目を瞑り、精神を集中させる。
心を真っ白にして、無を作りゆっくりと深呼吸をすると肺に酸素を送った。
「大佐、終わりました」
そう声を掛けられ目を開けた。
漆黒の瞳は目の前の光景を見つめる。
目の前にはたくさんの死体。そう、死体の山が大きくできあがっていた。
「我が隊は死者、負傷者、ゼロです。敵は二十人ほどかと……」
近くに来た部下が敬礼をし、そう報告してくる。
大佐と呼ばれたその男は、深く呼吸をすると「そうか」と声を掛け、握っている刀の汚れを振り払い鞘へと納めた。
「ベルテギウス大佐?」
そう呼ばれ、ベルテギウスは青紫の髪の毛をかき上げる。
「案内しろ」
「こちらです」と、部下はそう言って歩き出しベルテギウスもそれに続く。
天界の城から遠征に出て早二十日。
ここ最近は永遠と続くような平原のど真ん中を、ただ目的地に向かって進むという単調な生活を送っていた。
どこを見渡しても緑の草が生えているだけの大平原。本当に変化のない毎日だった。
しかし今日はそんな単調な一日ではなかった。
突如、大平原の中に数十張りものテントを見つけたからだ。
ベルテギウス達はこの平原に住む遊牧民族だろうと声を掛けに向かったのだが、それは予想をしていなかった者達の集まりだった。
「離せ!」
付いた場所には一人地面に顔を押し付けられ、拘束されている男の姿があった。
顔も姿も自分達と何ら変わらない。
変わっているのは背中に生えている翼の色ぐらいか。
「皆、よくやった」
ベルテギウスは部下に声を掛けその男の元へと歩み寄る。
遊牧民族に扮していたその服装から生える翼は、男の呼吸に合わせ白から黒へとぼやっと移り動く。
精神状況によって白色を保てず、黒が見え隠れしているようだ。
どこかの記述で読んだことがある。堕天使は悪魔の能力を使いこなし、精神を安定させ翼の黒色を隠す事ができると。
「なぜこんな所でこんな生活をしている、『堕天使』……」
ベルテギウスはその男に向かって問いかける。
本来、堕天使は悪魔への寝返りによって天界などで生活せず、地下界へ向かう。
だが、ここにいた二十名ほどの堕天使は皆、天界の遊牧民族に紛れるように生活していたようだった。
堕天使はベルテギウスの顔を睨む。
その瞬間、男の白色と黒色のマーブルだった翼が一気に黒へと変わる。
「……ッ!」
部下たちが一斉に刀の柄に手を添え、緊迫した空気が流れた。
しかしベルテギウスは周りの部下達の行動を抑えるように手を上げる。そして目の前にいる堕天使の男を睨んだ。
「天界での暮らしと、最神への忠誠を捨てた愚かな者達。なぜ今更この地にいる」
「……」
「悪魔の言葉に耳を傾けた貴様らには、もうこの世界は生きづらいだろう」
男は何も言わずにただベルテギウスを睨みつける。
「答えろ」
このままではこいつに拷問をする必要が出てくるだろう。
何かしら理由があってこの場所にいるはずなのだから。
捕虜として城に連れて帰るという選択肢もあるが、悪魔は所詮堕天使を使い捨ての駒のようにしか扱わない。
捕虜にしていてもなんの価値もないだろう。
そんなことを考えていると、目の前の男は大きく息を吸って話し始めた。
「俺達はこの世界に新たな恐怖を植え込む為に来た」
「何?」
ベルテギウスは眉を寄せる。
「あの御方が降臨される。もうすぐだ。我々はその為に生きてきた」
そう言うと男は突然不気味に笑いだす。
「そう、もう遅い! 始まっているんだ! あの御方はもうすぐそこまで来ている!」
「……」
「もうすぐ、もうすぐだ! もうすぐ我々に幸せが訪れる時代が来る!」
そう言った瞬間、笑っていた男が急に泡を吹きながら痙攣し始める。
急なことに周りの部下達が急いで男の元へ駆け寄った。
「どうやら歯の間に毒を仕込んでいたようです。自殺を図られました」
「申し訳ありません」
部下の言葉にベルテギウスは無言でその男へ近づき顔を覗き込む。
この先辛い拷問を受けて死ぬのならここで自ら命を絶つ。いい選択だったのかもしれない。
「ほかに言いたいことはないか?」
ベルテギウスの言葉に男の瞳が動く。
「ぃ……」
泡を吹きながら何か言葉を発する。
ベルテギウスはそれを聞きのがさまいと男に近づき耳を傾けた。
「ふぃ……る……さま」
聞き覚えのある名前にベルテギウスは驚き、立ち上がる。
「ゲートを設置する」
「城への帰還……ですか。ゲートを設置するには場所も場所ですので、座標の確認と設置に二十日ほどはかかるかと」
「ならこの足で帰還だ。準備をしろ!」
「はっ!」
部下たちは慌ただしく動き始める。
そんな光景を横目にベルテギウスは、足元で動かなくなった黒い翼の堕天使を見下ろした。
「神を……この世の最高位血族を信じぬ者に幸せなど来ぬ。お前らは……悪魔の元へ落ちた瞬間から、死んでいるも同然なのだよ」