正太郎は制服に着替えて玄関を出る。
そして、自転車を動かしながらしっかりと前を向いて歩き出していた。
「あれ? 学校は行くんか?」
後ろからふわりと翼を使い、舞い降りてきた天使ホムラの言葉に正太郎は頷く。
「お父さんの気持ち、聞いてしまったから……学校はきちんと通う。今日最後の学校生活だし」
正太郎の顔を覗き込むように歩くホムラは、なんだから嬉しそうだ。
「なに?」
そんな顔を正太郎は鬱陶しそうに睨む。
「いや、ええ顔になったなって思ってな」
「なんだよ、それ」
ホムラにそう言いながら正太郎は自転車に跨り、学校へと向かうのだった。
クリスマス前日。
夕方、正太郎は塾まできっちりと出席し、急いで家に向かった。
寒さがさらに増した街並みはいつも以上に賑やかだ。
店の前ではケーキの販売をしていたり、サンタのコスプレをしている店員がちらほら見える。
そんな光景を見て、正太郎は初めて今日がクリスマスイヴなんだと実感していた。
街路樹が喜んでいるように光り輝く。
そんな中を自転車で抜け、正太郎は自分の家へと着いたのだった。
家のガレージには父の車であるセダンがもう駐車している。
正太郎はその車の隣に自転車を止めた。
そして大きく深呼吸をする。
「いよいよやな」
玄関前で待ち構えていたのはホムラだった。
「うん」
正太郎は拳を強く握って答える。
「大丈夫や、しっかり自分の気持ち話して来い」
「うん。ありがとう」
そう言って正太郎はホムラの隣を歩くと、玄関の扉を開けた。
中には父の革靴が並べられている。
正太郎はその隣に自分の靴を並べて家に入ると「ただいま」と声を挙げた。
「お帰りなさい。ごはん準備できてるから着替えてらっしゃい」
母親の声が聞こえる。
正太郎は短く返事をし、部屋に向かった。
そして制服から私服に着替えるとリビングに向かう。
リビングに入ると父はもう自分の席に着いて、タブレットを開きながら正太郎の帰りを待っていた。
「帰りました」
正太郎がそう言うと「ん」と短い返事を返すのみ。どうやら仕事をしているようだ。
「さ、せっかく家族3人そろったんだし、クリスマスイヴらしくしませんか?」
母親がそう言って何本かダイニングテーブルに置いていたキャンドルに火を灯す。
そしてリビングの照明を消した。
「お父さん、タブレット」
母親がそう言うと父親は「んん」と言って、渋々タブレットを仕舞った。
テーブルの上にはクリスマスらしい料理が並ぶ。
「さ、いただきましょう」
母親の声に合わせて3人は食事を始める。
3人が同じ食卓に着くことなんてほとんどない事だ。正太郎は塾だったり、受験の勉強。父親は仕事。
そんな生活時間のズレがあった為、いつからか会話をしながら食事をとることも無くなっていた。
今日は父が無理をしてでも3人で食事をと席を設けた……はずなのに、会話はほとんどなかった。
重たい空気の中食事が終わってしまう。
「コーヒーでも入れましょうか?」
そう言って母親が席を立つ。
すると父親は大きな溜息を付いて、またタブレットに手を伸ばし始めた。
「お父さん」
そんな父親に正太郎は意を決して声を掛ける。
父親はタブレットに伸ばした手を止めた。
「お話しがあります」
正太郎は少し姿勢を正し、言葉を発する。
「なんだ?」
父はそんな正太郎の真剣な顔に驚いたようだった。
「僕の『夢』について……」
その言葉に父親と母親の空気が変わる。
「何の話だ?」と、父親が改まってそう聞き返す。
父親と母親、2人の視線が自分に注がれる。正太郎はその視線に負けじと大きく息を吸った。
「僕はずっとお父さんの言う事が自分のすべきことだと思ってました。今通っている高校もお父さんの決めた学校でした。これから受験をする大学もお父さんが決めた……塾も……。
お父さんの言う道を進むことが当たり前で、それを疑問視することが今までなかった。
けど、感じ始めてしまったんです。今の自分は本当に自分の意志で生きてる僕なのかなって。僕は……本当に自分の意志でお父さんの気持ちに応えているのかなって……」
そこで正太郎は目を瞑り一呼吸置く。
「僕は小さい頃から夢がありました。けど、お父さんの言葉や気持ちに応えないとと思ってここまで頑張ってきました。そうして生活していくと、いつしかその夢は本当に夢のままになってしまって、そのまま忘れてしまって……。
けど、数日前に気が付いたんです。その『夢』を叶えるのが僕のしたい事じゃないのかって!」
少し声のボリュームを上げ、正太郎は思い切り言葉を発した。
父はその正太郎の言葉を言い換えさず、聞いている。
正太郎はそのまま息を吸って続けた。
「僕……歌手になりたいんです。誰かにこの歌を届けたい。昔みたいに誰かを笑顔にしたい」
その言葉の先に彼女を思い出す。幼い頃、2人で遊んでは、よく彼女に歌をせがまれて歌っていた。彼女はいつも笑顔だった。
そんな彼女を好きになった。彼女に自分は歌が好きなのだと気づかせて貰った。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
父がそこで初めて口を開ける。その言葉は重い。
「はい。明日、レコード会社のオーディションがあります。それに参加したいと思ってて……その許可を」
そう言って正太郎は父親の顔を見た。
「そのオーディションに受かったら、僕は歌手になりたいんです!」
正太郎の力強い声。その声にキャンドルの炎が揺れた。
「お前はその夢の先がどんなものか分かってるのか?」
父親の言葉に正太郎はぐっと唇を噛んだ。
「もし、オーディションに受かったとしても、歌手として将来きちんと生活できるだけの金銭が稼げるのか?ほんの一握りの成功者しか残れない業界でお前はやっていく自信があるのか?」
「……」
「そもそもそのオーディションを通過してもデビュー出来るのか? その時間を割いている間に大学受験はどうするんだ?まさか大学を受けないと言うんではないだろうな?」
「……」
「よく考えなさい。そんなバクチのような生き方する必要があるのか。『夢』……? 馬鹿馬鹿しい。現実を見なさい。そんな……」
「分かっています」
父の言葉を遮って正太郎は言葉を発する。
「お父さんが馬鹿らしいって思うのも分かります。お父さんの会社のことも、お父さんの気持ちも分かっているつもりです……けど」
正太郎が言葉を詰まらせる。
そんな正太郎の顔を見ながら父親は深く溜息を付いた。
「そのお前の『夢』とやらに時間を掛けて、本当にこの先後悔しないと言えるのか?
今、大学受験の大切な時にそんなことにうつつを抜かし、そのまま歌手になっても本当にこの先後悔しないとう自信はあるのか?」
父はそう言って正太郎を見つめる。
正太郎はその父の瞳をしっかりと見た。
「はい」
その淡々とした返しに父親は少し怯む。こんな正太郎を今まで見た事がなかったからだ。
「僕は、今この夢を追いかけないと後悔すると思ってます。そしてお父さんときちんと話をして、お父さんにもこの気持ちを分かってもらって、オーディションに向かわないと後悔するって思ってる。だから今日、話をしました」
その正太郎のしっかりとした面持ちに父親は目線を反らさず言葉を聞く。
「僕は後悔しない生き方をしたい!!!」
正太郎は父親にそう向かってしっかりとした口調で言った。
「2人とも、コーヒー」
そう言って母親が2人の前にいつも使うマグカップを置く。張り詰めた空気が少し緩む。
正太郎はそのコーヒーに立ち込める湯気を眺めた。
「私は……」
ポソリと父親が話を始める。
「この会社は父の代からのモノだ。だからこの会社を守って行くのが私の仕事だ。そして会社の社員もお前達家族も守っていくのが……私の使命。それは昔からのことで。正太郎、お前にもその仕事を任せて行きたいと思っている。それがお前にとってもプラスになると思ったからだ。
沢山の社員やお客様との繋がりの中で、お前は大きく成長出来る。そしてこの会社を更に良くしてくれると……期待していた。だから幼い頃から勉強をさせた。勉強とはいいものだ。知識を増やし、大人になっても幅広い知識を持つことによって世界が変わる。私がそうであったから……お前もそうであると思っていた」
父親が自分のマグカップへ手を伸ばしながら話を続ける。
「会社と家族の両立が出来ていないことは分かっていた。しかし、会社の経営が傾けばお前達や、社員達を路頭に迷わせることになりかねん。
家に居ることがほとんどなかった。だからお前の気持ちに気が付いてやれなかった。お前がそこまで思い詰めているとは……気が付かなかった」
「……」
「しかし、正太郎。お前の『夢』に私は快く賛同は出来ない。
先ほど話したように、将来きちんとした生活を送れないような職業でもある歌手など……狭き門へ送りは出せない」
その言葉に正太郎は声を出そうと息を吸った。
「しかし」
正太郎が声を出す前に父親はそう言葉を続ける。
「お前の気持ちを知ってしまった以上、それをないがしろにはしたくない」
父親はそう言ってコーヒーを飲んだ。
「明日のオーディションへ行くことを許可する」
その言葉に正太郎はテーブルの下に隠していた拳をぐっと握る。
「そのオーディションで見事合格するなら、そのお前の『夢』を追いかける事を許可する」
「ありがとうございます」
「但し、大学受験も受ける事。その夢を追いかけつつも大学には通えるだろう。そして大学を卒業するまでに歌手として芽がでないと私が判断した場合、大学卒業後、私の会社を次いでもらう。それ以外は譲歩しない」
少しきつめの父の声がなぜだか少し温かく感じた。
「はい!」
正太郎はそう大きく声を出して返事をする。
「お父さん。ありがとう」
その言葉に父親が少し恥ずかしそうにする。
「まあ、今日はクリスマスイヴだからな。クリスマスプレゼントだ」
「はい」
そんな2人を見て母親は嬉しそうに笑ってコーヒーを飲んだ。
3人で無言でコーヒーを飲む。しかし先ほどまでとは違う空気に正太郎は嬉しくなってクスリと笑った。
暖かいな。自分の家族はとても暖かい。そう思った。
そんな暖かい家族との時間を過ごし、正太郎は自分の部屋に帰る。寒い部屋に入って暖房を付ける。そしてベランダの窓を開けて外を見た。
「ぶぇくしょんっ!!」
ベランダで空を眺めているホムラは、始めて会った時のように下品なくしゃみをしていた。
「お? 終わったんか?」
鼻水をズルズル言わせながらホムラはそう言った。
「うん。終わった」
正太郎はそう言ってホムラを部屋に招き入れる。
「それは良かった」
ホムラはそう言いながら部屋の中へと入って来た。
そんなホムラを見ながら、正太郎は部屋に置いていたギターを手に取る。机にある紙とペンもだ。
「ん? どないしたん?」
そう言ってベッドに腰かける正太郎を、ホムラは不思議そうに見つめる。
「曲を作ろうと思って」
「曲を?」とホムラが不思議そうに首を傾げ話す。
「うん。明日……僕の最後に、今の気持ちを込めた曲を歌いたいって思ってさ」
正太郎はそう言ってホムラに笑う。
「お父さんの気持ちやお母さんの気持ち……彼女の気持ち、僕の気持ち。全部込めたいんだ」
「うん」
「だから、生きている『今』この時を歌にしたいんだ!」
そんな正太郎の言葉にホムラも笑う。
「よし! じゃあ俺もそれに付き合わ! 夜更けまでに完成させようや」
「うん!」
そう言って2人は曲作りを始めた。