第4話 朝焼けのコンサート


 正太郎は布団から起き上がると眼鏡をかけた。まだ朝の六時を回ったばかり。

 ぼーっと薄暗い部屋を眺めていると、冷たい空気に徐々に身体が冷え始める。正太郎はエアコンのスイッチを押した。今日は一段と冷え込む。

 少し経つと正太郎はベッドから降り、ゆっくりとカーテンを開けて外を眺めた。

 窓ガラスの結露した雫が下へ流れる。それをを眺めながら正太郎は、昨日のホムラの言葉を思い出していた。

『お父さんの夢を叶えるために君は今頑張ってるって話やろ? 君の夢は何なの?』

「僕の……」

 胸の真ん中が突っかかる。

 大きな突っかかりが昨日のホムラの言葉から徐々に大きくなっていき、昨晩はなかなか寝付けなかった。

 ホムラに言われるまで気が付かなかった。自分は父の言われた通りの人生を歩んでいるんだ。幼い頃から父の言葉を守って来た自分にとって、それが絶対で自分の意志だと思ってた。

 なのに、おととい会ったばかりの意味不明な『天使』とやらの言葉に心が動かされている自分がいる。

 自分の夢って何なんだ? 本当にこの受験は自分の意志でしていることなのか?

「歌……」

 正太郎はその言葉だけを口にする。

「歌が……歌いたい」

 そうだ、歌が歌いたい。その気持ちが突っかかった心に入ってくる。

 夏休みから封印しているギター。自分で作詞作曲した曲の楽譜は隠すようにタンスの奥に眠っている。

 将来の夢とかそういうの関係無く、今はただ歌が歌いたい。受験とかクリスマスとか父の夢とか関係ない。何もかも忘れて……。

 エアコンのおかげで徐々に部屋が暖かくなる。そんな部屋の中を見渡し、正太郎は大きく深呼吸をすると、おもむろにパジャマを脱ぎだした。急いで服を着替える。防寒のコートとニット帽を被る。

 そして部屋のエアコンを止め、ギターを担ぐと携帯と自転車の鍵を握った。

 そっと部屋を出る。まだ家族は寝静まっているようだ。忍び足で階段を降りると玄関で一番履きやすいスニーカーに足を通す。そしてゆっくり鍵を回した。

 ーーーカチャリ。

 軽い音で鍵を開け外へと出る。外はキンッと凍った空気が広がっていた。正太郎はそのままガレージに止めている自転車を押すと急いで家を後にする。

 抑える気持ちを感じつつ、思いっきり自転車のペダルを漕ぐ。正太郎の息が白く世界に溶けていく。世界はまるで音が消えたかのように、静まり返っているみたいだ。正太郎の自転車はそんな無の世界を切り裂くように走った。







 住宅街を抜けると大きな河川敷にたどり着く。良く幼馴染の彼女と歩いた道だ。

 彼女は今年の春に父親の転勤に伴い隣の県に引っ越してしまった。決して会えない距離でもないのだが、正太郎が受験ということもあってここ最近会っていない。

 正太郎はその河川敷で自転車を止める。良くここで自分の歌を彼女に披露した。暖かかった季節の記憶を思い出す。

 そして正太郎はおもむろに背中に背負ったギターを下ろし、弦を確認しだした。

 ここなら住宅街から離れてるし、この時間音を出しても問題ないだろう。冬の寒さの為か、ランニングや犬の散歩をしてる人も少ない。

 目の前に広がる空が少しずつオレンジ色に輝く。

「はあ……」

 一つ大きく息をすると正太郎はゆっくりと弦を弾いた。

『歌いたい!』と、心の中で叫んだ。その瞬間から歌詞が口を動かす。自分が必死に書いた歌詞、悩んだメロディーが身体を振動させる。

 声を上げる。呼吸するたびに肺が冷たくなる。耳や鼻が徐々に痛くなってきた。けど、正太郎は歌うのを辞めなかった。

 ずっとため込んでいた気持ちを吐き出す。楽しい! こんなに楽しいんだ。

 もし、このまま本当に自分はクリスマスに死ぬことになるのなら。歌っていたい。歌を歌いながら……死にたい。そう思った。

 音が消えた世界に自分の歌が溢れる。薄暗い世界が徐々に明るくなるように、正太郎の心も明るくなっていくのが分かる。

 正太郎は最後のフレーズを歌い終わると呼吸が荒くなっていた。今まで一番必死に歌ったかもしれない。心を込めたかもしれない。先ほどまで感じていた、心の中の突っかかりが綺麗に取れていた。

 その瞬間、目の前の遥か先に見える山の裾から太陽が見え始める。眩しいその太陽に照らされ、暗かった世界が光り始める。今日という一日が始まった。

 身体が暖かいと感じる。生きている。生きているんだ! そう実感した。

「うまいもんやな~」

「わっ!!」

 また急に後ろから声を掛けられ正太郎は驚きながら振り返る。そこには拍手を送りながら笑顔を向けるホムラの姿だった。

「いや~なんかぁ心に沁みたわ」

「……」

 そんな軽い言葉に正太郎はブスッとした顔をホムラに向ける。

「え? 何よそんな顔して。ほんまやで?」

「ふ~ん」

「で? それが君のしたいことだったん?」

 ホムラがそう微笑みながらそう話してくる。

「まだ、分からない」

「あら? そうなんか?」

「うん。けど、きっとそうなんだと思う」

 正太郎は言葉に詰まりながら目の前に赤髪の天使に話す。

「僕、歌が歌いたい。きっとそうなんだと思う」

「そうか」

 正太郎の言葉を聞くとホムラは太陽に向かって歩き、大きく伸びをした。ホムラの腕に合わせて背中の翼が大きく広げられる。その翼が朝日に当たって美しく光る。キラキラと純白のその翼はこの世のものとは思えないほど綺麗だった。


「なら俺が聴いててやるわ」

「へ?」

「もう一曲歌ってや。俺が観客になるから」

 そう言ってホムラは歯を見せて笑う。

「お客さんがおった方が盛り上がるやろ?」

その笑顔に正太郎も連れて笑ってしまった。

「そう、かも……」

「そやろ?」

 朝焼けの中、正太郎は大きく深呼吸をするとまた歌い始めた。

 観客は目の前の天使。そんな一日の始まりも悪くない。

 クリスマスまであと5日。