ？」

　ヤマトの言葉にレインはほのかに笑った。

「このままでいいよ。俺は彼女の側で騎士として彼女を守っていきたい」
「……」
「彼女も彼女の守りたいこの世界も、彼女が描く理想も……俺は守っていきたいんだ。だから世界の理だとか、世界を変える力だとか、災いだとか関係ないんだよ」

　そしてまたグラスに口を付ける。

「お前ってさあ……」

　ヤマトは少し呆れた顔でレインを見る。

「もっといろいろあるだろ？」
「何が？」
「いや、あんな男に自分の愛した女性を取られて悔しくないのかよ」
「ん～そう言われると返答に困るが……。仕方ないだろ？」

　レインのあっけらかんとした言葉にヤマトは深い溜息を付いた。

「お前のそういうところ、もう少し何とかならんのか？」
「何が？」
「だからさ！！」

　ヤマトは少し強めに声を上げる。

「お前はもっと欲深く生きろよ！」
「欲深く？」
「何でもかんでも流れに身を任せ過ぎだ！」
「そう……か？」
「そう！！」

　力強いヤマトの言葉にレインは少したじろぐ。

「や、ヤマト酔ってないか？」

　レインの言葉にヤマトは「はっ」とし、飲み干したグラスを見つめた。

「いや……すまん」

　そこまで飲んでいないのに酔うわけがない。

「レイン」
「ん？」
「俺は貪欲な天使だ。俺みたいになれとは言わない。けど少しは自分を出せよ。じゃないと……」
「……？」
「いや、いい」

　ヤマトはそう言ってグラスをその場に置いて立ち上がった。

「ごちそうさま。もう寝るわ」
「お、おう」

　こいつには大きな過去がある。人間の頃にも軍人の時代の時も……だからこういう性格になったのは分かっている。
　しかしこうもあっさりしているレインの言動にヤマトは少し不安を覚えた。
　ヤマトはたじろぐレインにニタリと笑って見せる。
　そしてヤマトは自室に足を運んだのだった。