第7話 自分の夢と涙


 正太郎は何も言い返せなかった。そう、何も……。父に怒鳴られ、居間に座らせられている状態で正太郎は自分の膝を見つめる。

 その前には自分の両親が。父の顔はまともに見ることが出来ない。母の顔は父の顔色を窺うようにソワソワとしている。

「で? 昨日、今日と学校や塾を休み、何をしていたのかを聞かせてもらおうか」

 父はそう言って正太郎を睨む。

「……」

 正太郎は恐怖のあまり、何も話すことが出来なかった。沈黙の時間が流れる。

「今のこの時期が一番大事だと思わないのか?」

 父が沈黙を破るように話し出した。

「ここまでずっと頑張ってきたことが無駄になるかもしれないんだぞ? 分かっているのか?」

「……」

「お前ならこの調子で行けば志望校にも合格出来る。だがな、ここで躓いてどうするんだ?」

「……」

 すると父親は大きく溜息を付いて間を開けた。正太郎はその間も微動だにせず、その体勢を維持し続ける。

「正太郎はいつも真面目で……こんな事する子じゃなかったでしょ?」

 母親が優しく語り掛けるように話し出す。

「学校で何か嫌かことでも……」

 そう母親が話しているところに父親が被せるように声を上げる。

「あれか? ストレスで気が立ったのか? ならこの2日間で少しは気が晴れただろう」

「……」

「ここまで来たのは何の為だ? こんなに頑張って勉強してきたのは何の為かよく考えるんだな」

 その言葉に正太郎は目の前に座る父を見た。父の瞳はしっかりとこちらを向いている。

「……ッ」

 ーーそれはあなたの決めた事だったからです。そう言い掛けて言葉が詰まる。

「何だ? 何か言いたいことがあれば言わないか!」

「……」

 父の怒鳴り声に正太郎はぐっと押し黙る。

「まあいい。明日からきちんと学校も塾も通いなさい。それで今回の件はおとがめなしとしよう」

「……はい」

 何も言い返せなかった。今まで何一つ父親の決めた事から背いたことは無かった。だから、今も何も言えなかった。どう言い出せばいいか分からなかったからだ。

「すみませんでした。ごめんなさい」

 それだけを喉から絞り出すように言う。そしてその場から立ち上がると自分の部屋へと向かうのだった。







 部屋は真っ暗でひんやりと冷たい。正太郎はそのまま部屋に入り、街頭で明るく見えるベランダの方へと歩いて行った。そして窓を開ける。外のさらに冷たい空気が身体を襲う。

 その冷たい空気を感じると正太郎の目からボロボロと涙が零れだした。そしてその場にしゃがみ込んで声を殺して泣く。

 ホムラに言われるまで気が付かなかった、自分の将来の夢。受験をして、大学で勉強して、父の会社を継ぐ。それって父の夢じゃないか!? 自分は本当は受験なんてしたくなかった。彼女みたいに自分の夢の為に何かをしてみたかった。なのに……。

 何も言い返せなかった自分に嫌気がさす。

「こっぴどく叱られてたな」

 そんな声がベランダの方から聞こえる。下を向いて泣いていた正太郎はそんな声の主に向かって思いっきり睨んだ。声の主であるホムラは、ベランダの手すりに座ってこちらを見下ろしていた。

「何であの時言ってやらんかったんや? 僕の夢は歌手です。そのためのオーディションがあるのでそれに出させてくださいって」

 ケロッとした声で話すホムラが憎い。

「そんな……こと、言える訳ないだろ?」

「けど、今しか言える時、無いんちゃうの?」

「僕の父さんがそんなこと許すわけない」

「けど、君はあと4日しか残されてないんやで?」

「……」

 ホムラの言葉に正太郎はさらに涙を流しだす。

「泣いたって仕方ないやん。自分で夢を掴みにいかんと」

「簡単に……言うなよ」

 正太郎は鼻を啜りながらホムラに言った。

「簡単やん。おとんとおかんに自分の気持ち伝えるだけやで?」

「それが難しいんだよ!」

「難しくない!!!」

「……」

 突然優しく話していたホムラが声を荒げる。その急な言葉にホムラはキョトンと彼を見上げた。

「難しくなんかない! 君はまだ生きてるやん!!」

「……」

「まだ生きてるんやで? 自分の夢叶えられるかもしれんのやで? オーディション行って沢山の人に歌聞かせるんやろ?」

 急に熱の篭った声を出すホムラはどこかいつもと違った。

「その気持ち、おとんやおかんに伝えられるのは今しかないやん!?」

「それでも……僕には無理だよ」

 その声に正太郎は言葉を被せる。そして自分の足元を見つめた。

「無理……だよ」

 そんな正太郎にホムラは大きく溜息を付いた。

「君の夢はそれで終わりか」

「……」

「行動力あるし、ちょっとは見込みあると思ったんやけどな。何か残念やわ」

 そしてその言葉の後、バサッと翼の音が聞こえてくる。正太郎は急いで顔を上げたが先ほどまでいたホムラの姿はもうそこには無かった。

「ホムラ……」

 正太郎は彼の名前を呼ぶ。そして寒空の空を仰ぎながら、正太郎は声を殺して泣いた。