天井が見える。
　そう真っ白の天井だ。
　その天井の隅には大きな蜘蛛の巣が見える。
　天界の隅にある転生天使の居住区のさらに端にあるこの中界軍軍事基地。
　その蜘蛛の巣はさらにその隅に位置するのか……なんて思いながらヤマトは大きな深呼吸をした。
　自分のデスクで深く椅子に座ったまま、ボーっと天井を眺め思考を停止させる。
　今日は自分の所属している隊の隊員は皆、出払っていて誰もいない。
　大佐は会合で夕方までいないし、口うるさい軍曹も出張中。今だけは実質自分の城だ。
　中界でのあの一件からもう二日も経っているが、未だにジュラス元帥はこの基地に現れていない。

　あの一件後、二人が『熾天使の騎士』に就任するという話は基地全体に行き渡っていて、基地にいるほとんどの軍人はその事実を知っているようだった。
　にも関わらずその話は噂でしか広まっていない為、隊の仲間には距離を置かれるし、同期の奴らも仕事以外は話しかけて来ず、皆自分に対する扱いがどこか余所余所しい。
　無理もない。昔は貴族階級として存在はしていたものだが今は軍、貴族、どちらにも属さないそれは『最神』の下での直属の階級だ。
　転生天使でその階級に昇進したことは今までに例は無い。
　中界軍での階級は『中尉』ではあるが、天界に行けば『騎士階級』という何とも分かりにくい立ち位置だ。皆どのように接していいのか分からないのだろう。その為、どこにいても腫れ物扱い。
　ヤマトはレインの前では毅然に振舞っていたが、戸惑いや迷いも少なからず芽生えている。二日しか経っていないにも関わらず、ヤマトはその現状に嫌気が指していた。
　この異例の地位をどこまで使いこなせるのか。それをこれから模索していかねばならないだろう。

「あああああ～」

　ぼうっとしながら天井の蜘蛛の巣を眺める。
　口から声にならないうめき声が上がった。

―――コンコン

　ヤマトの声にならないうめき声をかき消すように、入り口がノックされる。

「ど～ぞ～」

　誰が入って来るのかわかっていたヤマトは、そのままの体勢でそう答えた。

「失礼したします」

　そう言って入って来たのは自分の一番の部下である大柄男。少尉だ。
　レインを捕まえに行ってもらったり、話し相手になってもらったりとこいつにはいつも感謝している。

「あ、お休みのところでしたか？ 失礼しました」
「いや、もう仕事に取り掛かる。問題ない」

　そう言ってヤマトは天井を見上げていた顔を戻すと、その男に向かって話した。

「お疲れのようですね」

　少尉はヤマトのデスクの前に新しい資料を置く。

「少しな」と、ヤマトは瞼を抑える仕草をしながら答えた。
「まあ、騎士階級ですからね。皆さん中尉にどう接するべきか悩んでるんですよ」

　少尉はヤマトの考えている事を端から分かって、笑いながらそう言う。

「ん～」

　ヤマトは少尉の言葉にそう言って返すと、背中の翼をごそごそと動かし座り直す。

「そのうち元に戻るでしょう」
「だといいんだがな」
「式典で正式に発表ですよね？」
「元帥はそのつもりだろう。華々しく俺とレインを登場させてバーン！　と中界を宣伝するつもりだろうよ」

　ヤマトの言葉に少尉は「あはは」と笑う。

「ジュラス元帥。先ほどお戻りになったようです」

　その少尉の言葉にやる気のなかったヤマトの瞳に光が帰ってくる。

「やっとか……」
「多忙ですから」

　少尉の言葉を聞きながらヤマトは立ち上がり、首元の服の乱れを直した。

「今どこに居るって？」
「はい。自室にて書類整理をされると言ってるようです。数日は篭ると」
「よし、なら問題ないな」

　ヤマトはその言葉を聞くと部屋の出入り口へと向かった。

「少尉、その書類、大佐のデスクに置いておいてくれ」
「怒られませんか？」
「騎士様は忙しいんだ！　ってことにしておく」

　少しの嫌味を込めた表現に、少尉はヤレヤレと肩をすくめた。

「それにどうせあと少しでこの部隊ともさよならだからな。引継ぎだ！　引継ぎ！」
「それを上官に押し付けるのはどうかと思いますけど。ま、そうお伝えしときます」

　少尉の言葉にヤマトはニヤリと笑って見せた。

「じゃ、ちょっくら行ってくる」

　ヤマトの言葉に少尉はビシッと敬礼して見せると「はい」と短く答えた。
　その姿を見たヤマトは扉を勢いよく開け、ジュラス元帥の自室へと向かった。





　廊下を進むと、そこには二人の兵がジュラス元帥の自室の前で警備をしていた。
　ヤマトがその自室の前まで来るとその二人は一度顔を見合わせ、背筋を伸ばす。『熾天使の騎士』が来た！　とでも思っているのだろうか。

「閣下はこちらにおいでか？」

　そのヤマトの言葉に一人が「はい」と答える。
　本来ならここで謁見の申し立てなどをするのだが、ヤマトは何食わぬ顔をしてその部屋の扉にノックをした。

「ちょっ！！」

　急にそんな行動に出たヤマトの腕を兵士は急いで握った。

「元帥閣下は今！」

　そこまで声を荒げた兵士の声に被さるように中から「は～い」といういつもの声が聞こえてくる。

「ヤマト熾天使中尉です」

　ヤマトは一瞬自分の階級を躊躇し、そして高らかに中の男に向かって叫んだ。

「入れ～」

　その言葉を聞くとヤマトは腕を握っている兵士をぐっと睨んだ。
　ヤマトの黒の瞳がキラリと光ると、兵士は小さく息を吸いその手を素早く放した。

「失礼しました！！」

　兵士は慌てて敬礼をしてくる。そんな兵士に何食わぬ顔をして目の前の扉を開けた。

「失礼します」

　そう言って中へと足を踏み込む。ここに入るのは二度目だった。
　一度目はガナイド地区悪魔討伐戦の報告の時だ。
　中は元帥という階級にしては狭い。いや、十分広いのだろうが資料やら書物やらが積み上げられており、狭く感じるのだろう。
　ヤマトはそのまま中へと入って行く。
　目の前には大きなデスクがあり、その上にはさらに沢山の紙切れが山積みになっていた。

「お！　来たな」

　そう言って資料の間から羽ペンを持ったジュラス元帥が姿を現わす。今日もボサボサの白髪混じりの髪に剃り残しだらけのヒゲ、目の周りは薄っすらとクマが見える。
　ヤマトはその姿を見るとその場で立ち止まり、敬礼をした。

「いいよ、楽にしろ」

　ジュラスはそう言うと、また資料の中へと消えてしまった。
　ヤマトは言われた通り休めの体勢にすると、ジュラス元帥の消えた資料の山を見つめながら話し出した。

「レインが怒ってましたよ」
「あ？　やっぱり？」

　資料の向こうから紙のこすれる音とペンの動く音に交じり、ジュラス元帥の声が聞こえる。

「流石にあれはやり過ぎです」
「あはは……。そうかぁ。悪かった悪かった」
「謝るならレインに言ってやってください」
「そうだな、どうせ近々城に上がるつもりだからその時顔を見せるわ」

　サラサラと紙へサインしていく音が響く。

「で？　ヤマトお前はどうなの？」
「どうとは？」
「上手くやってるか？」
「……まあ、なんとか」

　ヤマトの歯切れの悪い声に、資料の間からひょっこり顔を出すとジュラス元帥は笑った。

「状況が変わりつつある事に戸惑ってるのか？　らしくないな」
「そうかもしれません」

　ヤマトは少し下を向くと絨毯を見つめた。

「ま、うまくやれ」
「……」
「そうとしか言ってやれんからなぁ」

　ジュラス元帥はそう言ってニカッと笑う。

「お前なら今の立ち位置でもしっかりやれるさ」
「ですかね？」

　柄にもなく弱音を吐いてしまう。そんな自分が少し情けなくなる。

「おう、俺が見込んだ天使だぞ？」

　その言葉にヤマトは下を向いていた顔をジュラス元帥に向けた。

「な？　お前なら大丈夫だって！！」

　ジュラス元帥の言葉にヤマトの心はみるみる温かくなっていくのが分かる。

「分かりました」

　そう簡単に言ったが、ヤマトにとってジュラス元帥の言葉はどれほど大きいものか計り知れない。
　ヤマトは大きく深呼吸をしてぐっと胸を張った。何を弱音を吐いているんだと気持ちを瞬時に切り替える。
　その顔を見るとジュラス元帥は微笑む。

「分かりやすい奴め」

　そう言いながらまた資料の中へと戻っていく。

「で？　他にも何かあったんだろ？」

　ジュラス元帥の言葉にヤマトは話を切り出す。
　レインが見つけた歪みのこと。その歪みに悪魔の能力が感じられたこと。その能力はゲート設置に使われているようだという事。
　話をし終えると、ジュラス元帥は座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。

「ん～」

　そして深く唸ると窓の外を眺める。

「この件。レイン以外知ってる者は？」
「いえ、極秘の方がいいかと思い、報告はしていません」
「適切だな」
「……？」
「実はな、今月に入ってもうそういった報告が三件あるんだ」
「三件も！？」

　ヤマトはその言葉に声を上げた。

「ああ、たまに悪魔が上にちょっかい掛けてきたりはあったが。ここまであからさまに行動するのは休戦後なかったからな」

　ジュラス元帥はボサボサの白髪だらけの髪を掻きむしりながら話す。

「何か臭うな」
「それは……戦争ってことですか？」
「いや、そこまでは言わないけどなぁ」
「……」
「何か、起こすつもりなのかもしれないな」

　そう言ってジュラス元帥は自分の腕にはめているカラクリの腕時計を見る。

「ヤマト、この後時間あるか？」
「はい。あります」
「ならこのまま付き合え」

　そう言ってジュラス元帥はきつい顔を緩めヤマトに笑った。

「これから極秘の中界軍上層部軍議がある。お前も来い」
「よろしいんですか？」
「何言ってんだよ！　お前は『熾天使の騎士』だろ？　十分その資格がある」

　ジュラス元帥の顔を見つめる。
　ヤマトはそのままグッと拳を握った。

「付いて来るよな？」

　ジュラス元帥のその言葉をヤマトは「はい！」と答える。
　そしてヤマトは会議へと足を運ぶのだった。
　大佐以上の階級のみの軍議。その一番隅に臨時に用意された席での出陣ではあった。
　しかしこの一歩は大きなものだ。ヤマトはそう思った。
　いずれは自分が座る席。その席を睨む。ジュラス元帥の隣『中界軍中将』の席を。