第二章ノ壱8幕


 その『アカシナヒコナ』の名前を発音した瞬間から、何も感じなかった空間に温かみが増していくのが肌ではっきりと分かった。
 不気味だった空間がほのかに明るくなる。

「この度はわたくしの我儘でここまでおいで下さり、誠にありがとうございます」

 天界巫女はそう言って笑う。先ほど天界巫女だと思っていた煌びやかな服装の女性とは正反対だ。

「姿勢を楽にしてくださいませ。長い話になりますでしょうから」

 そう言われ、シラはゆっくりと楽な姿勢に座りなおす。

「二人も大丈夫ですよ」

 シラの言葉にレインヤマトは忠誠を誓う体勢から顔を上げると座禅を組んで座った。

「本来はあの子が私の影武者として巫女を名乗っております。私の正体を知っているのはここにいるこの子達と姫様のみ」

 巫女はそう言って周りの子供達に笑い掛けた。

「しかしこの度、わたくしの判断でお二人にもきちんとご挨拶をさせて頂きたく、こちらにお呼びいたしました」
「どうしてこのタイミングで? まだ熾天使の騎士就任前ですし、もう一人就任予定のジュノヴィスもいません。何故なのか……お話し頂けませんか?」

 シラの言葉に巫女は深く頷く。

「はい、姫様」

 そして巫女はゆっくりと立ち上がりレイン、ヤマトをじっと見つめた。

「お二人は『世界を変える力』の持ち主である……と、昨晩のお告げがわたくしの元に参りました」

 シラがその言葉に一瞬怯む。

「それは……私のような血族以外の魂を感じ取ったということですか?」
「はい。今後近いうちに何か大きな『災い』がこの地に起こるでしょう」
「災い?」

 ヤマトがその言葉をポロリと口に出してしまった。

「はい。その災いの中心にいるのがこのお二方。そして姫様」
「巫女様のお告げには何と?」

 シラの質問に巫女は小さく首を振った。

「わたくしの千里眼も古き時代からの血族の物……今はもう薄っすらとしか見ることの出来ないこの力は、これ以上は何も見えておりません」

 巫女は少し苦しそうに歯を噛み締める。

「わたくしの力が未熟故、姫様にきちんとお伝えする事が出来ず……」
「いえ! 巫女様にはいつも助けて頂いているのです。今後災いが起きるという事実をおっしゃって頂いた、それだけでも!!」

 シラが巫女の悲しそうな顔をなだめるように少し大きな声で言った。

「巫女様。発言の許可を頂けますか?」

 ヤマトがそう切り出す。

「はい。ヤマト様」
「その『世界を変える力』とは何なのでしょうか?」
「はい。先ほどお伝えしたように、わたくしの力はもうそこまで遠くを見据える力はございません。ですのではっきりとお伝えする事は出来ませんが……恐らく、古き時代から続く世界の理に関するものかと」
「世界の理……」
「はい」

 巫女は返事をすると一度言葉を止めた。

「それを話すにはまずこの世界の始まりを、古き時代からお話しすることになります」

 そして巫女は目の前の三人を見つめると話し出した。




―――。

 世界の初まりは一つの空間からでございました。
 それから幾月経つと空が現れ、海が出現し、陸が出来、そこに3種族が生を受けるのでございます。
 一つは白の翼。白の翼は世界の力を使う能力を身につけた『初代最神ゼウス』
 一つは黒の翼。黒の翼は自らの底に眠る力を使う能力を身につけた『初代魔王サタン』
 一つは翼を持たぬ者。翼を持たぬ者は優れた知能を付け『人間王イヴ』と名乗りました。
 その後三種族はそれぞれ子孫を残し、政を行いながら天界全土で共に生活をしておりました。
 ある日優れた知能を持った人間王は、新しい知恵を思い付くのでございます。
 それは新しい世界を作るというものでございました。
 そして一番能力を使いこなす初代最神にその話を伝えるのでございます。
 その話に初代最神は深く興味を示され、天界に近い世界『中界』をお作りになりました。
 『中界』は天界によく似た出来でございました。しかし大きく違うものがございました。それは物質。
 初代最神は今の生活のままで中界に移住することが出来ないと分かると「そんな失敗作など壊そう」と、おっしゃいました。
 しかし人間王はそれをお止になります。
 そして優れた知能を持った人間王は、新しい知恵を思い付くのでございます。
 それはこの素晴らしい天界を自分の物にし、他の者達を物質変換させ『中界』に落とす、という計画でございました。
 人間王は初代魔王にこう伝えるのでございます。

「初代最神は我々を中界に落とすつもりだ。我々で初代最神を中界へ落そうではないか」と……。

 初代魔王はその言葉に耳を貸してしまうのでございます。
 そして人間王の言葉の通り初代魔王は血族を連れ、初代最神の血族に戦争を起こしてしまうのでございます。
 それが最初の『戦』でございました。
 それまで戦の無い世界で、初めて人々が他の種族に殺されたのでございます。
 その戦を起こした種族を『悪』とし、その後初代魔王の血族を『悪魔』と呼ぶことになるのでございます。
 その戦争は長く続き、天界は荒れ果てていったのでございます。
 しかし初代最神とその血族は初代魔王達を制圧し、その血族『悪魔』を中界よりさらに深い場所へ、新しく作った『地下界』に閉じ込めたのでございます。

 その時初代魔王の魂は二つに割られ、一つは地下界に、一つは世界に消えたのでございます。

「今後この天界にこのような争いをしてはならぬ。我らで天界を統べよう」と初代最神は思い、自分の血族を『天』を守る『使者』……『天使』と呼ぶようになるのでございます。

 そして初代魔王をたぶらかした人間王もまた、罪を償う為に血族と共に中界に落とされたのでございます。
 その時人間王は神に懇願いたしました。「私が全ての元凶だ。もう二度とこのような事にならないよう中界に落とす時、我々から天界の記憶を消してくれ」と……。
 そんな人間王の懇願に初代最神はそれを受け入れるのでございます。
 しかし「最後にこの天界をもう一度見させてほしい」という言葉を受け入れることは致しませんでした。
 それは長き戦争で最神の心は深く傷ついたからでございました。
 そんな最神に人間王は「私の事は良い。せめてこの先私の血族が同じ過ちを繰り返さないよう、血族を監視する役目をさせる者を作ってはくれまいか? そしてその者達には少しだけでいい、故郷の天界を見せてやってくれ」と……。
 初代最神はその言葉を受け入れるのでございます。
 そして人間から天界に住むことを許した血族以外の繋がり、新しい『魂』の流れを作るのでございます。
 それを『人間を監視する使者』……『転生天使』と呼ぶことにするのでございます。
初代最神は物質変換という膨大な力を使い、人間を中界へ落としました。
 その行いで初代最神は自分の持っている能力の大半を失ってしまうのでございます。
 そしてこの世界の理が完成したのでございます。


―――。






 その話を終え巫女は少し疲れたように笑った。

「この世界の理は今も続いております。しかし多くの者はこの事実を知らない……」
「確かに……」

 ヤマトは考え込むように言った。

「我々、転生天使はそんな話知りません。いや、上層部なら知っているかもしれませんが……」

 しかしその言葉に巫女は首をふる。

「いえ、知らないでしょう」
「それは何故?」

 レインが口を開く。

「それは長き時により、この理より目先のこと欲求を追う者ばかりになったのが大きいと思われます。そして少なからずこの理を揺れ動かす力が存在することも、この伝承を多くの者に伝えらなくなった原因ではないかとわたくしは考えております」
「世界を変える力……」
「はい。それは例えば、ゲートの開発。悪魔との新たな戦争。堕天使の存在。天界軍に次ぐ中界軍の存在……」

 巫女は少し目を細めた。

「世界の理を少しずつ揺れ動かす『世界を変える力』がこの世には存在しているのでございます」
「それが今回自分達の周りで起こる『災い』から起きる……と?」

 ヤマトの質問で巫女はゆっくりと頷いた。

「はい。恐らく」

 巫女の強い口調に三人はぐっと息を飲んだ。

「今後、世界が揺らぎます。しかしその災いが何かとわたくしは今皆様に御伝え出来ない……」

 そう言って巫女は深々と三人に頭を下げた。

「大変申し訳ございません。わたくしの力及ばす」
「巫女様!」

 シラはそんな巫女に焦って呼ぶ。

「頭を上げてください!」
「いえ!」
 巫女はその言葉にさらに被せるように叫んだ。

「お三方! どうか!! どうか……この世界の行く末を。どうか……」

 巫女の悲痛の叫びが三人を飲み込んだ。