第3話 君の夢


「はぁ……」

 正太郎は大きな溜息を付きながら学校の校門を抜ける。自転車を押し歩きながらの溜息は、白く濁り空へと消えて行った。

 正太郎は学校を終えそのまま塾へ向かうところだ。その道のりはそこまで長くない。自転車に乗ればあっという間の距離だ。

 しかし昨日の出来事をきちんと整理したい正太郎は寒い中、自転車に乗らずに歩いて移動することにした。

「何が君は死ぬだよ。何が自分は天使だよ」

 歩きながら正太郎はそう誰にも聞こえない声でつぶやく。昨日はあのホムラという青年にまんまと騙された。朝起きてよくよく考えれば分かることではないか。

 翼だって最近はやりの特殊メイクの類だろうし、ティッシュの箱も何かトリックがあって、こっそり仕込んだに違いない。

 そう思えば思うほど正太郎は腹が立ってくる。この受験で忙しい時になんと迷惑な奴だ。

「何が1週間後に死ぬだよ」

 もう一度その言葉を口に出す。

「まぁ~ほんとのことやからね~」

 急に横から声が聞こえ、正太郎は「うああああ!!」と大きな声で驚いた。

「そんなに驚かんでもええやん」

 突然真横に現れたのは昨日と同じ赤い髪に赤い目をした青年。背中には大きな白の翼がある、天使ホムラだった。

「まいど~! 学校お疲れさん」

 なんてホムラは笑顔で正太郎に挨拶してきた。

「な、なんでまた来たんですか!?」

 正太郎は自転車の体勢を整えながら、ホムラに向かって叫ぶ。

「なんでって~昨日説明したやん? 一週間君の生活を見て、本当に時間通りに死を経験するかを見届けるのが俺の仕事やって」

 嫌味のように言ったはずの言葉を、ホムラはあっけらかんと答える。

「……」

 正太郎は一瞬ホムラの顔を睨んだが、自転車を押すと歩き始めた。

「え? なに? 無視?」

 そう言ってホムラも正太郎の足取りに付いてくる。

「着いて来ないでください」

「何で?」

「そんな恰好の人と知り合いだと思われたくないので」

 正太郎は前を向いて黙々と歩きながらホムラに冷たく言う。赤く染めた髪の毛に派手なカラコン。背中に羽を背負ってる奴と一緒には歩きたくない。

「え~今日はちゃんと防寒して来たんやで?」

 ホムラはそう言って正太郎の少し前へ歩くと、昨日より少し厚めの茶色のコートを見せる。

「だし、昨日言ったやん。俺みたいな天使は他の人間には見えないって」

「……」

「え? また無視?」

 そう言って無言で歩く正太郎に、少しスキップ交じりの足取りでホムラは着いてくる。そんなことをしている間に、正太郎は少し人通りの多い道へとたどり着いた。街灯が光を放ち、人通りも少しばかり明るく見える。

「正太郎、あ! 人呼びさせてな! 俺のこともホムラでええから」と、ホムラが話をしながら自転車の少し前を歩く。

 すると向かいから来た通行人は、ホムラを見えていないような目線でスラリとかわしていく。そう、ぶつかりそうになっても必ず通行人がよけて行くのだ。

「正太郎はこれからどないするん?」

 ホムラの派手な格好を誰も見ていない。見ていないし、まるで存在していないかのようにかわしてく。

「ほんとに……ほんとに天使なんだ」

 突然そんなことをボソリと言った正太郎にホムラは驚く。

「え? 話聞いてた?」

「え?」

 その反応に正太郎も驚く。

「だから~君はこれからどうするの?」

「ど、どうするって? これから塾に行くんだけど」

「はあ?」

 正太郎の言葉にホムラはさらに大きな声で驚いた。

「君さ、あと一週間で死ぬんやで? なのに塾?」

「決まってるだろ? 受験生なんだから。それにその一週間後のクリスマスだって塾でのテストの日だし」

「ま、まさかそのテストの勉強するんやないやろな!?」

「そうだけど?」

 その言葉のやりとりを通行には不思議そうに見ながら通り過ぎる。おかしな光景だろう。傍から見れば正太郎が一人で話しているように見えるのだから。

「もったいな!」

「は?」

「もったいないで!? 寿命があと一週間しかないんやで? もっと、こう、あるやろ?」

「何が?」

「死ぬ前にしたい事とか!?」

「したいこと……」

 ホムラの少し熱の浴びた言葉に正太郎は「う~ん」と唸った。

「なんかあるやろ?」

 ホムラが背中の翼をもぞもぞ動かしながら話す。

「こうさ、どこかに行きたい! とか、何かしたい! とか」

「特には」

 そんなきっぱりとした正太郎の言葉にホムラは「はぁ~」と深い溜息を付く。

「じゃあさ、君の将来の夢はなんなの?」

「将来の夢?」

「そう」

 そんな言葉を振られて正太郎はさらに悩み出す。

「え? 何? まさか、無いとか言わんでよ?」

「いや、一応は今の志望大学に受かって、卒業後はお父さんの会社を継ぐことになるんじゃないかな?」

 そんな正太郎の言葉を聞きながら、ホムラは何とも言えない残念な顔をした。

「いやいや、それはお父さんの夢やろ? 君のやって」

「え?」

「お父さんの夢を叶えるために君は今頑張ってるって話やろ? 君の夢は何なの?」

「……」

 ホムラのその言葉に正太郎はその場に急に立ち止まる。ホムラも正太郎の少し前に出ると同じように止まった。

 そしてホムラは振り返り、少し首を傾げ正太郎を見てくる。その赤い瞳に正太郎は不安を覚えた。

「僕の……夢?」

「そう、君自身がしたいことって何?」

 ホムラの言葉で胸の中がザワザワする。

『しょうちゃんはお歌がじょうずね』

『そうかな?』

『うん! 私しょうちゃんの歌大好き!』

『じゃあ、僕大きくなんたら歌手になる!』

『かしゅ?』

『うん。歌手!』

『しょうちゃんならなれるよ。私、応援する!』

 幼い頃の言葉が蘇る。

 いつのことだっただろうか……思い出せないいつかの記憶。けどホムラに質問された時、真っ先にその幼い頃の記憶が蘇ってきたのは何故だろう。

 通行人が急に立ち止まった正太郎を邪魔そうに避けていく。そして目の前にいるはずの赤髪の青は存在自体を感じることなく通行人は避ける。

 そんな夕暮れ時、街路樹の光がますます輝いて見えるクリスマスまであと6日。