ガチャガチャとピンセットをパットの上に置き、目の前の白衣の男性は溜息を吐いた。
「終わったよ」
男性はぶしつけに話すと使った道具を片付ける為に体を横に向ける。
「ありがとうございます」
レインはその男性に深く頭を下げお礼を言った。
ここは城内の治療室だ。
木製の建物にパソコンもレントゲンもないデスクの上で、医者の男性はカルテを羽ペンで書いていく。
「能力で君の治癒能力を高めているが、深く傷ついているからね。なかなか回復はしないだろう」
「はい」
「それに君達の世界と違って、天界では医療はもっぱら能力で本人の治癒力増強という手段を取っているから、簡単に義眼を作る技術はないからね。そう直ぐには入れられないよ」
「はい、大丈夫です」
「最神様の式典に間に合わないかもしれない」
「それは仕方ないです。このまま包帯を巻いて出席しますよ」
レインの言葉に医者の男性はこちらを見てくる。
「自分の身体の事なのにあっさりなんだね。転生天使とはみんなそうなのかい?」
「いえ、まさか」と、医者の質問にクスリと笑って答えた。
「自分がそういう性格なだけです。仕方ないことをグズグズ言うつもりはありませんし、受け入れる方が話が早く回る」
「確かにそうだ。最もな意見だね」
先生はそう言ってカルテをまた書き始めた。
「人間として死んだ時も、戦場で仲間が死んでいくのを見た時も……そうなんだから仕方がない。起きてしまったことをいつまでも悔やんでいたら辛いだけだと痛感しましたから」
「そうでもしないと自分自身を保てなくなる……ということかな?」
「ですね」
レインは少し悲しそうに笑った。
すると先生の後ろにある扉に何人かの影がゆらゆらと揺れるのが目に入る。その影はこちらを覗くとサッと消えていった。
レインは影を見ると溜息を付き、力なく笑う。
そんなレインの行動にペンを走らせながら先生は口を開く。
「君がここに来るようになってから仕事が捗らないよ。全く……」
後ろの影が「キャッ」と声を上げる。
「目が合った!」
「嘘!?」
「睨まれてるんじゃない?」
壁の向こうの声にレインはもう一度溜息を付く。
「看護師達が君を怖がって仕事をしない」
「すみません」
「全くだよ」
「はい」
先生は淡々と話す。
「転生天使なんて何で城内の治療室を使うことになったのか……最神の考えは分からないね」
「すみません」
「まあ、私は目の前の怪我人を治療するだけなのだがね。しかし、周りの者達に少なからず影響を及ぼす」
「はい」
「全く……」
そう言って先生はレインに向かって手を振り、シッシッと動作した。
レインはその動作で座っていた椅子から立ち上がると、目の前の医者に頭を下げ入り口へと向かう。
「また三日後に来るんだよ。いや、別に来なくても構わないが」
「はい、来ます」
レインは一度振り返ると返事をする。
すると扉の向こうの看護師三人がこっそりこちらを見ているところだった。また悲鳴を上げて扉に隠れる。
「失礼します」
レインはそう言って黒の軍服を翻し治療室を後にした。
コツコツとブーツの音が響く。
城内での少し入り組んだところにある治療室は、箱庭からそこそこ遠い場所に位置する。
レインは早い足取りで箱庭へと急いだ。
片目を失ってもう二週間が過ぎようとしている。
昔からの運動能力や瞬発能力の高さから、日々の生活や戦闘技術に関しては全く問題ない。
しかしレインが問題にしているのは見た目だった。城内でかなり目立つ黒の軍服に若草色の髪、そして左目を隠す包帯。
「見てください!」と言わんばかりの恰好に、さしずめ自分は中界軍宣伝用のピエロなのではないだろうかと悩む日々である。
先ほども言われたが、天界の医療は人間界より劣っている。それは天使には能力が備わっている為、治癒能力増強法である程度補えるからだ。『治癒力増強法』それは自分の能力を相手にぶつけ、相手の治癒能力を上げる事だ。
人間界でいうファンタジー世界の『回復魔法』に近いかもしれない。
レインも応急処置程度の知識はあるが、専門的なものはやはり医者のような天使がいるようだ。
しかし一度無くなったものを復活させることは出来ない。例えば心臓だったり、骨だったり、神経だっり、眼球だったり。その部分に関しても人間世界ではすでに人口技術が発達している。
天界と中界、医療の差は素人のレインですら分かるものだった。その為レインの義眼はすぐに作れるものではなく、時間がかかるらしい。
「おい、あれ…」
「ああ」
グレーの軍服の兵士達がレインとすれ違いながら、こちらを伺うように話をする。
遠くでメイド達がひそひそと小声で話をしながらこちらを見ている。
その視線にレインは日々悩まされていた。
「ああ……もう」
レインはそう小さく吐いた。
ある程度覚悟はしていた。天界軍や天界天使達からの迫害はいつもの事だった。
しかし今回はまた違う。
自分には『熾天使の騎士』という大きな肩書があり、周りはその為にレインへ正面から向かってくる者はいない。
今みたいにコソコソとされるばかりだ。
どちらかと言えば先ほどの医者のように、はっきり自分に向かって言ってくれる方がこちらも有難い。なにかしら対応できるからだ。
しかし、この現状も「仕方がない」と言ってしまえば終わりなのだが……。
そんな周りの状況にレインは肩身の狭い毎日を送っている。
速足のレインはなんとか中庭の方へと進み、目の前に森のような光景を見つける事が出来た。
「やっと帰って来た……」
安堵の言葉が出る。
レインはそのまま廊下を抜けると、芝生へ足を付け『箱庭』と呼ばれる最神の世界へと足を進めるのだった。
木々の中へ進み飛び石の道を歩き、目の前に見える箱庭の中で一番大きな建物へと進んだ。
建物に到着し扉にノックする。
「はい」
サンガの声が聞こえ、レインはその扉を開けた。
そこには沢山の書物と部屋の先のテラスで外を眺めているシラの後ろ姿が見える。
「お? 帰ったか」
部屋の中に入ると入り口付近にいたヤマトに声を掛けられる。
「ヤマト、今日は天界にいたんだな」
「まあな。どうだった?」
「ん~まだまだってところ」
レインはそう答え、部屋奥へと進む。
「レインお帰りなさい」
紅茶をヤマトに運びながらサンガが笑顔で迎え入れてくれる。
「ああ、ただいま」
するとサンガはススーっとレインに近づき耳打ちをしてきた。
レインは何事かと、耳打ちをしやすいようにサンガの方へ体を傾ける。
「姫様、今日新しくドレスを新調されたんです」
「……はい?」
「だから、姫様のドレス。デザインが少し違うんです」
「どこが??」
シラの後ろ姿を見つめるが、どこかが変わっているようには見えない。
「ほら、やっぱりそうだろ? レインは気が付かないってサンガ」
後ろからヤマトの声が聞こえる。
「変わってますから! 帯の色とか! 飾りのリボンとか!」
サンガが耳打ちを辞めて少し小声でレインに訴える。
「あ~言われてみれば……」
レインのそんな反応にサンガは肩をガックリと落とした。
「な? 言ってよかっただろ?」
ヤマトがいつものにやけた顔で言う。
「ですね」
サンガはそう言って少し残念そうに笑った。
「で? だから??」
その話に着いていけなかったレインは首を傾げながら二人に聞く。
「いいから早くシラのところ行けよ」
ヤマトは顎を動かしシラの元へとレインを促す。
「は?」
レインは何が何だか分からず短い言葉を発した。
「いいですか? ちゃんとドレス変わった事を話題に出すんですよ!」
サンガが少し力強く言う。
「あ、ああ……」
レインは言われた通りにシラのいるテラスへ向かい、コホンと咳払いした。
「あれ? レインお帰りなさい」
昼下がりの日差しがポカポカと暖かく、テラスは明るい。
椅子に座って読書をしているシラの空色の髪と赤のリボンがキラキラと光った。
「ただいま、シラ」
レインはそう言ってシラの向かいの椅子に座る。
シラの後ろにはニヤニヤと笑うヤマトと、拳を握って応援しているサンガの様子が見えている。
「えっと……」
レインが頬を掻きながら話を切り出そうと声を出した。
「怪我の具合はどうでしたか? 義眼はまだでした?」
「あ、うん。もう少し治療が必要だって。義眼もなかなか出来ないみたいだ」
「そう、ですか……」
「式典間に合わないかもしれない。ごめんな」
「いえ! 私は全然!!」
シラは少し声を上げ、そしてシュンとした。
まだこの目のことを自分のせいだと気に病んでいるようだ。そんな顔を見たくなくてレインは話を切り替えようと息を吸った。
「シラ!」
レインは少し声が裏返ったままシラの名前を呼ぶ。
「はい?」
「あの、その……今日雰囲気違うな」
「え?」
シラの言葉に焦る。
「いや! ドレス……その、似合ってる」
「本当ですか!?」
シラはレインの言葉を聞くと、顔を赤くしながらパッと笑みをこぼす。
「ありがとうございます! わあ、嬉しいなあ」
ポカポカの陽だまりのように笑顔になるシラの顔。
その顔を見てレインも思わず笑みが零れる。
暖かい。この箱庭は今レインやシラにとって大切な場所になっていた。こんな昼下がりがなんと心地よいのだろう。
四回のノックが部屋の入り口から聞こえる。
「はい」
扉の近くにいたサンガが返事をすると、部屋の中に入って来たのはエレクシアだった。
「失礼」
それだけ言うとヤマトの隣をするりと抜け、迷わずシラの元へと向かって来る。
「姫様」
「どうしたんですか? エレア」
真剣な面持ちのエレクシアの顔にシラは不安そうに言った。
「天界巫女様から謁見の申請が来ました」
その言葉にシラの顔が険しくなる。
「いつですか?」
「今からでもと……」
「そうですか」
シラは一瞬下を向いて悩むと「分かりました。今から向かうと伝えてください」とエレクシアに言った。
「はい。それと、熾天使の騎士候補二人も共にと……」
「俺達も?」
その話を隣で聞いていたレインが声を上げる。
「ああ、巫女様がお前達にお伝えする事があるそうだ」
エレクシアの言葉にレインは少し背筋が凍った。
暖かい日の光より何か予期せぬ事が起きそうな、そんな気持ちが勝ったからだった。