第11話 クリスマス当日


 歌声が朝の風に乗って河川敷を明るくしていく。歌声は遥か先まで響き渡り、透き通った冬の空に溶けた。

 歌を歌い切り、正太郎は大きく深呼吸をする。

 朝日が眩しい。これで最後の朝日だ。そう思うとしんみりしつつ、何故か心の中は暖かかった。

「いい歌になったな」

 そう言いながら隣に座ったホムラが嬉しそうにパチパチと拍手をする。

「俺、この歌めっちゃ好きやわ」

「ありがとう」

 ホムラの言葉に正太郎は少し照れながら、ギターをケースにしまい始める。あれから徹夜で曲を作った。寝不足ではあるが満足いくものが出来たと思う。

 正太郎は朝日を見ながら最終調整をしようと、いつもの河川敷に来ていた。

 空が赤から青へと変わっていく。一日が始まる……。今日は雲ひとつない快晴だ。空に合わせて正太郎の心も晴れ晴れしていた。

「さて、帰って朝ごはんを食べるよ」

 正太郎はそう言うと、ギターを背負い自転車を押して歩き出す。そんな正太郎の後ろを追いかけるようにホムラは着いて歩いた。

「朝飯食ったら出発か?」

「うん。そうだね。バスで迎えば20分ぐらいで着くから、あんまり急ぐ事ないし」

「オーディションの前に彼女に会わへんのか?」

 ホムラの言葉に正太郎は少し黙り込んだ。そして少し悲しそうに話しだす。

「会わないことにした」

「なんで?」

 ホムラは正太郎の隣に追いつくと不思議そうに聞く。

「彼女に会ったら……多分『生きたい』って未練で押しつぶされるから。歌を歌って結果を聞いて……胸張って会いたいんだ」

「そかっ」

 正太郎の決意を聞くとホムラはあっさりした返事をした。そんなホムラの言葉を聞くと正太郎は自転車にまたがり、ペダルを漕ぎはじめるのだった。





 クリスマス当日。正太郎死亡時刻まであと4時間。





 家に帰り、母親の朝食を食べる。父親はもう仕事に行ってしまっているようだ。

 当たり前の1日……それが今日で終わると思うと、正太郎は何度言えない気持ちになった。あと少し……。そう思えば思うほど正太郎の心の中は冷えていく。

 しかしホムラの存在があることで、何とか自分を保てているようだった。天使である彼が近くに居てくれるなら死んだ後も大丈夫だ。そう思うように気持ちを切り替えていく。

 そして正太郎は朝食を食べ終えると準備をし、玄関に向かう。玄関でゴソゴソしていると、母親がリビングから急いで出てきた。

「正太郎」

 そう声を掛けられ、靴を履いていた正太郎は後ろを振り返る。そこにはいつもの笑顔の母親だった。

「お父さんが、夢に向かうなら胸張って行きなさいって……それだけは伝えなさいって」

 母はそう言って笑う。

「あの人、あなたのこととても気にしてたわ。本当は仕事休んで応援に行きたいところを堪えてたみたい」

「そう……なんだ」

 母親の言葉を聞いて、正太郎は少し悲しそうに笑う。

「お母さん」

「何?」

「今までありがとう」

「どうしたの? 急に」

 突然の正太郎の言葉に母親は驚いた顔をする。

「ううん。何でもない。行ってきます」

 正太郎は彼女ヘ渡すプレゼントの紙袋を持つと、急いで玄関を開けた。

「はい。気を付けて、行ってらっしゃい」

 母親はそう言って笑って見送ってくれる。それが母親との最後の挨拶になるのだろう……。

 そのまま正太郎は歩いてバス停へ向かう。

 そこへ羽の音が聞こえ、目の前にフワリと赤髪の天使が降り立った。

「さてさてー! 頑張って行きましょーか!!」なんて景気のいい声を上げるホムラに正太郎はついつい笑ってしまう。

「うん。行こう」

 そう言って歩き出す。

 するとバス停の前に何やら人だかりが見えてきた。バスを待っているという感じではない。

「なんや?」

 ホムラがそう声を出す、とフワリと翼を使って少し前へ向かった。

 バス停は小さな電気屋の前にある。どうやらその電気屋にセットされているテレビに、みんな集まっているようだ。

「正太郎!!」

 そのテレビを見つめるホムラが正太郎へ叫ぶ。ホムラの叫びに正太郎は思わず走り出し、目の前のテレビを見つめた。

『番組の予定を変更し、都内幹線道路で起きた大型バス同士の衝突事故の中継を行っております』

 テレビのアナウンサーがそう話す。

『30分前に起きたとされる大型バスの正面衝突事故の現場です! バスは横転し、大きく炎が上がっています!!

 現場は騒然としていて、乗客の安否なども分かっておりません。幹線道路を跨ぐように横転したバスの影響で道路は完全に封鎖され、上り、下り共に渋滞が起こっています。

 その為、緊急車両が現場に向かえない状況です。場所がビルの隙間とあって、ヘリが近くことも困難のようで……』

 そんな声と共に大型バスが2台横倒しになって炎を上げている映像が出されている。

「これ……」

 それは正太郎が向かう方向の道だった。

「これじゃぁバスで出勤も無理だなぁ」

 隣のサラリーマンがそう言う。

「けど、電車も止まってるみたいですよ?」と、さらに隣の女性が携帯を触りながら話しだす。

「バスの煙が線路にかかってるから、視界が悪いからって運転見合わせだそうです」

 女性の言葉を聞いて周りの人々はガヤガヤと話し始める。

「このままじゃぁ……」

 そんな話を聞きながら正太郎が青い顔へと変わる。

「このままじゃぁ間に合わない」

「だな……」

 正太郎の言葉にホムラが答える。

 どうすればいいんだ。ここまで頑張ってきたのに……このまま時間がきてしまい、自分は死んでしまうのか?

 そんな正太郎のポケットがブルブル震える。正太郎は急いで携帯を取り出し見つめると、彼女からメールが届いていた。

『先に会場に着きました。一番客席を確保したから応援は任せてね!』

 その文面を見て正太郎は「行かなきゃ」とボソリと言った。

「けど……バスも電車も止まってるやで? 道が封鎖されてるならタクシーも無理やし」

 隣でホムラがそう話す。

「自転車」と、正太郎はいつも使っている愛用の自転車を思い出した。

「自転車で飛ばしていけば、出番までには着けるかもしれない」

「それほんまか!?」

「うん。けど……事故で通行止めだと迂回しないといけないから」

 心配要素が見え隠れする。けど、ここで諦めたくない。気持ちだけが焦る……。

「ちょっと待ちぃ!」

 隣にいるホムラが突然声を上げた。

「これ! 正太郎! これ見えるか!?」

 ホムラはそう言って、目の前の事故現場を写すテレビ画面を指差す。

「ここ! この黒い物体!!」

 その画面を見つめると、薄っすらの黒い塊のような物がバスの周りにあちこちに見え隠れしている。そしてその黒い塊に白の翼らしきものも。

「これ……天使?」

「そう!」

 正太郎がそう声を出すとホムラが興奮気味で言った。

「これ、俺の仲間や! このバス横転事故で多分魂の暴走が起こってるんや!!」

「どういうこと?」

「この間、話したやろ? 昔俺も経験したんやけど、突然自分が死んだって言われてもそれを受け入れられない魂が悪霊になって暴れてしまうんや」

 ホムラの過去の話を思い出す。

『すぐに新しい身体に入って、今までのこと全部忘れて、また1から別の人間として生まれかわるなんて納得できひんかった。だから俺は魂のまま、この世に残ることにした。

 人間でいう悪霊ってやつに、俺はなった。悪霊は天使の世界にも、人間の世界にも悪影響を及ぼす存在やからってさ、天使の特殊部隊に魂ごと消されそうになった』

「それがこのバス横転事故の現場で起きてる! ここにその天使の特殊部隊がおるんや」

「それが今の話とどう結びつくんだよ」

 正太郎はホムラの話の先が見えずに少しイライラした。

「俺がここにおる奴らに話つけたる! そしてお前の自転車が通行止めを通過出来るように、段戸りしてやるって言ってるんや!」

 その言葉に正太郎はホムラの顔を見た。

「最短ルートでオーディションの会場へ走れ! 通行止めだろうと、煙だろうと、炎だろうと俺がなんとかしてやる!!」

「ホムラ……」

「大丈夫! オーディション会場で落ち合おう! お前の歌、俺がちゃんと歌えるようにしてやるから!!」

 ホムラはそう声を上げ、笑って頷いた。ホムラの言葉に正太郎も意を決して頷くと、元来た道を走りだす。

 そして家のガレージに向かい、自転車のカゴへ彼女のプレゼントを乗せ、跨り走り始めた。

 その姿をホムラは見届け、翼を使い事故現場に向かった。








 事故現場は騒然としていた。バスは2台とも横転し、その後ろに乗用車が何台か玉突き事故を起こしている。

 そのさらに両脇に動けなくなっている車達、そして渋滞してる赤のランプ……。事故現場に徐々に群がる人間のやじ馬も見える。

 それに混じるように黒の軍服を着ている天使達がポロポロと見え隠れしていた。

 しかし魂の暴走は止まっているようだ。何人かの天使が空へと飛び立つ姿が見える。

 ホムラはそんな天使達に向かって急ぐ。

 すると、何やら見覚えのある黒い服に若草色の髪の青年と、黒髪の青年の後ろ姿が見えて来た。

 ホムラはその2人に向かって声を掛けようと口を開く。しかしその瞬間、若草色の髪の青年は翼を使い、空へと消えて行った。

 その背中を見つめていた黒髪の青年は、ホムラを見つけたようで不思議そうな顔を見せる。

「ホムラ先輩?」

「よう! ヤマト」

 ホムラはフワリと地面に着地すると、黒髪の青年に声を掛ける。

「お久しぶりですね。どうしたんですか? こんな所に」

 ヤマトと呼ばれた黒の髪、黒い瞳、黒い軍服の青年はホムラにそう言った。

「いや、ヤマトがいてくれて助かった。魂の暴走は収まったんか?」

「はい、今収めましたよ」

「そうか、それで少し頼みがあるんや……」

「頼み?」

「これから自転車に乗った高校生の男の子が来る。その子にこの道を抜けさせてくれへんか?」

「はい?」

 ヤマトは少し眉を歪めてその話を聞く。

「少しでええんや。人間とかを足止めさせて、その自転車を通過させるだけでええんや!!」

「先輩、分かってるでしょう? 天使は人間界に干渉はしてはならない。干渉したら魂の流れが……」

「分かってる! 十分に分かってる!! けど、少しだけ! 少しだけなんや!!」

 ホムラはヤマトの言葉を遮るように頭を下げて話を強引に進めた。

「……」

 ヤマトはそんなホムラの姿を見て少し悩むと、大きな溜息を付く。

「分かりました。俺が干渉しないギリギリを見極めて何とかしましょう」

「ほんまか!!?」

 ヤマトの言葉にホムラは頭を上げる。

「その代わり、一瞬だけですよ?」

「ありがとう!」

 ホムラがそう叫ぶ。ヤマトはヤレヤレと肩をすくめると、周りにいた部下の天使達を集め指揮を取る。

 ほどなくして立ち漕ぎをしながら全力疾走する少年が見えてくる。その少年を通過させるように黒い軍服を来た天使達は動き始めた。

 人間の警察の前に立ちはだかり、少年に声を掛けるのをワンテンポ遅らせたり。

 立往生車の前に立ち、安易に動かないようにしたり。

 立ち入り禁止のテープを風で煽り、自転車を通したり。

 黒軍服の集団はファインプレーを続け、少年、正太郎の自転車は交通事故現場を横断させる。

 そして正太郎の自転車はそのまま通行止め現場を抜けるのだった。

 そんな姿をホムラは見守る。そして「正太郎!!!! 行けえええええ!!!」と大きく叫ぶのだった。







 正太郎死亡時刻まであと3時間。







「悪かったな」

 自転車に乗った少年の背中を眺めながら、ホムラはヤマトに声を掛ける。

「また先輩のことですから、変なことに首を突っ込んでるんでしょう?」

 ヤマトは呆れた顔をしながらホムラにそう言った。

「ま~そんなところやな」

「でしょうね」

「お前にもし罰が出るようなら、俺の話を出せばええからな」

「そんなことしませんよ。それに人間界に影響が出るような大きな干渉はしてないですから」

「ありがとう」

 ホムラの安堵の言葉にヤマトも微笑む。

「さて、俺達はまだまだ仕事が残ってますから、もういいですか?」

「おう、そうやな」

「今回の事故で死期じゃない人間が何人か死んで……その検分をしないといけないんで」

「ん? どういうことや?」

 ヤマトの引っかかる言葉にホムラは首をかしげる。

「あれ? 先輩知らないんですか? 今回の事故、人間界で本来起こる予定のない事故だったんですよ」

「と、言うと?」

「役所の能力者の予知が外れてます。生きるはずの人間が事故で死んでるので……これからそれを調べないと」

 その言葉にホムラは何か気が付いたようだ。みるみる顔が明るくなる。

「じゃあ今回の事故が起きたことによって、この後に死期が来るはずの人間の予定も狂ってるかもしれないってことか?」

「その可能性はありますね。天界の役所に戻ってもう一度調べる必要がありますが」

 ヤマトのその言葉でホムラは確信した。

「じゃあ……正太郎も」とホムラはボソリと吐くと翼を広げる。

「ヤマト! ありがとう!! 俺天界に帰って調べてみるわ!」

「っちょ!! 先輩!? 何の話ですか!?」

 ヤマトがそう声を上げたが、その言葉を気かずにホムラは青空の中へ飛んで行く。

 ヤマトはそんなホムラの姿を見送った。

「一体何だったんですか?」

 急いで飛び出した赤髪の天使を、ヤマトの部下は迷惑そうに見つめながら話す。

「あの人は昔からああなんだよ」

「ヤマト中尉、お知り合いなんですか?」

「ああ」

 ヤマトはそう言って腰に手を当て、空を仰ぐ。

「おせっかい焼きの俺達の先輩だよ」

「先輩……ですか?」

「俺やレインの死期を見届けて、転生天使にしてくれたのはあの人だ」

「ヤマト中尉とレイン少尉を?」

「ああ……」

 ヤマトはそう言って溜息を付くと、両手をパンッと鳴らす。そして周りに居る部下達に声を上げた。

「さて、俺達は人間界の状況を見つつ仕事を再開するぞ!」

「はい!!」